そら飛ぶ庭
   

介護日記
 
2010.8.9 

Diary of Country Life
Nursing of My Parents

自分、肋骨痛再発

自分、口内炎に苦しむ

父、猛暑にぐったり

大島  一洋 

茶の間で短歌の添削をする父

父について

 ある日、60歳のヘルパーさんに「大島虎雄さんて、どういう方なんですか」と聞かれた。9月に97歳になる父は、この町の小、中学校の校長を勤め、教え子は多いし、歌碑があるくらい地元の短歌普及に貢献してきた有名人である。誰もが知っていると思っていた。傲慢な錯覚だった。60歳のヘルパーさんとは37歳違うわけで、短歌に興味がなければ知らなくて当たり前だった。
 で、ふと考えてみた。自分はいったいどれくらい父のことを知っているのか。
 いやー、驚いた。ぼんやりした経歴しか浮かんでこないのである。
 父は、大正2年9月25日、岐阜県恵那郡下原田(現・恵那市上矢作町)生まれ。11人兄姉妹の4男(現在生きているのは父と弟一人と妹一人の3人だけ)。岐阜師範学校を出て教師になった。教師のスタートがどこだったかは知らない。岐阜師範の同級生だった藤田省三の紹介で妹の藤田道栄と結婚。昭和18年に自分が、19年に弟が生まれている。年子である。幼いころは住む所を転々とした。苗木(なえぎ)にあった農業学校の用務員室にいたのが自分の一番古い記憶だ。ここで妹が生まれたがすぐ死んだ。死因は麻疹だったが、心臓弁膜症の気配があったという。父の不整脈、自分の脈拍過多症など、重症ではないが心臓機能があまり強くない家系である。
 その後、知人の家に間借りしたりして、清水町の長屋(現在もある)に落ち着いた。6畳と8畳に台所が付いていたような気がする。この長屋から自分は南小学校に通った。父はその頃どこの教師をしていたのだろうか、わからない。
 現在の東町(ひがしまち)に土地を買い、家を建てたのは昭和28年、父が40歳の頃である。この家は、上矢作本家の山から材木を切り出し、本家筋の大工が建てたので非常にしっかりしている。両腕で抱えるくらいの梁が入っているとか。築57年である。

ひまわり
むくげ

■同窓会に27人参加

7月1日(木)晴
 朝食後、洗濯したあと1時間仮眠。天気がいいので毛布を干す。熱36度5分。
 午後、十六銀行からシルバー料金6月分、1万3000円を振り込む。
 図書館へ。『白い闇』を返却し、光文社の清張短編集『誤差』を借りる。「夢」「アピタ」と回って2時帰宅。夕方まで『一冊の本』を読む。
 夜、『小説新潮』7月号発表の山本周五郎賞受賞作2本を読む。貫井徳郎「後悔と真実の色」(抄)、道尾秀介「光媒の花」(抄)。
 9時過ぎ、「にしの」「じゅうべえ」とはしご。11時帰宅。シャワー。午前零時半、熱36度6分。

7月2日(金)曇
 午前中、1時間半仮眠。熱36度8分。
 午後、「夢」「アピタ」と回って2時帰宅。
 夕方まで『小説新潮』7月号。佐々木譲、今野敏の連載を読む。
 夜、明日から同窓会で自分がいなくなるため、明夕の父一人分のメニューを作る。これを見てヘルパーさんが作ってくれる。
 9時頃「にしの」にいると、同窓会出席のため前日帰省した西岡、纐纈、それに熊崎、高木、松原が現れる。カラオケ。11時解散。午前零時半、熱36度4分。

同窓会集合写真

7月3日(土)雨
 午前中、1時間仮眠。
 午後2時、淀川町の高木宅へ寄り、同窓会用の資料や景品などを持って駅前へ。今年の同窓会は地元・栗本(くりもと)にある「藤」という料理旅館。景色がよく、料理もおいしいし、温泉はラジウム温泉が効くと評判の店。
 午後2時半に「藤」の迎えのバス来る。2時45分の電車で名古屋方面からの同級生到着。バスで行く組以外に、直接クルマで「藤」へ行く組もある。
 いい景色なのに、ずっと雨。3時半「藤」到着。クルマで直行組と合流。参加者27人。クラスの半分以上が集まったことになる。そのうち日帰り組が9人。地元で同窓会をやると、ついでに実家に帰ることができるので集まりがいい。
 さっそく温泉に入る。まあまあの広さだし露天風呂も男湯女湯それぞれに付いている。露天風呂は屋根付きなので、雨でも入れる。目の前を付知川が激しく流れている。晴れていれば鮎釣りもできただろう。
 5時から宴会。日帰り組が8時のバスで帰るので早めの宴会スタート。料理はまずまず。
 鮎の塩焼きがうまかった。ビンゴゲームのあと幹事部屋でえんえんと飲む。実は酔っ払ってよく覚えていない。午前零時には寝たような気がする。宿泊組は男子10人、女子8人。

■村上春樹ロング・インタビュー

7月4日(日)雨のち曇
 午前7時半起床。温泉に入って洗面。8時半朝食。朝からビール。これがうまい。
 10時、直行組のクルマに分乗して「藤」を出る。雨が降っているので苗木城跡見学を止めて「遠山記念館」へ。苗木城主は遠山という。記念館には苗木城関係の史料が並んでいる。
 中津川市内に戻り、駅前の「更科」で蕎麦の昼食。またビール。午後1時半解散。まっすぐ帰宅して眠る。眠い、眠い。ビールのせいだ。夕方4時頃起床。
「アピタ」へ買い物に行き、いけだ書店に注文してあった『考える人』夏号を購入。村上春樹のロング・インタビューが載っている。
 夕食後、読み始める。箱根のホテルで2泊3日にわたって行なわれたもので100ページもある。インタビュー嫌いの村上春樹が、こんなに長いインタビューをOKしたのは『1Q84』を三冊書き終えて一段落したことと、還暦を迎えたことが理由かもしれない。「1日目」「2日目」「3日目」と進んでいく。インタビュアーは『考える人』編集長(現在は退職したよう)。
 同窓会で疲れたので11時に中止。入浴して缶ビール。午前零時就寝。
遠山記念館

7月5日(月)晴 暑い
 午前中、1時間半仮眠。
 午後、喫茶店「縹(はなだ)」「アピタ」と回り、1時半帰宅。
 自室の炬燵ふとんを窓に干す。炬燵をたたみ、机を出す。これが重労働。治りかけていた肋骨にまた罅が入ったよう。痛い。ベルトを巻く。炬燵がなくなってすっきりした。
 夜、『考える人』の村上春樹インタビューを読み継ぐ。ほとんどが『1Q84』についてだが、自作解説や分析ではない。真摯に答えているが、どうもつかみどころがない。それより彼の徹底した規則的な生活に驚く。一日10枚と決めたら毎日10枚書く。それ以上でもそれ以下でもない。10枚きっちり。音楽や映画、マラソン、着るものなどについて語っているが、最初の読者であるはずの妻の話がでてこないのが不思議だった。夜11時読了。シャワー。
「ラジオ深夜便」。阿木耀子の再放送。あれはいつだったか、作家の村松友視さんと阿木さんに対談をお願いした。司会は自分がやった。なんの話だったか忘れたが、自分が「男と女は違うんですかね」と言ったところ、突然、阿木さんが「男と女を区別することはありません。そういう考え方に抗議します」と怒った。激情タイプで不愉快な思いをした。また、『四季・奈津子』という映画で烏丸せつ子と阿木さんがヌードになった。試写室で撮影して『平凡パンチ』に載せたこともあった。古い話だ。

サルスベリ
ケイトキク

石原裕次郎の思い出

7月7日(水)曇 夕方雨
 午前中、1時間仮眠。肋骨が痛い。ベルトをしっかり巻く。
 午後、「梅の木」「アピタ」と回り「まるみ薬局」で肋骨用の湿布を買う。
 夜、『誤差』を読み継ぐ。10時、入浴して浴槽に浸かると右胸部がどーんと痛い。完全に元へ戻ってしまった。湿布をし、ベルトを巻く。
 午前零時、熱36度5分。
 大相撲名古屋場所、NHK放映中止決定。相撲部屋に警視庁の捜索入る。

7月10日(土)晴
 午前中、1時間仮眠。
 父が歌会に出かける日なので30分早目の11時半昼食。
 ここで、父の短歌歴について説明しておこう。
 父が短歌を始めたのは22歳の頃らしい。友人に誘われたが、さて結社をどこにするか迷った。友人が言うには、一生続けるつもりなら、選考が厳しい「アララギ」がいいとのことだった。どうせやるなら途中で止めたくなかったので「アララギ」に入会した。主宰者は土屋文明である。まず乙会員として添削指導を1年受けた。甲会員になって1年後、やっと作品が「アララギ」に載るようになった。その後、同好者が集まって中津川で短歌会を始めた。それが現在まで続いているのである。歌人としての名前は大島登良夫。
 遊歩道に平成9年9月に弟子たちによって建てられた父の歌碑がある。歌は以下。

 防人が ここに祈りて 越えたといふ 神の御坂の 峠に立てり    
                                    登良夫

父の歌碑

 弟の大島史洋(しよう)は父の影響で短歌を始め、故・近藤芳美主宰の「未来」に入会した。岡井隆の直弟子である。
 自分は短歌に興味がなかった。小説家志向で、上京後「文藝首都」に入会した。中上健次、勝目梓らがいた。
 父の「アララギ」は土屋文明が100歳で死去したあと四つの会に分裂した。その中で旧「アララギ」の方針を受けついだ「新アララギ」に父は所属している。
 昭和49年、満60歳で教職を退いたのを機会に第一歌集『更紗灯台(さらさとうだい)』を出した。その後『泰山木の下(たいざんぼくのした)』『恵麓集(けいろくしゅう→恵那山の麓という意味)』『恵麓後集(けいろくこうしゅう)』と歌集は4冊ある。

「夢」「アピタ」と回って1時半帰宅。父の寝室、茶の間、和室、廊下に掃除機をかける。
 夜、『文藝春秋』8月号を読む。「的中した予言50」が面白い。『誤差』を読み継いで読了。11時入浴。
「ラジオ深夜便」に石原まき子(北原三枝)が出ている。声が若いのに驚く。北原三枝には会ったことはないが、石原裕次郎には2時間インタビューしたことがある。気さくな人でサービス満点に喋ってくれた。ただ原稿チェックが厳しく、3回書き直しをさせられた。
 裕次郎と北原三枝と言えば、石原慎太郎作「狂った果実」である。監督は中平康。中平康の娘は中平まみという作家。まみちゃんとは何度か飲んだことがある。今どうしているだろう。ずるずると昔のことを思い出す。

■お盆の墓掃除

7月11日(日)曇のち雨
 朝食後、洗濯。1時間仮眠。
 父は選挙を棄権するという。雨のなか投票所の東小学校まで歩くのは無理だ。
 午後、図書館。『誤差』を返却し、清張短編集『内なる線影』とジャック・ケルアック(青山南訳)『スクロール版 オン・ザ・ロード』を借りる。「アピタ」買い物。2時帰宅。
 突然、口内炎が出た。肋骨は痛いし、体調不良。夕食まで『オン・ザ・ロード』を読む。ケルアックが1957年に発表した『オン・ザ・ロード』のオリジナル版で、章だても改行もなしで392ページも続く。集中力が切れないようタイプライターの用紙を長く繋げて書いたとか。だから仕上がりはロール状になっていたらしい。ギンズバークやバロウズなどビート世代のアーティストが実名で出てくるところがみそ。
 夜、8時過ぎ、参議院選挙速報を茶の間のテレビで見る。民主党敗北。みんなの党がすごい。無党派層が流れた。

7月12日(月)小雨のち曇
 雨が止んできたので「アピタ」で墓花を買い、父と打越(うちこし)の墓へタクシーで行く。雑草を抜き、落葉を掃き、墓を拭く。新しい花を活け、線香をあげる。帰りに服部石材店に寄り、石灯籠を小さいものに換えてもらうよう頼む。今のは大きすぎる上、角が鋭くて危ない。父はずっと気になっていたのだ。「灯籠があのままでは死ねん」と言った。
 11時半帰宅。昼のざるそばのつゆが口内にしみて痛い。
 午後、「夢」へ行かず。口内炎でコーヒーなど飲めない。
 夕食もほとんど噛まないで飲み込む状態。
 夜、『オン・ザ・ロード』を読み継ぐが、途中で諦める。清張短編集『内なる線影』を読み始め11時半読了。シャワー。缶ビール。ビールは口内にしみない。
 つかこうへい死去。肺ガン。62歳。2,3度会ったことはあるが付き合いはなかった。

墓掃除のあとの父

7月13日(火)雨
 午前10時、突然、東円寺の坊さんがお盆の読経に来る。なんの連絡もなしだ。あわててお布施3000円を包む。読経は5分。今後も毎年7月13日には来るとのこと。母が死んで東円寺の檀家になったのだから仕方ない。
 11時半に渡辺歯科。下の奥歯が舌に触れて傷ができ、それが口内炎の原因である。歯を少し削ってもらう。
 午後、「アピタ」買い物。
 夕食後、「田舎日記」を書く。9時過ぎ「にしの」。口内炎でも酒は普通に飲める。11時帰宅。

13日に坊さん読経に来る

■なぜかジャック・ケルアック

7月14日(水)雨
 午前中、1時間仮眠。
 午後、図書館へ。松本清張コレクション『黒い画集T』とジャック・ケルアック&ウイリアム・バロウズの『そしてカバたちはタンクで茹で死に』(山形浩生訳)を借りる。15万冊しかない小さな図書館にケルアックがなぜあるのだろう。図書館員の選択か市民の申請によるものか。ちなみにケルアックで検索したら、過日借りた『スクロール版 オン・ザ・ロード』と『そしてカバたち………』の2冊しかなかった。最近、祥伝社から『ケルアック』イヴ・ビュアン(井上大輔訳)が出たようだが。
「アピタ」で買い物し、いけだ書店で『週刊朝日』『週刊文春』を購入。1時帰宅。夕方まで『週刊朝日』を読む。
 夕食後、仏壇に飾るちょうちんを組み立てる。忘れていたのだ。
 夜、『そしてカバたちは………』のあとがきから読み始める。本文は読む必要がないような気がする。
 11時入浴。浴槽に漬かっても肋骨は痛くないが違和感は消えない。
 午前零時、熱36度5分。

7月18日(日)晴 猛暑
 朝食後、洗濯。1時間仮眠。
 午後、「夢」「アピタ」と回り、1時半帰宅。今日は茶の間の絨毯を巻き取ることになっていた。炬燵をたたんで廊下に出し、掃除機をかけたあと、父と二人で6畳分の絨毯を巻いた。畳の上に6畳分の茣蓙を敷く。机を出して茣蓙の上に置く。
 夜、松本清張『黒い画集T』を読み継ぐ。11時シャワー。缶ビール。午前零時、熱36度6分。

毎日行く大型スーパー「アピタ」

7月19日(月)海の日 晴 猛暑
 午前中、1時間仮眠も暑くて眠れない。
 午後、「夢」「アピタ」と回って1時半帰宅。今日の父が自分に命じた仕事は、応接間の椅子に掛けてあるシーツと、台所のカーテンを夏物に換えることだった。
 夜、『黒い画集T』を読み継ぎ読了。
 熱帯夜。シャワー。缶ビール。午前零時半、熱36度5分。

■昔の恋敵

7月20日(火)晴 猛暑
 扇風機を押入れから出す。10年以上たった扇風機はモーターの部分が加熱して火事になる、と新聞に出ていたので注意する。
 午後、図書館。松本清張『黒い画集U』を借りる。
 夜、9時頃「にしの」へ行くと、どこかで見た顔があった。しばらくして気が付いた。高校時代にガールフレンドを争った男だった。50年振りである。懐かしい。結局、彼も自分も彼女に振られる結果になったのだった。11時半帰宅。シャワー。焼酎水割り。
 午前零時、熱36度6分。室内温度35度。熱帯夜。

ノーゼンカツラ
ハルシャキク

7月23日(金)晴 猛暑
 熱中症が怖いので、「アピタ」でクール・ネック・ヘッド・バンドを買う。保冷剤を冷凍庫で冷やし、袋に入れて首に巻くやつ。これは気持ちがいい。
 図書館で、吉田修一『悪人』を借りる。新聞連載中に読んでいたのでもういいかと思ったが内容を忘れている。たまたま棚にあったので遅ればせながら読むことにした。
 夕方、父が炬燵ふとんを押入れに入れるのを手伝えと言う。なんだかいっぱい詰まった押入れの上段の隙間へ入れる。父の指示があれこれとうるさい。暑くて汗がだらだら流れる。「俺は親父の奴隷か」と言いたくなった。
 夜、『悪人』を読んだあと「にしの」。11時帰宅。シャワー。焼酎水割り。午前零時半、熱36度5分。
 
7月24日(土)晴 猛暑
 午前中、1時間仮眠。
 午後、「夢」「アピタ」と回って2時帰宅。連日の猛暑。夕立もない。父の寝室、茶の間、和室、廊下に掃除機をかける。
 夜、『悪人』を読み継ぐ。「ラジオ深夜便」。映画の字幕翻訳家の戸田奈津子がしゃべっていた。戸田さんを知らない編集者はいないと思うが、自分の一番の記憶は、サム・ペキンパーが来日してインタビューしたときだ。築地のしゃぶしゃぶ家で戸田さんが通訳してくれた。ジェイムズ・コバーンも同席していた。あれはいつのことだろう。

白い百合
オイランソウ

■自室の大掃除

7月25日(日)晴 猛暑
 朝食のとき父が、自分の部屋の絨毯を巻いて茣蓙を敷け、と言う。帰省してから5年間一度も絨毯を巻いたことがない。6畳びっしりの絨毯だから、上の物を全部どかさなければならない。かなり面倒だが少しずつやることにする。
 洗濯して1時間仮眠。
 午後、「アピタ」で買い物して、部屋の整理を始める。まず溜まった週刊誌を縛る。その他の雑誌もいらないものを選んでしばる。
 CDボックスと小さいタンスを廊下に出す。これで部屋の半分が空いたので掃除機をかけたあと絨毯を半分だけ巻く。畳に掃除機をかける。残りの半分が大変なので、明日にする。
 夜、『悪人』を読み継ぐ。午前零時、熱36度3分。平熱。

7月26日(月)晴 猛暑
 午後、「夢」「アピタ」と回って1時半帰宅。自室の整理。まず半分巻き上げた絨毯の端に茣蓙を当て、半分まで敷く。こちら側半分にある机、パソコン、プリンター、本箱などを向こう側に移す。これがけっこう大変だった。ことに本箱は本を抜かないと運べない。
 やっと絨毯を巻き取り、紐で縛って出窓下に収納。茣蓙をぴっちり端まで敷き。向こう側へ移したものを順番にこちらへ運んだ。きれいになった。茣蓙は気持ちがいい。
 夜、『悪人』を読み継ぎ読了。「置き去り小説」とでも評するか。でも面白かった。
 熱帯夜。11時シャワー。缶ビール。午前零時半、熱36度5分。

ミニひまわりに止まる蝶
赤いダリア

7月28日(水)晴 猛暑
 午前10時、ケアマネージャー垣内さん来。月末の定期面談。「虎雄さんの年齢でこんなに元気なひとは中津川にはいませんよ。たいていが寝たきりか施設に入っています」と言われた。父には聞こえていない。
 午後、図書館へ。小説の下書き。タイトルを「彼女について」と決め、一話読みきりではなく、連載にする。年3回の同人誌では完結までに3年くらいかかるかもしれない。
 夕方6時半「寿司政」へ。同窓会幹事の山おろし(慰労会)。柘植、高木、熊崎、牛丸、水上。丸山は欠席。8時半「にしの」へ移動してカラオケ。10時半解散。11時前帰宅。入浴。焼酎水割り。午前零時半、熱36度6分。

庭を見る父
百合の花

■やっと雨

7月29日(木)雨
 久し振りの雨。涼しい。一日中降った。
 洗濯し、廊下に干す。
 午後、銀行から東京へ生活費を振り込む。「夢」「アピタ」と回って2時過ぎ帰宅。
 夜8時、還暦合唱団。雨のせいか参加者が少ない。昨夜一緒に飲んだばかりなので「かかし」へは寄らず、まっすぐ帰宅。寒いくらいの陽気。室内温度26度。シャワーのあとパジャマの上にジャージーを着る。『黒い画集U』を読み継ぐ。午前零時半、熱36度7分。

7月30日(金)晴 猛暑
 たった一日で猛暑がぶり返した。
 午後、本町の遊歩道まで歩き、父の歌碑の写真を撮る。暑くて倒れそう。「アピタ」で買い物しながら涼む。「まるみ薬局」で血圧を測る。128−62。脈拍98。良好。
 一度帰宅してから「後藤理髪店」。
 夜『黒い画集U』を読み継ぎ、「にしの」「すし天」とはしご。11時半帰宅。シャワー。焼酎の水割り。午前零時半、熱36度6分。熱帯夜。
 女性の平均寿命86・44歳。男性は79・59歳と新聞に出ていた。自分は79歳まで生きる自信はない。

女郎花
エキナセア

7月31日(土)晴 猛暑
 午前中1時間仮眠。
 午後、「夢」「アピタ」と回って2時帰宅。父の寝室、茶の間、廊下に掃除機をかける。父はベッドの上で雑誌を読んでいた。ついでに坂道の落葉を掃き、雑草を抜く。帽子にクール・ネックをしていたが、熱中症になりそうだった。
 7月分の生活費の精算。総出費10万2726円。10万超したが、野菜、果物がやたら高いので、まあこんなもんだろう。父の机の上に置いておく。
 夜、『黒い画集U』を読み継いで読了。
 入浴。缶ビール。「田舎日記」を書く。熱帯夜。
 今月も無事終わった。来月も猛暑が続くのだろうか。父は毎日ぐったりしている。なんとかしのいでほしいと祈るのみ。                

                                  (次回へつづく)

大島 一洋  (おおしま・いちよう)
1943年岐阜県中津川市生まれ。早稲田大学第一文学部美術専修科卒。
大和書房を経て、平凡出版(現マガジンハウス)に中途入社。「週刊平凡」「平凡パンチ」「ダカーポ」「鳩よ!」などの雑誌および書籍編集にたずさわり、2005年定年退職。現在はフリー編集者&ライター。著書に『芸術とスキャンダルの間』(講談社現代新書)。
 
 
 
 


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