戦国勇将の庭】武将列伝    長宗我部元親の謎 (8)
2009.02.9      
那佐湾から
吹き上げてくる風
親房主従の無念を思う
二子島の慰霊の祠を移す

阿波国・那佐と親房(2)
長宗我部 友親

 長宗我部親房は元親の末の弟である。作家の司馬遼太郎によると気の優しい美青年で、元親にも可愛がられていた。だが、あるときから親房は病気と なり、次第に体が衰えていった、と土佐物語にはある。そのため元親は有馬温泉で病気療養させることを決めて、親房のために船を用意させた。
 親房主従は元亀2年(1571年)に浦戸の港を出て、室戸岬を廻った。しかし、その日は波が荒く室戸岬を越えたあたりで、いよいよ航行が難しくなった。
 波が比較的静かな那佐湾に入って、その日はしばし休むことにした。ところが、見知らぬ船の侵入に、海部の見張りは「すわ、長宗我部が攻めてきた」と勘違いしてしまい、親房主従は海部の部隊に総攻撃され、果ててしまう。
 この事件のあった入り江からもう少し室戸寄りのところに、竹ヶ島というところがある。ここはもともと海賊が住んでいたといわれ、「戎」という姓の人が多い。


吉野神社の境内の木。
中央にある木の枝が丸く、円形をしている。


■不思議な出会い

 「戎」に「貝」を合わせれば、「賊」になります。とその土地の人に教わった。「なるほど」と思ったが、ここの人が親房のことをよく知っていた。代々那佐湾で起こった「親房主従の悲劇」のことは聞かされている、とのこと。
 竹ヶ島は現在は、海洋自然博物館や海底探訪船などがあって、観光の島として、知られている。この周辺にはきれいな珊瑚礁がありクワノミなどの青や赤い色をした魚がたくさん泳いでいる。
 漁師焼けだろう。真っ黒に日焼けしたあたかも海賊風のおじさんに、おそるおそる「親房主従が討死にしたのはどのあたりですか」と聞いた。すると、「知っているから」と快く、その場所といわれているところへの案内を引き受けてくれた。

 その男が指差す先には、海面からわずかに突き出た小さな岩であった。「あの岩の上で、親房殿は切腹された」と、その男は語った。  あたりに物音はなく、海は、濃紺といってよいくらいの青さで、穏やかに、静まり返っていた。

   確かに、思いをめぐらしてみれば長宗我部盛親が慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、破れて以来、土佐は山内が藩主となり、世の中は徳川の時代になった。 とすれば、徳川の敵となった長宗我部の縁者が土佐の国境を越えて、はるばるこの阿波の那佐にはなかなかやって来れなかっただろう。


那佐湾の入口。
早朝、漁船が漁に出かけてゆく。


■慰霊碑

 でも、とにかくいろんな人との不思議な出会いなどもあって、親房主従が果てた地に、今足をつけて、那佐湾を見下ろし、激戦のあった海から吹き上げてくる風をいま自分は受けている。
 風には台風のような荒々しいのもあるが、「走れメロス」のように友情に向かっていく熱いもの。また、堀辰雄の「風立ちぬ、いざ生きめやも」という、生きることを勇気付けるものもある。
 でも、今那佐湾から吹き上げてくる風は、そのいずれでもなく、複雑な幾重にもなった心というか、何か複雑なものが感じられるのである。それが歴史のもつ 重さなのだろうか。自分が勝手に思っているからだ、といわれればそれまでだが、でも「何かを求めているような」、といった思いを、その風に感じたのであ る。そこから、房親主従の慰霊を思い立った。

 「那佐湾から吹き上げてくる風に、ある思いを引き起こされました」。そういう話を、ある席で、那佐の地元の徳島新聞の東京支社長にした。そうすると、直 ちにその人からは、東京での徳島県の経済関係者が集まる会で「その話をしてほしい」、とすすめられた。それから、一気に那佐に親房の」慰霊碑を建てる話 が、動き出したのである。


左は「元親記」。
右は長宗我部親が創流した水心流「虎嘯館」の設立時の規約書。


■目の悪い人が生まれる

 那佐湾の一番奥まったところに小さい島が2つある。二子島と呼ばれている。江戸時代は、この島に島弥九郎主従の霊を慰める小さな祠があった。その後、こ の祠は近くの陸地にある吉野神社に移され、合祀された。土地の人は、二子島からゆかりの石なども運んで吉野神社に祀った。
 そして、毎年春と秋にお祭りも行われている。しかし、この土地には、代々目を患う人が多く、「親房が目が悪かったために、その無念が現れている」といったうわさが、長く語りつがれたりしていて、親房主従の慰霊に気を使っているという話も聞いた。
 そうしたことも背景にはあったことだと思う。この吉野神社の境内の土地の一部を借りて、慰霊のための碑を建てることを、土地の総代さんにも、心よく了解していただいた。


海部川上流付近

 土佐物語によると、この那佐湾の襲撃は海部越前の守によるものとなっている。「宮内少輔(元親のこと)に宿意有り、同姓の弟なれば、一人も余さじ」と、とある。
 さらに、この親房主従討ち死にの知らせを聞いた元親は「さても無念のことどもかな、我が一世の内に海部めが首取って、イバリの器にして仇を返さんずるぞ」と悔しがったという。


【写真出典】
海部川: 海部川 WEBサイト


 
イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 
 
 


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