【詩の庭】 遠くなった言葉と風景
2008.02.18
Vol.2 柴刈り縄ない
   
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今は荒川線を残すのみとなった都電

 新宿に角筈という地名がある。浅田次郎の小説に「角筈にて」というのがあった。角筈のバス停の近くで、お父さんに寿司をごちそうになった後、もう帰ってくることのない父親をそのバス停で待っている、という話である。
 「なんでも好きなものを食え」と、珍しくすすめる父に、「自分は捨てられる」という思いを抱きながらも、なお父を待つ子どもの切ない心が描かれている。
 このころはまだ都電は走っていなかったのだろうか。この小説には都電は登場しない。淀橋の伯母さんの家にこの少年はバスの回数券を握らされて預けられるのだが、バスを使っている。
 でも、この小説の中には「角筈のゴールデン街にゆこう」というくだりがある。この角筈一帯は広い意味で、歌舞伎町である。住所では「淀橋区角筈」であった。いまもゴールデン街は残っている。

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 西武新宿線の終着駅が入っている新宿プリンスホテルの方角から、四谷の方向に歩いてくると、明治通りと靖国通りの交差したところにでる。その左手に花園神社があり、右の奥は伊勢丹である。その斜め前には「新宿文化」というアートシアターギルドがやっていた映画館があって、大島渚らの創った難しい映画をやったり、深夜にはデビュー当時の米倉斉加年が出演する芝居をやったりしていた。
 この交差点あたりが「四谷三光町」でこの少し新宿寄りの所に都電の「角筈駅」はあった。
 黄色というより橙色に近かった。そんな色で化粧された路面電車のJ、K、Lの三つの系統が、この角筈よりもう少し大ガード寄りのところにあった都電の新宿駅に勢ぞろいした。それら三系統の都電の、つまり新宿が終点だったのだ。

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「角筈」の地名も消えて発展を続ける新宿

 このうちL系統は、角筈のところから大きく右にカーブして、都電の専用軌道に入っていく。この系統は新田裏を通って、若松町、牛込柳町、神楽坂というルートから水道橋に抜けていた。
 このL系統が通った専用軌道が現在、ゴールデン街に行くための遊歩道になっている。都電の軌道はもうすっかり取り外されてしまって、浮石道になっている。
 ゴールデン街の中に、この遊歩道を見ながら飲める店がある。そこの女性バーテンにシェーカーを振ってもらってカクテルなぞを飲んでいると、窓の外をあの橙色の都電が、あのモーターが回る音と、軌道の切れ目で出てくる音が混ざったようなあの都電特有の音を響かせて、風と共に通り抜けてゆくような夢をつい見てしまう。

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 この「角筈にて」の主人公の少年は、結局父には会えないのだが、成長して家族を持った後に、ある時花園神社の鳥居のあたりで、パナマ帽をかぶって、麻の背広姿の父を見かける。それは角筈のバス停で別れたのと同じ服装だった。「やあ、こんなところにいたのか」「戻ってきて、くれたんだね」という会話が交わされる。歩み寄ってくる父親の頭から、懐かしいポマードの匂いをかぎ取るのだが、これは幻影である。

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