2007.07.09
人間一代なんて、あっというまや介護保険の更新手続き半年ごとに能登半島で地震、中津川も揺れる
大島 一洋
 
3月1日(木) 晴
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庭のこぶしの花
 
 午前7時15分起床。熱37度。なかなか下がらない。
 市役所から介護保険の更新書類届く。6か月経つと更新しなければならない。記入し、午後、アイリス介護センターの垣内ケアマネに届ける。
 夕食後、父が「じゃが芋と玉ねぎが余っているようやから、明日は肉じゃがにしろ」と言う。ちゃんと野菜の残りぐあいをチェックしているようだ。
 今夜は「還暦合唱団」の日だが、熱があるので休む。

 

3月2日(金) 晴
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 熊谷整体治療院
 

 午前7時15分起床。熱37度。
 この町で有名な整体の熊谷治療院へ電話して9時半の予約をする。
 9時に家を出、本町の治療院まで歩く。整体にかかるのは10年ぶりか。首と腰の骨がずれていた。「体中がたがたですよ」と言われる。30分の治療で全身がすっきりした。生き返ったよう。初診は4000円。この熊谷治療院は、客が東京や名古屋から来るほど腕がいいらしい。現在は二代目がやっている。
 帰途、可知医院へ寄り、父母の介護更新の問診票を出す。帰宅して熱を計ると36度2分に下がっていた。整体が効いたか。洗濯。
 11時頃、馬籠の島崎藤村記念館の理事長・大脇という人から電話。同級生の誰かから自分のことを聞いたらしい。藤村記念館の運営に力を貸してほしいという。来週会うことにする。
 昼食後、熱を計ると37度3分。あっという間に戻ってしまった。
 夕食は父の注文通り、肉じゃが。
 夕刊を読み、6時のNHKニュースを見て自室へ。じゃが芋、人参、玉ねぎを減らすため、明日の夕食はカレーライスに決める。
 整体に行ったので入浴せず。BGMモーツァルトで雑誌読み。12時半就寝。

 
3月3日(土) 曇
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図書館のお雛様
 

 朝食の準備中に可知医院まで走っていき自分の順番取り。5番だった。すぐ引き返して朝食。
 9時に可知医院へ。熱36度7分。血液検査の結果が出た。驚いたことに、ガンマGTPが61に下がっていた。東京にいる頃は360あったのに。田舎に来てから飲酒量が大幅に減ったせいだろう。朝が早いから夜遅くまで飲んでいられない。その替わり、熱のせいで体内炎症数値がプラス7。念のためビタミン注射。診察代840円、薬代1130円。
 午後、父が床屋へ出かけた。「アピタ」へ買い物に行き、帰宅して熱を計ると37度2分。薬を服んでも下がらない。
 4時に廊下のカーテンを締め、茶の間で寝ている母の鼻先に手を当てると「だいじょうぶ、生きとるで」と答えた。正気みたいだ。
 夜、雑誌読み。入浴せず股間だけ洗う。寝る前に熱を計ると36度3分に下がっていた。
  昼間上がって、夜下がる。これはもう完全に介護ストレスによる発熱としか考えられない。12時半就寝。

 

3月4日(日) 曇のち晴 温かし
 午前7時15分起床。熱37度。
 茶の間のこたつが壊れた。何十年と使ってきた古い型のやつ。父に頼まれて「アピタ」の電気製品売場へ行き、新しいのを買う。8980円。配達量500円。3時頃届く。
 今日はヘルパーさんの来ない日なので、自分がうな丼を作る。きゅうりとわかめの三杯酢。お吸物。まあまあの出来。
 夕食後、父と碁を2局。1局目は5目負け。2局目は10目勝ち。4子置きだといい勝負になってきた。
 東京の妻から電話。「あなた一人で頑張らないで、史洋さんに、もっと手伝ってもらったらどうか」などと口を出すので「うるさい!」と怒鳴って切る。
 頼まれ原稿読み。熱36度3分。平熱に戻る。12時半就寝。

 

3月5日(月) 雨

 朝食の準備をしたあと、可知医院へ父の介護保険更新のための医師面談の順番取り。4番だった。
 朝食後、熱を計ると37度2分。薬を服む。
 午後2時、熊谷治療院。再診からは3500円。すっきりした。
 夜、原稿読み。熱36度3分に下がる。微熱のため、2週間くらいまともに入浴していない。12時半就寝。

 
3月6日(火) 晴
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芝桜
 

 午前7時15分起床。さわやかな目覚め。熱36度2分。平熱。
 朝食後、洗濯。10時にタクシーを呼んで、母を柳沢歯科へ連れて行く。新しい入れ歯が出来て、すべて終了。帰途、自宅への坂道で、ポストへはがきを出しに行ったらしい父と会う。あれほど嫌がっていた坂道の手摺りを使っている。途中で一度休まないと坂道は上りきれないようだ。雑草だらけの畑を見て「気になってしぁないのや。抜いとかんとなあ」と言う。自分にやれという意味だろうか。とても一人で処理できる広さではない。
 午後1時半、駅前の喫茶店「大容堂」で藤村記念館の理事長・大脇修二氏と会う。彼は昭和16年生まれで、自分より二つ先輩。中津高校から明大に進み、卒業後「週刊文春」の梶山季之グループで仕事をしていたとか。大下英治などと一緒だったらしい。しかし、35歳のとき、実家の土産物店「大黒屋」を継ぐため馬籠へ戻った。「大黒屋」は藤村記念館のすぐ上にある。
 藤村記念館は、バブルの頃、年間入場者が20万人あったが、最近は7万人にまで減っている。イベントは2月の生誕月と8月の藤村忌と11月の開館記念日と3回ある。一番大きいのが8月の藤村忌で、一昨年は車谷長吉を呼んで講演をしたとか。藤村がだんだん忘れられていく感じなので、なんとか盛り上げるための手助けをしてほしい、というのが大脇さんの希望。自分に東京との繋がりを期待しているようだが、まだ真意がわからないので、もう一度会うことにして別れる。あわてて「アピタ」で買い物。
 夜、生活費の精算と原稿読み。熱36度3分。治ったようだ。

 

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