そら飛ぶ庭
   

介護日記
 
2013.1.15 

Diary of Country Life
Nursing of My Parents

後輩の死、66歳

独居の入浴

父、寝たきりになる

大島  一洋 

初詣した中川神社

■正月競馬
 
1月1日(火)晴
 午後、一人で中川神社へ初詣。急な階段がきつい。100段はあるか。客がほとんどいないのは、昨夜から朝にかけてみんなお参りしたからだろう。世話係の人たちが10人ほど焚火にあたっているだけだった。
 帰宅して、気になっていた坂道の落葉を掃く。
 夜、DVD「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」を見る。バッド・デイモンの「ボーン」シリーズの2作目と3作目。

1月2日(水)曇
 午前10時半に、同級生の柘植、高木、熊崎の4人で、恵那にある場外馬券売り場へ。名古屋競馬の第一レースから第九レースまで遊ぶ。ローカル競馬は固くおさまるレースが多く、トリガミばかり。3連単でも3000円しかつかないのだ。ただ、最終レースは全員的中して払い戻しに並ぶことができた。
 終わって、5時から柘植宅で寄せ鍋の宴会。シャンパンをあけて新年の乾杯。ビール、日本酒などが用意されていたが、自分はビールをゆっくり飲む。9時帰宅。

■後輩の死

1月4日(金)晴
 午前9時半頃、食事中に大和書房時代の後輩で、付き合いの長い編集者の妻から電話。心筋梗塞で急死との知らせ。66歳。びっくり。2日に初詣に行く途中で倒れたらしい。今年は自分に会いに中津川へ来るという年賀状をもらったばかりだった。
 葬式には行けないので、香典に一筆添えて夫人に郵送した。

■独居の怖さ

 独居で一番怖いのは入浴である。入浴中に倒れる老人が多い。だから自分はなるべく温かい昼間入ることにしている。まず浴槽に湯を溜め、ふたをしないで浴室内を蒸気でいっぱいにする。次に台所のストーブを着替え場所にもってきて温める。つまり、浴室と着替え場所の温度差があまりないようにする。バスタオル、着替えの下着とベビーオイルを用意し、さらに携帯電話を近くに置く。
 浴槽に入るときは肩から湯をかけて体を湯に慣らす。我が家の浴槽は狭いので溺れる心配はない。洗い場ではあまり体をごしごし擦らないで、ざっと洗う。浴槽には2回浸かって、芯まで温まったところで出る。出たらバスタオルで全身を拭き、そのあとベビーオイルを体の手の届く範囲に塗る。皮膚を乾燥させないためだ。下着を付け、パジャマとジャージーを着る。
 このあと風呂の湯を使って洗濯。
 洗濯のあと、浴槽をタワシで洗う。体の垢がこびり付いているから、シャワーの湯をかけながら擦り落とす。これで終了。

我が家の浴室
灯油ストーブ

■寒中見舞

 母が亡くなってから、年賀状を書くかわりに寒中見舞いにしている。年賀状を印刷したら父が急死ということもあるからだ。母は年賀状を出した1月18日に亡くなったのだ。
 近所の印刷屋に130枚注文。

■十日市

 この町のお祭りでは、1月10日の「十日市」が最も大きい。人出や屋台の出店は夏祭りよりすごい。この小さな町のどこから湧いてきたかと思うほどの人混みである。
 主催神社は西宮町にある西宮神社。自分は昨年のお守りやお札を納め籠に入れてきた。昔は火を燃やして焼いていたが、現在では街中での焚火は許されていない。

「十日市」の西の宮神社

■母命日

1月18日(金)晴
母の命日なので、仏壇をあけ、買ってきたバナナ、いちご、菓子、菊花を供える。母が亡くなったのは2008年だから、もう5年もたってしまった。もうすぐ七回忌だ。

1月18日は母の命日

■新年会

1月20日(日)
 14区の新年会。昨年までは出席しなかったが、父が老人ホームに入居してしまったので、町内との付き合いのため、自分が出席した。14区のクラブで弁当とお茶。自分は肝臓が悪いので昼間からアルコールは飲まないと決めている。

町内新年会

1月24日(木)晴
 午後1時から「アニー・ホール」という店で還暦合唱団の新年昼食会。17人(男6、女11)参加。1000円のランチのあと、歌い初め。アルコールがはいってないのでうまくいった。

還暦合唱団の新年会

■終の信託
 
1月26日(土)雪
 午後1時半、雪の中を文化会館まで歩く。周防正行監督の「終の信託」を見るためである。途中でこの映画の最大欠陥に気づく。というのは、自分はもう20年も前にリビング・ウイルに登録し、カードを常に持ち歩いているからだ。患者や医者がそれに気づかないのがおかしい。
 しかしまあ、尊厳死協会やリビング・ウイルについて知らないひとも多いから、映画のような事態は起こりうるかもしれない。

自分のリビング・ウィルのカード
この冬最高の積雪

■生楽館
 
 毎週水曜日は多治見の「生楽館」へ父の様子を見に行っていた。大きな変化はなかった。
 ところが1月20日(日)、午後1時ころ「生楽館」から電話があり、父がベッドから滑り落ち、腰を打ったから多治見市民病院へ救急外来で連れていくとのこと。「生楽館」を経営している伊藤内科が日曜日で休みだからだ。お願いして結果を待つ。
 連絡があったのは夕方7時。救急外来は休日ほど混むものだ。レントゲン検査の結果、骨折はなく打ち身ですんだ。痛み止めの薬をもらってきたらしい。
 ところが1月29日、「生楽館」から電話があり、父の腰痛がひどいので、明日午前11ころ市民病院へ連れていくので付き添ってほしいとのこと。了解する。
 翌30日、午前10時8分発の電車で多治見へ。市民病院の受付で待っていると、「生楽館」のキャスター車に乗せられた父が着いた。運転手だけで看護師はいない。自分で手続きをし、整形外科で診てもらう。前立腺ガンが骨に転移している可能性はある。ただしもう高齢だから治療しようなどという考えはだめ。薬で痛みを抑えるしか方法ありません、との診断だった。つまり寝たきりになってしまったのだ。
「生楽館」へ行って看護師とケアマネージャーに報告する。

ベッドで食事する父

 ベッドの柵にテーブルを渡し、背を起こし、父はベッドで昼食をした。スプーンで食べるのだが、非常に遅い。仕方なく自分が介助した。スプーンを口元へ持っていくと口を開けて全部食べた。食後すぐ痛み止めの薬を服用。ベッドの背を倒して寝かせた。このまま寝たきりになれば、脚の筋肉も落ち、歩けなくなることはあきらか。ただし食欲があるのと、顔色がいいので安心できる部分もある。
「父ちゃん、腰痛いか」と聞くと、「そりゃ痛いが、薬をのめば大丈夫や」と答えた。意識はちゃんとしている。父は我慢強いところがあるので、多少の痛みはこらえてしまう。
 念のため、翌日「生楽館」に電話で様子を聞くと、車椅子でトイレにも行ったし、食堂で食事もできる、とのことだった。痛みさえなければなんとかなりそう。問題は痛み止めの薬の量が増えていって、それでも痛みがとれなくなったときだ。
                                                                   (次回へつづく)


大島 一洋  (おおしま・いちよう)
1943年岐阜県中津川市生まれ。早稲田大学第一文学部美術専修科卒。
大和書房を経て、平凡出版(現マガジンハウス)に中途入社。「週刊平凡」「平凡パンチ」「ダカーポ」「鳩よ!」などの雑誌および書籍編集にたずさわり、2005年定年退職。現在はフリー編集者&ライター。著書に『芸術とスキャンダルの間』(講談社現代新書)。
 
 
 
 


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