【知の庭】
2009.01.13      
  信長の死で
元親の四国統一が可能に
 光秀の重臣斎藤利光の妹を正室に迎える
 明智光秀との密約はあった

長宗我部 友親

 重臣、斎藤利三を総指揮官にして、明智光秀の軍勢が、織田信長の京都の宿となっていた本能寺を包囲した。
 梅雨のさなかの、天正10年(1582年)6月2日のことである。光秀の軍勢は、羽柴秀吉の中国攻め、支援に向かうために集めた1万三千である。抗しきれずと判断した信長は自刃して果てる。
 この明智光秀謀反の知らせは、中国路で、高松城攻めの途上であった秀吉をはじめ、諸将のところに送られる。当然、阿波の勝瑞城責めの最中であった元親の元にも届いた。知らせを聞いた元親は、このとき一気の城攻めをせずなぜか、動きを止め、しばし様子を見ている。


明智光秀

■元親攻めの軍勢が岸和田に集結

 この6月初旬には、織田信長軍には、秀吉の中国攻めのほかに、もうひとつ大きな動きがあった。時は本能寺の変とまったく同じ天正10年6月2日。織田信孝と秀吉の家臣である丹羽長秀の軍勢が岸和田に集結していた。
 これは、四国の長宗我部元親を攻めるためで、翌6月3日がその船出の日と決まっていた。阿波の三好康長が、長宗我部元親に攻められて、信長に泣き気を入れていたのがきっかけである。また、元親の四国での勢力が大きくなってゆくのを、快く思っていなかった、信長はこの康長の求めに応じて、元親攻めの軍勢を送ることを決めたのである。

写真
秦神社(高知市)に所蔵されている長宗我部元親の肖像


■信長は、一転四国攻めをお決意

 信長は、中国の毛利とともに、四国についても長宗我部の勢力を抑えようとした。もともと四国については、かって信長は長宗我部元親に対して「四国については元親の思うがままに切り取ってよい」との内容の、朱印状を出している。
 元親はいずれ、信長との摩擦が起こってくることを見通していた。そこで、長男の信親の名付け親に、信長を選び、その一字の「信」をもらって、息子の名を「信親」としている。その時に信長は信親に「左文字」の名刀を授けているが、この際に元親に「天下布武」として、四国は元親の力量にまかせる、との言葉を与えたのだ。
だが、元親が阿波南部を手中におさめ、さらに北部の勝瑞城にまで攻め上がってくると、信長も警戒感を強める。四国方面の取り締まりを担当していた明智光秀に対して、信長は、元親には土佐と阿波南部のみを与えるので、阿波北部に入るのを自重せよ、と伝えるように指示する。これを受けて、光秀は天正10年の2月に、阿波北部に攻め入るのをやめるように、元親に使者を送って伝えたとされる。

■元親と光秀の陰謀

 しかし、当時日の出の勢いで、阿波南部の海部城を落として、一気に阿波北部に攻め込んでいた元親はこの申し出を蹴る。元親にしてみれば、かって信長の許しをえていることである。その使いをしている光秀も「矛盾」はよく分かっていての伝達である。
 また、光秀は天正10年の5月15日に努めた徳川家康の接待役を、信長から突如解任されている。そして、四国担当も外され、秀吉の中国攻めの支援に回された。 四国攻めについても、現場指揮官は秀吉となった。もともと、四国についてはすべて信長から、自分に任され、進めてきていた。光秀にとっては、信長の四国の扱いについての方針転換は納得できないことであったし、四国担当の自分を外して、秀吉の支援に回されることもさらに納得はできなかったことであろう。


織田信長

■密約の存在

 元親に対する、「阿波北部攻めをとどまるように」との使者についても、その裏側での、光秀と元親との、内々の謀議はあった、と見る方が妥当と思われる。 当然のこととして、光秀の謀反により、岸和田に集結した、織田信孝、丹羽長秀の軍勢は、信長自刃の知らせを受け、海を渡る途上で慌てて引き返し、崩壊した。これにより元親は、しばし様子見をした後、阿波、さらに伊予を攻め、四国全土を制圧する。
 本能寺の変については、光秀と元親の間に何らかの密約があったと、思う方が自然である。


写真
勝瑞城の城跡


【写真出典】
明智光秀:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』明智光秀
織田信長:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』織田信長
勝瑞城の城跡:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』勝瑞城


 
イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 
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