【知の庭】
2009.03.16      
空海が修行した室戸岬
そこから元親は、阿波に攻めに入る
荒波と険しい山岳地帯から温暖の那佐

長宗我部 友親
 室戸岬は南国高知の果ての土地のように思われることがよくある。だが、その先には東洋町があり、甲浦という良港もある。いずれにしても、そのあたりが、かっては長宗我部元親の治める土佐の国の最南端だったところである。


室戸岬と波

■水深があり良好な港、甲浦
 甲浦は、山からすぐ海に落ち込んでいるような地形である。だから水深はすり鉢のように深くなっていて、大型船も入れる港である。
山の上には、斜面を這い上がった、水蒸気がつくる入道雲が、しばしばできて、豪快な風景を形成している。
 この港のすぐ先が、阿波徳島の那佐であり、海部一族の領地であった。
 室戸岬までは、行くことは良くあっても、そこから先にはなかなか進む決断ができなかった。けれど、国道に掲げられている看板に記されている「那佐」という字を見ると、何か胸騒ぎが起こった、記憶がある。
 その時は、乗用車で高知から来ていたので、意を決して行こうとしたが、同乗者に、「今回は日程的に無理」として、断られた。それでも心に残るものがあって、「那佐」という地名はずっと気になっていた。


空海の肖像

■空と海と
 室戸岬は、その先端にある洞窟で弘法大師、空海が修行をしたところでもある。水滴が落ちてきそうな、荒削りの岩肌がむき出したままである。
  空海はこの洞窟から、空と海を毎日眺めて、荒行をした。そして「空と海」、つまり空海という名前をつけたといわれる。しかし、この高知の室戸岬から山に入 る地形は、日本列島の中央構造体の線上にある一角で、鉱山地帯でもある。空海の修行の目的のひとつに鉱山師があったのではないかという見方も、根強く残っ ている。四国山脈一帯には、長宗我部元親が探ったという金鉱山などのあとがあり、それを追跡している人物から手紙を貰ったこともある。


海カメが来る日和佐の海岸線

■牟岐線から那佐へ
 この室戸岬を越えると、同じ土佐でも風がちがっている。暖かくやわらかい風が吹き、風景も少し違うように思う。それは、室戸岬の岩肌が波に洗われる激しい風景を見て、那佐からやってくるからだろうか。
 かっては、室戸から那佐にはいることを断念した。そして、それ以降、つまり私はこれまでこの室戸からのルートで那佐に入ったことは一度も無い。室戸から那佐にはいっていくルートは長宗我部元親の阿波侵略のルートでもある。
 意識してそうしているわけではないが、なぜかいつもそうなる。つまり、奈佐行きを計画すると、それは常に徳島市から牟岐線を通って、海部、奈佐へ行くルートとなってしまうのである。そこになにか因縁のようなものを感じる。


フェエリー「むろと」

■フェリーの災難
 この甲浦港で、かって不可解な“事故”が起こった。高知シーラインという会社が運行していた、カーフェリー「むろと」(6500トン)が、この甲浦港の岸壁に横付けにしようとして、座礁してしまったのだ。
 それも東洋町が3億5千万円の債務保証をして、買い入れたばかりの新型船である。船腹には大きな鯨の絵が、オレンジの絵の具で描かれていた。
 強い風雨によって起された波が、フェリーを大きく揺らして、とうとう座礁させてしまった。この事故により、フェリーの就航は消え去り、また静かなときが甲浦、那佐には訪れてきた。
 この港には何かが起こる。今も魔物が棲んでいるという住人もいる。


【写真出典】
室戸市ホームページ
美波町ホームページ


 
イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 
 
 


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