そら飛ぶ庭
   

介護日記
 
2012.2.7 

Diary of Country Life
Nursing of My Parents

父入院、退院

父、老人ホーム入居

自分、虚脱感

大島  一洋 

赤い南天と白い南天

■「帰ろう」と怒る

1月1日(月)曇のち晴
 父は相変わらず食事せず、ベッドに寝たまま。もう48時間以上何も食べていないことになる。可知先生に電話すると、元旦にもかかわらず、市民病院へ紹介状を書くから来てくれという。行って紹介状をもらい、午後1時に救急車を呼ぶ。担架で運びだされる父は不満そうだった。
 検査の結果、担当医は、腸閉塞の再発もないし、脳梗塞もないので、食事をしない理由は不明だが、血圧が207−110と高いので、とりあえず点滴をして様子を見るという。
 シーツと毛布ごと担架で運ばれたので、両方を持って帰り、干す。入院に必要な書類を書き、バスタオル、歯ブラシ、箸、スプーン、洗面器などを持って再び市民病院へ。
 父は点滴されたまま、ベッドで頭と足を逆方向で寝ていた。正しく姿勢を直してやると目が覚め「おい、帰ろう」と怒鳴った。可哀そうだがしばらくは退院できない。
「アピタ」まで戻り、ラーメンの夕食。弟に電話して報告しておく。
 夜は何もする気がせずDVD「ツォツィ」「善き人のためのソナタ」「カリブの熱い夜」
を見る。眠くてならないので午前零時に就寝。病院からいつ連絡があるかわからないので、携帯電話を切らずに枕元に置いて寝た。

救急車で運ばれる父
入院中の父

1月2日(月)曇のち晴
 10時27分のバスで市民病院へ。看護師に聞くと昨夜も今朝もちゃんと食事したとか。ずっと食べてないのだから、お腹がすいていたのだろう。試しに昼食に立ち会ってみたら、自分では食べられない。介助が必要なのだ。箸は使えず、スプーンで口元へ持っていくと素直に口をあけて食べた。ごはんは茶碗に三分の一くらいで、ほかによくわからない病院食3種類全部食べ、お茶を飲んだ。
 ベッドの脇にポータブルトイレがあり、父はリハビリパンツとパジャマのズボンを自分で下げて、排尿排便していた。
 父を自宅に引き取って介護するのは大変なことになるので、どこか施設を探さねばならないが、ケアマネージャーは正月休み。4日にならなければ連絡がとれない。
 夕食は「アピタ」2階の食堂で焼きそば。
 夜、DVD[ホテル・ルワンダ]を見る。実話らしい。ひどいことが世界各地で起こっていたことがわかる。

病室で食事する父

■介護施設を探す

1月3日(火)晴
 10時27分のバスで市民病院へ。着替えのシャツや父宛の年賀状を持っていく。父はしばらく年賀状をながめていたが、途中で止めてしまった。興味がないようだ。正月だということもわかっていないのかもしれない。
 驚いたことに、今日は介助なしで、自力で食事した。非常にゆっくりだがスプーンで全部たべた。これだけ食欲があれば大丈夫だ。

1月4日(水)雪のち晴
 父はだんだん元気になってきた。
 正午過ぎ、担当の女医と話す。食事ができないという入院の目的は終わったのだから、退院しろと言われるのかと思ったら、「もう少し様子を見ましょう」と言ってくれた。担当医が優しくて助かった。これが男性医だったら、過去の経験からみて、すぐ追い出されただろう。
 午後2時半に、父の保険証、印鑑、通帳を持って十六銀行へ行き、定期預金100万円を解約して父の口座に入れた。入院費が心配だからだ。
 ケアマネの木下さんと連絡がとれ、明日、市民病院で打ち合わせすることに決める。
 夜、DVD「ある公爵夫人の生涯」を見る。実話らしい。「にしの」で少し飲む。

1月5日(木)晴
 ケアマネの木下さんと11時半に市民病院で待ち合わせ。父を介護施設へ入所させるため、申し込む施設を決める。すぐ入れるような所はないだろうが、とにかく申し込んでおかなくてはならない。これはケアマネージャーの仕事で自分がすることではない。
 父の昼食を見守る。ときどきこぼす。
 自分の夕食はお節ですませる。
 夜、DVD「わが教え子 ヒトラー」を見たあと入浴。熱いお湯に浸かって体の芯まで温めようとしたら、のぼせて倒れそうになった。これは危ない。自分は一人暮らしなのだから注意しないと。「ラジオ深夜便」

1月7日(土)晴
 今日から三連休だから、動きようがない。市民病院へ行って、父の昼食を見守って帰ってくるだけ。

我が家の塀に積もった雪
カランコエ

■多治見の老人ホーム

1月10日(火)晴
 今日は「十日市」で街中はすごい賑わい。
 11時、市民病院のソーシャルワーカーに呼ばれる。いわゆる病院内の相談室。今週中に退院の目途をつけてほしいとのこと。ケアマネがあちこちの施設にあたっているが、順番待ちで、すぐには入れない。自宅介護か有料老人ホームしかない。自宅で自分が24時間介護するのは無理だ。自分のほうが倒れてしまう。
多治見にある介護付き有料老人ホームを紹介された。「旭ヶ丘 生楽館」(きらくかん)という。多治見の有料老人ホームでは、母のとき嫌な思いをしているので心配だったが、電話してみると部屋はあいているというので、一度見に行くことにした。
父に「老人ホームに入る気はあるか」と聞くと「金はあるか」というので「大丈夫」と答えた。父もこのまま自宅へもどっては、自分に負担をかけるだけと悟ったらしい。
夕方、可知医院。腰が痛いので血液検査。膵臓欠陥からくる腰痛を心配したのだ。ついでに父を多治見の有料老人ホームに入れる件を相談すると、そうするしかないかもしれないね、と言われる。
夜、弟に電話して有料老人ホームに父を入れることを相談すると賛成してくれた。
市民病院でもらった「生楽館」のパンフレットを調べる。
   入居金    100.000円
   保証金    290.000円
    月額利用料  206.000円
    (内訳)家賃  65.000円
        食費  57.000円
       管理費  42.000円
       運営費  42.000円
 母のときの経験からおそらく、これにいろいろ乗っかるだろうから、月額30万円くらいになる。父の年金が月25万あるからあと5万は父の貯金をくずしていけばいい。父の金なのだから、父のために使えばいいのだ。

生楽館の全景

1月11日(水)曇のち晴
 市民病院で、父に「生楽館」のパンフを見せる。じっと長い間見ていた。
 夕方、可知医院へ血液検査の結果を聞きに行く。膵臓も腎臓も悪くはなかった。アルコール性肝炎の数値も前回より少し下がっていた。

「生楽館」の看板
「生楽館」の玄関

■父の抵抗

 中津川駅発10時13分の電車で多治見へ。駅の北口からタクシーで「旭ヶ丘 生楽館」へ。1700円。4階建ての立派な建物。築2年と新しい。
 入居相談員と打ち合わせ。父の健康保険証、介護保険証、自分の保険証を見せる。
 入居申込書に記入後、部屋を見せてもらう。428号室。内部の作りは母の入った所とだいたい同じ。ベッド、たんす、洗面台、ドア付きのウオシュレット・トイレ、エアコン。
 全館個室で91室もあるそうで、症状によってフロアが違うらしい。父の入る4階は車椅子程度の健常者用。
 いろいろな記入用紙を受け取り、タクシーを呼んでもらい多治見駅へ。正午に中津川に着いた。そのまま市民病院へ。父に「生楽館」のパンフを見せ、ここに入れそうだと伝えると、不思議そうな顔をしていたが、嫌だとは言わなかった。「俺はどっこも悪いとこないでな」と言ったのが唯一の抵抗で、みんなに迷惑かけたくないから、入ることを納得したようだ。
 夜、DVD「パレッツ」「ツーリスト」を見る。「ラジオ深夜便」

1月13日(金)晴のち曇
 10時45分のバスで市民病院。父の昼食を見守り、帰途、市役所に寄る。父の住民票と戸籍謄本を取る。東京へ電話して自分の住民票を送ってくれるよう頼む。「生楽館」入居の添付書類として必要だからだ。
 近鉄福祉タクシーに電話。車椅子タクシーで多治見まで行くが予約状況や値段を聞く。
 夜、「にしの」「いちりき」とはしご。11時帰宅。

1月16日(月)曇
 市民病院で、父の昼食を見守る。午後2時、「生楽館」の責任者が父の面接に来る。看護師たちにも父の状態を聴取し、何も問題ないということで、19日(木)夕方入居と決まる。近鉄福祉タクシーに電話し、19日午後3時に市民病院まで迎えに来てくれるよう予約する。
「生楽館」に持っていく父のジャージーや下着、タオルなどにマジックペンで「大島虎雄」と書く。母のときもそうだったから慣れている。市民病院から直接多治見まで行くことになるので、入居に必要なものは市民病院の父の病室へ運んでおく。福祉タクシーにはかなりの荷物を積める。
 夜、DVD「ゆれる」を見る。監督の西川美和は「ディア・ドクター」も撮っているが、早稲田の美術専修出身で自分の後輩にあたるようだ。

雪をかぶったマンリョウ

■辛かった一日

1月18日(水)晴
 母の命日なので仏壇を開けて、線香をあげる。
 11時過ぎ、タクシーで市民病院へ荷物を運ぶ。
 担当医の書いた父の健康診断書を内科窓口で受け取る。
 病院内の十六銀行ATMから「生楽館」の入居金と保証金39万円を振り込む。
 一度帰宅し、父の健康保険証と通帳、印鑑を持って十六銀行へ。200万の定期預金を解約する。残高297万円。ここから「生楽館」の費用が、毎月約30万ずつ引き落とされていく。
 夜、DVD「ディスタービア」を見る。「裏窓」からの発想だろうが、主人公は少年。最後が怖い。「ラジオ深夜便」

1月19日(木)曇のち雨
 11時半、最後の荷物を積んで市民病院へ。
 午後1時、入院費を支払う。11万円弱。
 2時半に父を着替えさせる。まずパジャマを着せ、その上にジャージーの上下。さらに寒いのでダウンのコートを着せる。最後に靴下と革靴。
 3時に福祉タクシー来る。車椅子に乗せ、ナースセンターで挨拶。多くの看護師が見送ってくれた。
 市民病院を出発してしばらくしたら雨が降りだした。だんだん激しくなる。予報では降らないはずだったのに。
 4時過ぎ、「生楽館」と契約している「伊藤病院」着。ここで健康診断。なんと1時間半もかかってしまった。
「生楽館」に着いたら6時半。父は4階の集会場で一人夕食。自分は父の部屋428号室に荷物を運び、衣類などをタンスに収納した。暖房がよくきいて温かい。
 1階にいき、タクシーを呼んで、近くのホームセンターまで行く。洗濯物入れボックスと丸椅子を買って戻る。
 そのあと、何枚もの契約書に署名、捺印。実印でなくていいので助かった。母のときにわかっているので、どんどん父と自分の名前を書いて、印鑑を押していく。
 終わって父の部屋に行くと、もうベッドにいた。疲れたのだろう。以下、父との会話。
「どう、気分は?」
「もう7時過ぎやないか、はよ帰れ」
「明日の午後、また来るから」
「もう来んでもええ」
「そうはいかん、まだ手続きが残っとる」
「お前も仕事があるやろ」
「父ちゃんの面倒みるのが僕の仕事や」
「もうええ、大丈夫や。お前は好きにせいよ」
「父ちゃんがここに慣れるまでは、ほっとけんよ」
「はあ、そうか」
 父が眠そうになってきたので、部屋の電気を消して出る。
 タクシーを呼んで、多治見駅へ。中津川に着いたら9時だった。「にしの」でビールとおつまみとサンドイッチをたべたらやっと落ち着いた。
 10時に帰宅し、今日かかった費用の領収書を整理する。
 弟に電話すると、暢気なもので、そのうち行くと言う。こっちが死にそうな思いをしているのに、けしからん。
 こんなに疲れた日はない。まだ雨が降り続いている。

介護タクシーで運ばれる父
父が食事するテーブル。
名前が書いてある。

■交通費の問題

1月20日(金)雨
 久し振りにたっぷり眠った。午前10時起床。
「まるみ薬局」に注文しておいた父の室内シューズが届いたというので取りにいく。
 午後1時13分の電車で多治見へ。2時に「生楽館」に着いた。
 昨夜、疲れたせいか父は失禁したらしい。パジャマもシーツもぐしょ濡れだったとか。ただ食欲はあって全部食べていた。
 新しいシューズを履いた父を車椅子に乗せて、4階を散歩した。他のフロアへは勝手に行けないようだ。
 3時にタクシーを呼び、4時過ぎ中津川着。交通費がかかり過ぎる。
 中津川―−多治見  740×2で1480円。
 多治見駅―−「生楽館」  タクシー1700×2で3400円。
 つまり一回多治見へ行くと5000円かかる。週2回で1万円。月に4万円だ。これは大きい。タクシーを使わないでバスを利用することを考える。

      
旭ヶ丘6丁目のバス停

1月22日(日)晴
 明日、弟が父の様子を見にくるので、彼のふとんを干す。

1月23日(月)晴
 12時39分の電車で多治見へ行き、1時半に「生楽館」に着くと、弟はすでに来ていた。持ってきた父の下着をタンスに入れる。
 4階の介護師が、父が夜中にポータブルトイレを使わず、歩いてトイレまで行こうとしているが、転ぶのが心配だという。そこで、ベッドの上半身のシーツの下に、父が起き上がるとセンターのベルがなる装置を敷きたいというので了解する。こうしておけば、ベルが鳴って介護師が飛んでいき、車椅子に乗せてトイレへ連れていくことができる。24時間介護はありがたい。
 弟と近所を散歩し、バス停を探す。「生楽館」から歩いて250メートルくらいの所に「旭ヶ丘6丁目」というバス停があった。1時間に一本しかない旭ヶ丘循環バスである。午後3時にしかない。
 父を車椅子に乗せてしばらく散歩させたあと、弟と3時のバスに乗った。多治見駅まで約30分で400円。バスを使えば交通費は一回2500円ですむ。
 弟と中津川に戻り、自宅に荷物を置いて、回転寿司の「丸忠」で夕食。
 帰宅して、父に昔教えられた場所から金庫の鍵を出し、弟と調べる。郵便貯金や三菱UFJ信託銀行、岐阜信用金庫の通帳などが出てきた。ちょこちょこ溜めているが、総額はたいしたことないことがわかった。でも父が「生楽館」で2年暮らせるくらいはありそうだ。
 8時半に入浴し、弟と自室で雑談。自分はビールと麦焼酎、弟は芋焼酎。
 11時半に弟は寝た。

老人ホームでの父と弟
老人ホームの廊下

■これでいいのか

1月24日(火)晴のち曇
 午前10時半起床。自分が寝ているうちに弟は帰京した。途中でもう一度「生楽館」に寄っていくはずだ。
 朝食後、洗濯。
 寒中見舞いの原稿を書き、近くの印刷屋に依頼。
「生楽館」に電話して昨夜の父の様子を聞くと、ベルは4回鳴ったそうだ。
 夜、「にしの」「いちりき」とはしご。

1月26日(木)晴
 寒中見舞いのはがき130枚書く。

1月27日(金)晴時々雪
 朝、玄関を開けると一面の雪。昨夜降ったらしく止んでいたが今冬一番の雪量。
 午後、「夢」「アピタ」と回る。
 夜、7時から昨年の忘年会の山おろし(慰労会)を「貴」で。すきやきパーティ。柘植、高木、丸山、牛丸、水上の6人集まる。熊崎は雪で仕事が忙しく欠席。熊崎は車の整備工場を経営しているので、天気が悪くなれば繁盛するのだ。
 11時解散。小雪が降って、道も滑るので危ない。

1月30日(月)晴
 12時13分の電車で多治見へ。1時10分のバスで旭ヶ丘6丁目まで。少し歩いて「生楽館」。父は4階の談話室(食堂でもある)で雑誌を読んでいた。部屋に行き、ベッドに渡した板の上に、カレンダー、時計、髭剃り、ローションなどを並べる。
 談話室に戻って介護師に聞くと、トイレの回数は1日7回ほど。食欲はあり、全部食べている。食欲があれば大丈夫だ。
 車椅子を自分で操作できる方法を教えるが、途中で「えらい」と言うので中止する。
「お前はちゃんと仕事しているのか」と怒る。「大丈夫や」と答える。
 旭ヶ丘6丁目のバスに乗るため、3時10分前に父と別れる。父は車椅子でエレベータの前で手を振っていた。可哀そうな気がして目が潤んだ。仕方ない。

談話室で新聞を読む父
老人ホームで寝る父

1月31日(火)晴
 午前10時起床。寒い。朝昼兼の食事をして、新聞を読み、11時半に家を出る。まず十六銀行に行き、積立定期を解約し、父の口座に入れる。ここから毎月「生楽館」の費用が引き落としになる。二年は持つ金額だ。
「夢」「アピタ」と回って2時半帰宅。
 夜、「にしの」「いちりき」とはしご。11時帰宅。

 今月は、父を多治見の有料老人ホームに入居させることで終わった。一人になってみると、非常にむなしいものがある。父の状態は安心だし、自分も自由になれたが、なんとなく虚無感がある。正しい選択をしたと、みんな言ってくれるが、本当にそうだろうか、という気がしてならない。 

                                                       (次回へつづく)


大島 一洋  (おおしま・いちよう)
1943年岐阜県中津川市生まれ。早稲田大学第一文学部美術専修科卒。
大和書房を経て、平凡出版(現マガジンハウス)に中途入社。「週刊平凡」「平凡パンチ」「ダカーポ」「鳩よ!」などの雑誌および書籍編集にたずさわり、2005年定年退職。現在はフリー編集者&ライター。著書に『芸術とスキャンダルの間』(講談社現代新書)。
 
 
 
 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.