2007.11.26
 
長宗我部様 タイトルをお願い致します
 
大島 一洋

 

10月10日(水)晴
写真

母と自分(自宅廊下で)

 午前7時起床。母の顔を温かいタオルで拭き、おむつ替え。パットもおむつもぐっしょり濡れていた。ポータブルトイレに座らせたまま朝食の準備。少し排尿した。
 台所へは車椅子で運び、少し支えて歩かせ、台所専用の椅子に座らせた。母が朝食を終えるのに1時間かかった。
 午前10時、可知医院で血液検査の結果を聞く。ガンマGTPは700とまだ高い。GOT,GTPは基準値内に下がった。中性脂肪は400。まあこんなもんだろう。わずか10日間の禁酒だから、そんなに良くなるはずがない。これからは減酒しつつ下げていく。
 昼食は月見きつねうどん。うどんが茹で上がったところで、母を台所に連れてきたが、とたんに「うんこしたい」と言う。慌ててポータブルトイレを台所に運んだが間に合わなかった。パット、おむつ、パジャマまで糞だらけ。父は呆然として立っているのみ。ペットボトル・シャワーで母の尻を洗い、パット、おむつ、パジャマを替えて昼食させる。
 夕方、ヘルパーさんが来たので母を台所へ。以前と同じようにヘルパーさんと会話させるため。「道栄さん、久し振りやねえ」「だれやったか、忘れてもうた」「お元気ですか」「元気やけど、なんの得にもならんわ」珍しく会話が成立した。
 夕食後、入れ歯を出させて洗い、寝室のP.Tに座らせる。排尿したので夜間用の厚手のパットを当て寝かせる。終了6時半。
 夕刊、ニュースを見て自室へ。DVD「デスノート」前編を見る。

 

10月11日(木)曇

 午前8時に市民病院。母が坂下老健を退所したので、主治医の中井先生に報告。薬28日分の処方。今後は近所の可知医院で診てもらうようにし、市民病院へは来なくていいと言われる。そのほうがこちらも助かる。
 正午、母のおむつを替えようとしたら、大量の排便。二日続けてだ。ペットボトル・シャワーで洗う。この糞の始末だけは嫌になる。
 午後2時。自宅応接室で母の今後について担当者会議。ケアマネ垣内さん、ヘルパー担当の佐伯さん、ナーシング・ピアの女性、神坂(みさか)にある施設「広済寮」の安江さん。父も参加しているが何も聞こえていない。自分が大声で通訳する。
 ナーシング・ピアへのデイサービスは毎週火曜日午前9時から夕方4時までとする。リハビリ・ヘルパーは毎週金曜日午後3時から4時まで。
 「広済寮」へのテスト入所は10月15日から18日まで。
 とにかく短期入所でいいから、できるだけ施設の世話になりたい旨を伝える。このままずっと自宅介護を続ける自信がない。ストレス発散の酒量が増えて自分のほうが危ない。
 3時に終わり、みんなに寝室の母を見てもらう。「えらい大ぜいの人やねえ」と母は嬉しそうだった。
 夕方、台所へ連れて行こうとしたら、母は自力で車椅子に乗った。その気になればできるのだ。茶の間の途中で車椅子を止め、歩かせてみる。両手を支えてやれば10歩くらい歩けることがわかった。台所の椅子へもすんなり乗った。気分屋だから、毎日とはいかないだろう。
 夕食時、父が「下血したから食事はいらない」と言い出した。明日、可知医院へ行くことにする。
 6時頃、ケアマネの垣内さんから電話。「昼間の会議のとき、虎雄さんの顔色が良くなかったけど大丈夫ですか」と言う。さすが元看護婦、ちゃんと見ているのだ。下血したことを伝えると、すぐに飛んで来てくれた。血圧140−80で正常。腹部を触診。父は垣内さんの言いなりだ。あれほどケアマネージャーを嫌っていたのに、母が脳梗塞で倒れてからは、垣内さんを信頼している。
 腹部に血が溜まっている気配はないので、明日は食事しないで可知医院へ行くよう言われる。父はすぐ床に就いた。
 自室で読書。実家に帰ってから今日でちょうど一年になる。早いものだ。

 

10月12日(金)晴

 午前7時起床。母のおむつを見ると、また排便していた。坂下老健を退所したとき、下剤を服まされていたのかもしれない。
 可知医院へ父の順番取り。3番だった。
 母と二人で朝食。父は9時に可知医院へ。母が食事している間に洗濯。その最中に可知医院より電話。すぐ来てくれという。これはまずいなと思いながら駆けつけると、案の定、
入院だった。下血による貧血と脱水症状。いったん家に戻り、母を寝かせて、家中の鍵をかって可知医院へ。10時に救急車着。同乗して市民病院へ。今回は消化器内科の亀山という先生を可知先生が指定していた。亀山先生の診断は「心臓の薬を服むと下血し、下血を止める薬を服むと心房細動が起きる」という。どちらを取るか非常に難しいとのこと。
 病室は西棟410号室。6人部屋。「おまえに、えらい面倒かけるなあ」と父が言う。
 家に帰り、母に月見うどんの昼食をさせ、入院に必要なものを持ってまた市民病院へ。
 垣内さんと弟に電話で知らせる。弟は明日来るという。
 それにしても、去年とまったく同じ日に父が入院するとは。
 夜、「にしの」へ憂さ晴らし。4曲歌う。11時帰宅。

写真

市民病院
 
写真

救急車で運ばれる父
 
 

10月13日(土)晴

 午前7時15分起床。母の下痢は止まったよう。父がいないので、ベッドのテーブルで食事。自分の分もお盆に載せて持っていき、寝室で一緒に食べる。
 12時37分のバスで市民病院。東京から弟はすでに着いていた。父の顔色は良くなったが、下血止めの点滴のままで、あまり動けないし、耳が遠いので6人部屋で話すわけにもいかない。とりあえず命にかかわるほどの様子はない。午後3時10分のバスで帰宅。
 台所で母と弟と三人で夕食。夜、弟と「にしの」。11時帰宅。坂田明のCD。

 

10月14日(日)晴
写真

広済寮の前にある母の親友・澤田早苗の句碑
 

 12時37分のバスで弟と市民病院へ。父は昔痛めた左太腿の痛みが再発したとかで起き上がれない。初めて聞く話だ。
 午後3時10分のバスで市内へ戻る。「アピタ」で稲荷寿司を買い、母のベッドテーブルに、みそ汁、漬物、お茶とならべる。どうせ1時間かかるので、弟と回転寿司「丸忠」へ行く。帰宅したら、母はちょうど全部食べ終えたところだった。
 朝刊に、母の女子師範学校の同級生で大親友だった俳人・澤田早苗の死亡記事が出ていたので母に見せる。何か反応があるかと期待したが「早苗なんて名前はいくらでもあるわ」と言うだけだった。
 母は明日、神坂の「広済寮」にテスト入所するので、下着やタオルなどの準備をする。
 夜、雑誌読み。弟は10時半に寝てしまった。

 

10月15日(月)晴
写真

広済寮への搬送車に乗る母
 

 午前10時半に「広済寮」の安江さんの迎えの車到着。自宅の車椅子のまま搬送車に乗せる。自分が荷物を持って同乗。弟とはここで別れる。約30分で広済寮に着いた。すごい山の中。車がなければ行けない。「広済寮」は昔々延暦寺のお坊さんが旅人を泊めるために建てたのが始まりとか。母は和室に寝かされた。
 帰りは安江さんが、湯船沢というバスの発着所まで送ってくれた。バスは1時間に一本しかなく、10分前に出たあとだったので、タクシーを呼ぶ。正午過ぎ帰宅。
 父が入院、母が施設入所したため、今日から3日間は自分一人だけの生活。帰郷以来初めてのこと。
「はま」という店で夕食。「にしの」でカラオケ。夜の12時半まで飲んでしまった。

 

10月16日(火)曇
写真

施設「広済寮」
 
写真

広済寮の内部

 朝早く起きる必要がないので、目覚めたら午前9時。頭ガンガン二日酔い。
 後藤理髪店。12時37分のバスで市民病院。父に新聞、郵便物などを渡し、母が無事「広済寮」に入所したことを報告。
 2時35分のバスで市内に戻り、足裏マッサージ「エムズ」へ行く。
 「アピタ」にある台湾料理店でラーメンと餃子の夕食。帰宅して夕刊を読んだあと原稿書き。昨夜飲みすぎたので、今夜は自重。

 

  続きを読む
 
 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.