そら飛ぶ庭
   

介護日記
 
2010.11.8 

Diary of Country Life
Nursing of My Parents

同級生急死

自分、花粉症

父、突然嘔吐

大島  一洋 

■水死

 以下は「読売新聞」10月2日の記事。

 川で流され、67歳死亡
 1日午後2時25分頃、中津川市中津川の木曽川で、投網漁をしていた同市手賀野、無職奥村健男さん(67)が流された。約1時間後、約130メートル下流の水深2・5メートルの地点に沈んでいるのが見つかったが、間もなく死亡した。死因は水死。中津川署の発表によると、奥村さんは網を投げると同時に足を滑らせ、流された可能性があるという。

奥村健男葬儀の看板
発著世クラス会が葬儀に出した花


 このニュースには驚いた。第二中学校三年三組「発著世(ほっちょせ)クラス会」の常連メンバーで、最も親しい同級生の一人だからだ。市内の会社に勤め、長距離トラックの運転手だった。その運転技術は抜群で、同窓会旅行のバスの運転は彼にまかせていた。
 3日(日)夕方7時から中津川斎苑で通夜。名古屋や岐阜方面からも同級生が弔問にきた。みんなで奥村の死顔を見た。いつものきれいな顔だった。
 4日(月)午後2時告別式。夕方6時半、「魚民」で緊急追悼同窓会。9人集まる。

奥村追悼緊急同窓会

10月5日(火)晴
 弟が帰省したので、午前中に父と三人で打越(うちこし)の墓へ行く。落ち葉を掃き、雑草を抜き、墓石を拭いて花を活け、線香をあげた。
 午後は弟と茶の間に絨毯を敷き、炬燵を出した。次に自分の部屋の茣蓙を巻き取り、絨毯を敷いた。本箱など置いてあるものが多いので、とても自分一人ではできない。炬燵を出し、完全に冬仕度ができた。
 夕食は三人で回転寿司の「丸忠」。
 夜、弟は焼酎、自分はビールで雑談。

墓で父と弟

10月6日(水)晴
 午前10時頃、弟が帰京した。1時間仮眠。弟のふとんを干す。
 午後、「梅の木」「アピタ」と回って1時半帰宅。
 台所のカーテンを冬物に換え、応接室の椅子カバーを冬物に換える。
 夕方、弟のふとんを取り入れ押入れに収納。
 夜、「にしの」「いちりき」とはしご。11時帰宅。入浴。缶ビール。

■メモ帳

10月9日(土)雨
 小さな手帳に、その日の買い物メモと食事メニューを書いている。これがないと買い物ができない。記憶力の衰えというか、ボケについては先月書いたが、手帳と携帯電話がないと裸になったような気がする。
 午後、「アピタ」で買い物しようとしたら、手帳がない。家に忘れたのだ。何を買うのか思い出せない。仕方なく一度家に帰り、手帳を持って再び「アピタ」へ。
 メモに頼り過ぎると記憶力が落ちるとよく言われる。そうかもしれないが、始めてしまった習慣は変えられない。
 日記は二種類つけている。細かく記入する大学ノートと重要なことだけ書く五年連用日記。他に父に見せるための領収書付き生活費メモと、自分個人の金銭出納帳。
 この「田舎日記」は大学ノートからの抜粋である。わざと分かりにくくしている部分もある。
 夜、『文藝春秋』11月号の「この人の月間日記 本木雅弘」を読んでその文章のうまさに驚く。自分の「田舎日記」もこうでなければいけないと反省。


金木犀
コスモス

10月10日(日)晴
 午後、図書館へ。資料室で調べ物をしたあと、清張コレクション『黒の図説U』を借りる。新町にある「間(はざま)家大正の蔵」を久し振りに覗く。間家は江戸時代の初めに中津川村に移り住み、中仙道新町に屋敷をかまえ、尾張徳川家の御用商人として、東濃随一の豪商と言われるまでになる。大衆芸能への援助をし、学校や銀行も作った。八代・孔太郎は町長、市長を30年勤めたし、別系列の三吉は間酒造を興した。四郎は三菱電機を中津川に誘致する功績があった。どうやら間家抜きにこの町の歴史は語れない。
 夜、松本清張『黒の図説U』のなかの「書道教授」を読む。まったく関係のない二つの世界が最後にがちっとはまるところがすごい。

しおん
しゅうめい菊

■花粉症と猫の会議

10月12日(火)晴
 9時25分のバスに乗り、市民病院へ。10時半に眼科に予約がしてあった。白内障の手術について相談に行ったのだが、アレルギー性結膜炎、つまり花粉症になっているので、これを治さないと手術できないとのこと。
 田舎に来て4年。東京では花粉症など出なかったが、この秋から出た。年齢のせいもあるが、四方を樹木と雑草に囲まれた家に住んでいるので花粉だらけだ。ことに隣の空き地に跋扈しているセイタカアワダチソウの花粉がすごい。昨年までは生えてなかったのに今年はどこかから飛んできたらしい。寒くならないと秋の花粉症は治らない。結局、白内障の手術は来年にすることにした。ちなみに両目を手術するには4泊5日の入院が必要で、片目の手術代が7万円。両目で14万円。入院費を含めると20万円かかることがわかった。
 夜、清張コレクション『黒の図説U』の「生けるパスカル」を読む。目がしばしばしてうっとおしいが、字はちゃんと読める。
 9時過ぎ「にしの」「いちりき」とはしご。顔見知りの客が「夕べは猫の会議」があったと言う。昨日の午後3時から今日の午後3時まで24時間、飼い猫の姿が消えた。これは時々あるらしく、新しい猫がその地域にもらわれてくると、ボス猫から召集がかかる。
 電柱に赤トンボがびっしりとまっていることがあるが、あれは「赤とんぼの会議」なんだそうだ。ほんとかね。

これが花粉症の元

10月14日(木)
 朝食後、洗濯。1時間仮眠。
 午後「縹」「アピタ」と回って2時帰宅。
 夕方まで『黒の図説U』の「高台の家」を読む。
 夜8時。還暦合唱団。素人ばかりだが、最近はどうにか格好がついてきて、上手になったなと思う。来月は落合の介護施設で歌うことが決まった。
 終わって「かかし」で軽飲み。11時半帰宅。
 チリ鉱山落盤事故33人全員生還。

■松茸パーティ

10月15日(金)曇時々晴
 東京の友人が、溝口健二のDVD「愛怨峡」(1937年。主演・山路ふみ子、河津清三郎、清水将夫)を送ってくれたので見る。原作・川口松太郎でよく出来ている。
「ラジオ深夜便」で、渋さ知らズの曲がかかった。吉祥寺でライブを見たのが懐かしい。

10月16日(土)晴
 夕方、同級生で県会議長の早川捷也が来たので「にしの」に集まる。工藤、松原、熊崎と自分で5人。10時解散。入浴。焼酎水割り。

10月17日(日)曇時々晴
 午前7時起床。父を起こさず、自分だけ朝食し、8時15分に14区の公民館へ。年2回の大掃除に父の代わりに出る。8時半からと回覧板にあったので、15分前に行ったのだが、もうほとんどの人が来て作業していた。この町にはせっかちで生真面目な人が多いようだ。和室の掃除を手伝う。
 9時前に帰宅すると、父が洗面を終えたところだった。「ご苦労さん」と言われる。
 洗濯をし、新聞を読んで1時間仮眠。
 午後、「縹」「アピタ」と回って2時帰宅。
 夕食は牡蠣みそ鍋。これから毎週日曜日は牡蠣鍋になる。
 夜、「田舎日記」を書く。

ペチュニア
ホトトギス

10月18日(月)晴
 母の月命日なので仏壇を開け、線香をあげる。
 夕方7時、磯貝啓子宅で3年3組「発著世」7人幹事会。これがなんとスキヤキと松茸を食べる宴会。ばんばん食べて満腹。最後のうどんは松茸の香りがいっぱい。いつも会っているメンバーなのに不思議と飽きない。相性がいいのだろう。
 忘年会が12月5日、6日に決まったので手分けして電話をかける。
 11時半帰宅。入浴。

■三洋堂が移転オープン

10月19日(火)曇時々晴
 朝食のとき、父が「ごはんもみそ汁も、減らしてくれ」と言う。「食おうと思えば食えるけど、この歳やからあまり食わんほうがええやろう」ということらしい。ごはんは一合しか炊いていない。自分が小食だからだが、明日からは八尺にしよう。

10月20日(水)曇
 朝食の父のごはんを茶碗6分目にする。
 午後、図書館で清張コレクション『短編集X』を借りる。「梅の木」「アピタ」と回って2時帰宅。父の寝室、茶の間、廊下に掃除機をかける。坂道の落ち葉を掃く。寒くなってきたので台所に灯油ストーブを出す。まだ使うほどではないが、日ごとに寒くなっていることは確か。
 夜、清張コレクション『短編集X』の「種族同盟」を読む。これはちょっと怖い話だ。

食事をする父
インパチェス

10月22日(金)晴
 午前中、三洋堂から移転オープンのメールが届く。今までは駅前からまっすぐ坂道を上った所にあったが、移転場所は旧国道の尾鳩口バス停近く。歩いて15分くらいだ。
 1階は書店、2階がDVD,CDなのは以前と同じだが、なんと2階の左奥がブックオフになった。ざっと棚をみたが、今のところ大した本はない。
「縹」「アピタ」と回って2時過ぎ帰宅。
 夜、DVD「HERO 特別編」を見る。キムタクが若―い。
「にしの」へ。11時帰宅。飲み過ぎた。


10月23日(土)曇時々晴
 朝食後、1時間半仮眠。二日酔いで眠い。喉が渇く。ペットボトルの水をがぶ飲み。
 午後、「縹」「アピタ」と回って1時半帰宅。父の寝室、茶の間、廊下に掃除機をかける。
 夜、DVD「男と女の不都合な真実」を見る。
 中日ドラゴンズ、リーグ優勝。

10月25日(月)曇のち雨
 午後、三洋堂まで歩き、「縹」「アピタ」と回って1時半帰宅。特別編が面白かったので「HERO」のテレビドラマ版@からEを借りてきた。夕食をはさんで全部見る。見終わったら夜11時半。最後は画面がぼやけるくらい目がおかしくなった。これでは白内障が進行する。

紫陽花

■煮干か鰹節か

10月28日(木)雨のち曇
 朝食後、洗濯。雨なので廊下に干す。
 午後、東京へ生活費を振り込む。
 夜8時、還暦合唱団。寒いのでマフラーとスプリングコートを着て出かける。来月、落合の施設で歌うため、2時間かけて練習。
 終わって、腹が減ったので高木茂家、磯貝啓子と「成木ラーメン」へ。中華そばを注文。高木は車の運転があるので飲まず、磯貝と自分は生ビール。中華そばはコクのあるスープ。昔、店をやっていた磯貝に聞くと、鶏がら、煮干、鰹節などが入っているという。自分には煮干、鰹節の味は感じられない。けっこう美味いラーメンで客も多い。11時帰宅。

10月29日(金)晴
 10時半、ケアマネージャーの垣内さん来。月末の定期面談。寒いので茶の間の炬燵に入ってもらう。父に変化はなく15分で終了。
 午後、「縹」「アピタ」と回って1時半帰宅。入れ違いに父が床屋へ出かけた。夕方まで『週刊文春』を読む。
 夜、清張コレクション『短編集X』の「巨人の磯」を読んだあと「にしの」「いちりき」とはしご。「成木ラーメン」の話をすると、ある客が「あれは煮干が入っているからだめだ」と言う。「よくわかりますね」と聞くと、小さい頃から煮干ばっかり食べさせられたからだとのこと。そういえば、自分も小さい頃は煮干がまるごと入ったみそ汁を飲んでいた。母に「煮干の頭も食え。煮干の頭の分、頭がよくなる」と言われた。現在も朝のみそ汁は煮干ダシである。なのにラーメンスープの中の煮干ダシを拾えない。味音痴になったのだろうか。その客は鰹ダシでなければダメだそうだ。
 11時半、かなり酔って帰宅。酒に弱くなっている。

茶の間で仕事する父

■父の胃痛

10月30日(土)雨のち曇
 この町に台風14号はあまり関係なかった。午前中小雨がぱらついた程度で午後には止んだ。
 図書館で『アナーキー・イン・ザ・JP』 中森明夫を借りる。三洋堂でDVD6本借りる。サービスデイなので一本50円。「縹」「アピタ」と回り2時帰宅。父の寝室、茶の間、廊下に掃除機をかける。
 夜、『アナーキー・イン・ザ・JP』を読み始める。2010年にパンク・ファッション、「アナーキー」の一語で大杉栄が頭の中に降りてくるイントロは違和感がある。歴史の勉強をしているような気分になる。だが、こういうことを考える必要のない小説なのかもしれない。膨大な参考文献を駆使して、がんがん書いているが途中で諦める。

「にしの」の移転パーティー
マリーゴールド

10月31日(日)曇時々雨
 朝食のとき、父が「胃が痛い」と言う。父のご飯を減らし、佃煮と柿は自分が食べる。
 新聞を読んで1時間仮眠。父に「昼食はどうする?」と聞くと「やめとくわ」との返事。
 まだ胃が痛いらしい。
 自分だけの昼食準備中に、父が突然トイレに駆け込み、嘔吐した。食べているものは自分と同じなのに、何がいけなかったのだろう。土曜日の夕食に食べたのはうま煮だった。鶏肉は使ったが肉そのものは自分の器に入れたので父は食べていない。しかし鶏肉の脂は出ている。これしか原因は考えられない。しばらく肉を使うメニューはやめる。
 胃を空にした父は、そのままベッドで寝てしまった。
 図書館、「縹」「アピタ」と回って3時過ぎ帰宅すると、父は炬燵で新聞を読んでいた。胃の痛みは消えて治ったと言う。
 夕食は卵雑炊とかぼちゃ煮をチンしたものだけにする。
 6時から「にしの」の移転パーティがあったので参加。いままでの店の三軒隣だが、広くてきれいだ。9時半帰宅。
 DVD「ダメージ」を見る。よくわからないドラマだ。
 今月は同級生の死と父の嘔吐という事件があった。自分は相変わらず結膜炎と白内障に苦しんでいる。だんだん寒くなる。寒くなれば結膜炎は治るだろう。だが、白内障はどうにもならない。

せんびき
ケイトキク


(次回へつづく)


大島 一洋  (おおしま・いちよう)
1943年岐阜県中津川市生まれ。早稲田大学第一文学部美術専修科卒。
大和書房を経て、平凡出版(現マガジンハウス)に中途入社。「週刊平凡」「平凡パンチ」「ダカーポ」「鳩よ!」などの雑誌および書籍編集にたずさわり、2005年定年退職。現在はフリー編集者&ライター。著書に『芸術とスキャンダルの間』(講談社現代新書)。
 
 
 
 


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