そら飛ぶ庭
   

介護日記
 
2010.1.11 

Diary of Country Life
Nursing of My Parents

穏やかに生きる父

自分、結膜炎に苦しむ

家族から孤族だそうな

大島  一洋 

■朝倉喬司の死
庭のせんりょう、まんりょう
白い椿
 
12月9日(木)曇
 朝食後、洗濯。新聞を読んで仮眠中に、東京の編集者から電話。朝倉喬司が亡くなったという。えーっという驚き。厚木のアパートで死んでいるのが発見されたとか。ついては警察が検視を行なうにあたって親族を探しているが、誰か知らないかとの問い合わせ。
 朝倉喬司の本名は大島啓司(ひろし)といい、父の本家のある恵那市上矢作町の出身である。自分と同じ昭和18年生まれ。親戚ではないが、出身地と姓が同じだから、たどっていけば繋がっているかもしれない。中学生の頃、うちに泊まって高校の模擬試験を受けに行ったりして2、3度会っていたが、その後会う機会はなかった。
 再会したのは、自分が「平凡パンチ」の編集部にいた頃で、ノンフィクションの連載を依頼したときだった。それからは何度も一緒に飲んだ。飲むと必ず河内音頭を歌った。彼は河内音頭を関東に広める活動をしていた。
 彼の文体が小説に合いそうに思ったので、小説を書くよう勧めたが、いやがって実現しなかった。その頃は逗子に一人住んでいて、離婚した奥さんと子供が近くにいると聞いていた。息子が東大に合格したときは嬉しそうだった。だがこの15年くらいは会ったことがない。
 編集者の電話によると、今年の夏、厚木のアパートに引っ越したという。奥さんは親の介護のため北海道の実家へ帰っているらしい。息子さんの連絡先を知らないかという。知らないので、知っていそうな人間の名前を教えた。
 1時間ほどして電話があり、息子さんが見つかったそうだ。

 夜、何人かの知人から、朝倉喬司が死んだのを知っているかと電話があった。
 翌日の朝刊の死亡記事によると、アパートの住人から異臭がすると言われ、大家が部屋を開けると、倒れていた。死んでから数日たっていたらしい。体に傷はなく、部屋も荒らされていないことから、死因はまだ不明だが病死と推測されている。

 11日の続報によると、朝倉氏の葬儀は16日、渋谷の代々幡斎場で行なわれる。喪主は長男・大島史明氏。しのぶ会は後日予定されているとか。

 ちょっと日付は離れるが、朝日新聞12月26日号のトップ記事に「家族から孤族へ」とあり、単身世帯の急増と孤独死について特集し、連載が始まった。朝倉喬司も孤族だったようだ。

 

■ピンク・レディー

「週刊分文春」12月9日号の阿川佐和子対談にピンク・レディーが出ていた。「解散やめ!」宣言をして完全復活だそうだ。ミイもケイも53歳になる。1976年にデビューして81年に解散するまで大ブームを引き起こした。アラフォーの女性たちは、ピンク・レディーの曲を聞けば、今でも自然に踊りだすだろう。自分は当時「平凡パンチ」にいて、彼女たちを何度もインタビューした。
 同時期にキャンディーズもいてこれも大人気だった。さらにすごかったのはハワイのアグネス・ラム。おっぱいが大きくて顔があどけない。雑誌はばんばん売れ、キャンディーズが表紙の新年号は100万部を超えた。いやあ懐かしい。いい時代だった。
 ついでに書けば、12月4日の「ラジオ深夜便」に女優の山本陽子が出ていた。昔、自分は原宿に住んでいたが、妻が近所に住む山本陽子の姉と親しかった。ところが自分が「平凡パンチ」編集部にいると知って、突然交際を断られた。変なことしゃべって妹に迷惑がかかるのを避けたらしい。週刊誌の記者は昔から嫌われ者である。

ピンクレディーも53歳

■忘年会

 中学3年3組「発著世」(ほっちょせ)の忘年会が12月5日夕方5時から「星ケ見荘」で行なわれた。東京、横浜、名古屋、大阪からも同級生が来て22人集まった。宴会前に10月に事故死した奥村健男を悼んで黙祷。
 「星ケ見荘」の仲居さんに、以前「いちりき」に勤めていた女の子がいた。むこうから声をかけられてわかった。よく働く子だ。自分は翌朝の父の食事を作らねばならないので宿泊せず10頃帰宅。
 宿泊組は翌日、馬籠へ遊びに行った。自分は午後1時頃駅へ行き、電車で帰る同級生を見送った。

3年3組忘年会
3年3組忘年会「星ヶ見荘」で

■「彼女について」

 同人誌に載せる小説「彼女について 2」を先月から書き始めたが、わずか20枚の短篇なのに、苦労した。モデルはいるが、8割は妄想の産物。10枚まではすんなり書けたが、そこでストップしたまま物語が動いてくれない。図書館の資料室に座って大学ノートを開くが、何にも浮かばない。しばらく放っておいた。
 ある晩、酒場で飲み仲間と雑談しているとき、「女の浮気」という言葉が出た。そうだ、彼女に浮気させればいいのだと思い付いた。それから二日かけてひとまず脱稿。推敲に三日間。ようやく書き上がったが、これでいいのだろうかと不安はある。

■「男はつらいよ」

 原稿書きに目処がついたので、久し振りに三洋堂へ行く。新しい三洋堂は中津川教会前の道を上っていき、旧国道に出てしばらく歩き、左に曲がったところ。車がびゅんびゅん走っているので怖い。一度交通事故にあった身としてはいくら注意してもし過ぎることはない。
 三洋堂に置いてある「男はつらいよ」のDVDを全部見ることにした。「フーテンの寅」「新・男はつらいよ」「純情篇」「奮闘篇」「寅次郎恋歌」「柴又慕情」「寅次郎夢枕」「寅次郎勿忘草」と見ていく。何本かはすでに見ているがほとんど忘れている。マドンナが変わるだけで、ほぼ同じパターンだが、どれもよくできている。
 そういえば昔、「男はつらいよ」の撮影現場を取材したことがあった。誰がマドンナのときか忘れたが、この時初めて映画のカット割りというのを知った。例えば、倍賞千恵子が「お兄ちゃん、ナントカカントカ」としゃべるシーンを彼女のバストアップで撮る。次に渥美清が「なんだ、さくら、ナントカナントカ」を彼のバストアップで撮る。これで会話が繋がるわけだが、ワンカットずつ撮るからすごい時間がかかる。映画を見ていると気が付かないが、じつは大変な作業なのだ。「男はつらいよ」はドタバタシーンが多いから、なおさらである。カット割りをせず、ずっと撮り続けるのを「長回し」と呼ぶこともその頃知った。

新しい三洋堂書店
中津川教会

■野沢尚(のざわひさし)

12月12日(日)晴
 夜、「坂の上の雲」第2部「子規の死」を見終わってスタッフ名を見ていたら、脚本の一番最初に野沢尚の名前があった。野沢氏とは自分が「鳩よ!」編集長の頃、よく会った。連載を依頼していたのだ。「破線のマリス」という小説で江戸川乱歩賞を受賞したが、小説より脚本家としての仕事が多かった。とにかく忙しい人で「連載はそのうちに」ということで実現しなかった。ところが、2004年6月28日、彼は仕事部屋で自殺してしまった。「坂の上の雲」の脚本にとりかかったが、うまくいかず、自信を無くして死んだという噂だった。享年44歳。NHKとしては、野沢氏の顔を立てて名前を出しているのだろう。

■植木屋さん

12月13日(月)曇のち雨
 午前8時から植木屋の馬島さんが庭に入っている。今回、植木の剪定以外に頼んだのは、裏庭に砂利を敷いてもらうこと。地面が常に湿っていて、滑って転びそうになるからだ。これが大変だったよう。上の旧国道から運んで来なくてはならないからだ。10時に縁側に座ってもらい、お茶とまんじゅう、雑菓子を出す。
 午後は雨になって中止。

裏庭に敷いた砂利
白菊

12月14日(火)曇のち晴
 午前9時半から、馬島さんが庭に入った。午前中はお茶を出す時間がなかったが、午後3時、お茶と柏餅、雑菓子を出す。夕方5時過ぎに作業終了。これで来年の春まで大丈夫。

■アレルギー性結膜炎

12月17日(金)晴
 9時24分のバスで市民病院眼科へ。担当医に結膜炎が全然治らない理由を聞くと「アレルギー性結膜炎は一生治りませんよ」と言われた。「では、白内障手術はどうするのか」と聞くと「結膜炎が軽くなったときに」との答。そんな日が来るのだろうか。とりあえず来月の予約をして11時過ぎ帰宅。結膜炎の目薬は、まずパタノールというのをさし、5分たってからフルメトロンというのをさす。この5分間というのが面倒くさい。1日4回。そのほかに乾き目を防ぐヒアレインという目薬をささなければならない。うっとおしい生活である。DVDの画面がかすんで見える。

たくさんの菊
庭のワビスケ

■腰痛

 寒くなると腰痛がひどくなる。ことにパソコンで原稿を書くと、前かがみになるせいで腰に負担がかかるのだ。ストレッチしたり、湿布を貼ったり、ベルトをしたりして誤魔化している。やっぱり歩くのが一番いいようだ。ずっと炬燵に座っているのがいけない。
 寒くなると、痔も出る。浣腸式のボラギノールでしのいでいるが、トイレに行くのが怖い。痛くはないが、便器が鮮血まみれになるのが嫌だ。

■アルコール

 酒に弱くなった。晩酌はノン・アルコール・ビール「フリー」1本。最初はまずくてまいったが、最近は慣れた。外でも家でも、飲み始めるのは夜9時過ぎ。外出した場合は門限を11時半にしているが、時々すごく酔って帰り、翌日何も覚えていないことがある。もう若い頃とは違う。気を付けないとまた事故に遭いそう。

ひめりんご
庭の椿

■柚子

12月22日(水)雨 冬至
 今年、庭の柚子の実は60個ほどの豊作。知り合いにどんどん配った。
 冬至なので、夜、柚子湯に入る。柚子2個を半分に切り、ガーゼに包んで風呂に入れる。いい香りだ。

庭に実った柚木

■大掃除

12月23日(木)晴 天皇誕生日
 明日、弟が来るので、彼用のふとんなどを出し、シーツ、毛布を干す。夕方取り入れ和室に積む。

12月24日(金)雨のち晴
 午後1時、弟到着。晴れてきたので、父と三人で打越(うちこし)の墓掃除に行く。落ち葉がずいぶん溜まっていた。
 帰宅して、弟とガラス拭き。14枚。弟が外、自分が内で汚れを指摘しあいながら拭いていく。ばけつの水が4杯分真っ黒になった。最後に玄関。これを去年は一人でやったので苦労した。
 夕方4時半、回転寿司の「丸忠」へ三人で行く。ここは店長が替わってから、ネタがふえておいしくなった。市内の寿司屋よりよほどいい。
 夜、弟と「にしの」へ。「にしの」のママは弟の同級生。10時に帰宅し、自室で焼酎を飲みながら雑談。弟が言う「父ちゃん、元気になったなあ。あれは百まで生きるぞ」「それは俺が食事のメニューに気を使っているからだよ」と答えた。本当に父は元気になった。性格も穏やかになったし、「体がなまる」と言って毎日近所を散歩することを忘れない。ケアマネージャーが驚いているくらいだ。だから「介護日記」としては何も書くことがない。炊事、洗濯、掃除をしているだけだ。
 弟は、翌朝帰京した。

墓で父と弟
公園のネオン

■年末

12月29日(水)曇
 午後、父と「アピタ」へ買い物。必要なお節を買う。数の子、黒豆、えび、たつくり。餅と昆布巻きは父宛のお歳暮でもらったものがあるから、今年は買わない。次にガス台を囲むアルミ板、玄関と茶の間入り口の敷物。父が散歩すると言うので、自分だけ先に帰宅。
 父の寝室、茶の間、廊下に掃除機をかけたあと、玄関の踏み台の敷物を新しいのに交換。やや大きいので端を折り曲げて敷いた。茶の間の絨毯の縁に短めの敷物を敷く。絨毯の縁に躓かないようにするためだ。
 台所で、ガス台囲みを交換。
 夜、「いちりき」忘年会。しゃぶしゃぶ。11時半帰宅。入浴。

12月30日(木)曇のちみぞれ
 洗濯して廊下に干す。新聞を読んだあと仮眠中、東京の昔のGFから電話で起こされる。なんにも用事なし。今年、母親が百歳で亡くなって、かなりの資産を相続したが、彼女も孤族になってしまった。寂しいから、あちこちに電話しているのかもしれない。
 午後、銀行から東京へ生活費を振り込む。
 夜、DVD[男はつらいよ ぼくの伯父さん]を見たあと「にしの」の忘年会。11時帰宅。

「すや」の門松

12月31日(金)曇時々雪
 午後、小雪の舞うなか三洋堂へ。DVD8本借りる。「アピタ」で買い物。大混雑。
 1時半帰宅。三段重箱を出してお節料理を詰める。ストーブの灯油を満タンにする。
 12月分の生活費を精算。総支出12万3337円。お歳暮代など特別出費が多いからこれくらいは仕方ない。父に渡す。しばらくして「ご苦労さん」と言って返しにきた。
 4時15分に台所に入り、夕食の準備。といっても自分がぶりの照り焼きをつくり、雑炊とお節、漬物、りんご、と並べただけ。
 夜、「田舎日記」を書いたあと、DVDの「寅さん」を3本見た。
 高峰秀子死去。肺がん、86歳。昔一度会ったことがあるが、すごく怖いおばさんだった記憶がある。
 今年は、義母の死という不幸があった。喪中であるが、はがきは出さなかった。寒中見舞いを出す予定。
 来年は父が98歳になる。100歳へ向かって悠々自適である。

新聞を読む父
赤い椿


(次回へつづく)


大島 一洋  (おおしま・いちよう)
1943年岐阜県中津川市生まれ。早稲田大学第一文学部美術専修科卒。
大和書房を経て、平凡出版(現マガジンハウス)に中途入社。「週刊平凡」「平凡パンチ」「ダカーポ」「鳩よ!」などの雑誌および書籍編集にたずさわり、2005年定年退職。現在はフリー編集者&ライター。著書に『芸術とスキャンダルの間』(講談社現代新書)。
 
 
 
 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.