【知の庭】
2009.01.27      
海部一族に襲われ
親房主従が討ち死に
有馬温泉に病気療養の途
美しい那佐湾の夕日

阿波国・那佐と親房(1)
長宗我部 友親

 那佐湾はうねりの強い太平洋を入り口として、ぐっと陸地に入り込んでいる。大海から船でこの那佐湾に入ってくると「仏の体内に、入り込んでゆくような、暖かさを次第に感じてくる」という話を土地の人から聞いたことがある。
 漁船が、あたかも自然が造った港のようにも見える、狭い奈佐湾の入り口の2つの突端になっている岬の間を通って、太平洋に出て行く。そして、その漁船、さらにはそれを見下ろしている者たちに向かって、海から強い風が吹きつけてきているのがわかる。


徳島県の那佐湾への入り口

■急斜面を流れる水

 この那佐湾の近くには、大うなぎのすむ海部川があり、それは四国山脈の奥地から、流れ落ちてくる清流でもある。なぜそんなに美しい流れかというと、山中に発する源流から河口までの標高差が1300メートルもあり、急斜面を落ちる流れの間に、水が洗われるためだという。
 那佐湾の夕日の美しさや、海部川の清流を眺めていると、心が自然に落ち着いてくる。
 この那佐湾の入り口の一方は乳ヶ崎という岬であり、その対岸に海部一族の海部城があった。


那佐の入江になったところ。中央にある岩の上にあがって
親房は切腹した、と土地の人は伝える。



■供養に訪れる人もなし

 那佐には、自分が幼いころから聞かされていて、気になることがひとつあった。だから一度はこの地に行かねばと思いつつ、実はもう壮年の域を超えて、老境に入りそうになり、意を決してこの地にやってきたのである。
 それは、自分の直接の先祖に当たる長宗我部親房(ちょうそがべ・ちかふさ)、別名島弥九郎親房(しま・やくろう親房)とその従者たちの霊を弔うためである。
 「海部一族に夜襲をかけられて、「主従ともに30人が那佐湾で死んでいる、その慰霊にもう何百年も行っていないと思うから、できればその地を訪ねてほしい」と、母親からかって聞かされていた。

写真
吉野神社の境内に建てた長宗我部親房主従の慰霊碑。


■親房主従が果てた地

 確かに、考えてみれば長宗我部氏が慶長5年(1600年)の関が原の戦いで、破れて以来、土佐は山内になり、世の中は徳川の時代になった。とすれば、徳川の敵となった長宗我部の縁者が土佐の国境を越えて、阿波の国である那佐にはなかなかやってはこれなかっただろうし、明治以降も室戸岬を越えてくるのは容易ではなかったと思う。
 とにかくいろんな人との不思議な出会いなどもあって、親房主従が果てた地に、足をつけて、那佐湾を見下ろし、激戦のあった海から吹き上げてくる風に、今体を包まれている。


大うなぎ。寝ているところです。なぜかお腹を上にして寝ます。


【写真出典】
海部川:海部川中流写真集
大うなぎ:「Web水族館ガイド」より。
海部町 大うなぎ水族館 イーランド(現在閉館中)



 
イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 
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