【特集】 私の介護奮闘記  「 田舎日記 」
2007.02.13
携帯の留守電に父の声が3回 故郷に45年ぶりに帰る 父母と暮らす決意
大島 一洋
取材予定をキャンセル
10月12日(木) 晴
 午後2時半に起床すると、携帯電話の留守録に、田舎の父の声が3回も入っていた。 「 ちょっと具合が悪い。連絡くれ 」
 あわてて田舎へ電話する。なかなか出ない。父と母は耳が遠いので、電話の音に気づかないのだ。やっと父が出た。「 どうしたの 」 と聞く。「 どうも変や、めまいがして、まっすぐ歩けんし、飯を食っても吐いちまう 」
ついに来たと思った。「 わかった、すぐ帰る。じっとしててよ 」
 1週間分の荷造りをして、駅へ歩きながら携帯電話で取材の予定をすべてキャンセルする。新幹線に乗り、名古屋経由で中津川駅まで4時間。実家に着いたのは夜8時だった。
  父は寝室で寝ていた。母も隣のふとんで寝ている。声をかけた。「 救急車呼ぼうか 」 「 いや、明日の朝7時にタクシーで市民病院へ行くで 」 どうやら頭はしっかりしている。そのまま寝かせておくことにした。母が半身を起こして 「 あんた、誰やね 」 と言った。ボケが3か月前より、かなり進んでいると知る。自分の部屋にふとんを敷き、近くの高木酒店で缶ビールを買ってくる。セルシン二錠とデバス二錠をビールで流し込んだ。
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自宅玄関。久しぶりに対面した。
 
即入院
10月13日(金) 晴
 午前6時、目覚まし時計で起床。父を起こし、着替えるのを待つ。母が 「 あんた誰やね 」 と寄ってくる。「 いちよう、です。あんたの息子 」 と大声で返事するも 「 なんや、ようわからん 」 と呟くのみ。タクシーを呼び、市民病院へ。神経内科の順番待ちは12番だった。
  午前中かかって、血液、レントゲン、CTスキャンの検査。体温37度2分、血圧172、101。診察結果は脱水症状と便秘、それと心臓不安。即入院。2週間は必要とのこと。南棟3階602号室。4人部屋だがかなり広い。父から必要なものを聞きメモする。
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中津川市民病院。これから通うことになる。
 タクシーで自宅に戻り、寝巻、下着、タオル、スリッパ、箸、マグカップなどを紙袋に詰める。母が茶の間で饅頭を食べていたので、二つかっぱらって病院へ戻るタクシーの中で食す。市民病院は西山という丘の上にあり、車で15分ほど。父は点滴を受けていた。「母ちゃんのボケがひどうなってよ。なんにもできんで頼むわ」と言う。自動販売機でお茶のペットボトルを買い、「とにかく水分を取ること」と言って枕元に置く。
 自宅へ戻ると、奇妙な音がする。浴槽からお湯が溢れていた。母が湯を出したまま忘れたのだ。米を1合洗い、炊飯器にかける。近くの巨大スーパー「アピタ」で惣菜を買う。夕方6時。母と台所で夕食。ごはん、みそ汁(豆腐、ねぎ)、ポテトサラダ、佃煮。
 「 父ちゃんは、どこいったの 」 「 病院 」 「 病院?」 「 そう 」 「 どこの 」 「 市民病院 」 「 市民病院?」 「 そう 」 「 どこにあるね 」 「 山の上 」 「 そうかね、父ちゃんもボケてきたからね 」
 母は夕食を半分残した。捨てるわけにいかないので自分が食べる。
 朝刊と夕刊をまとめて読む。嵐山光三郎氏が『悪党芭蕉』で泉鏡花賞を受賞したことを知り、すぐお祝いの電話。30分ほど雑談。
 東京の自宅へ電話し、妻に必要なものを宅急便で送ってくれるよう頼む。妻も義母を自宅介護している身なので動けない。弟・史洋に電話。状況を説明する。18日にこちらへ来るという。入浴後、洗米。ビールでセルシンとデバスを服んで12時就寝。母は入浴しないで寝てしまった。
 
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