【知の庭】
2008.10.14      
  白馬にまたがり
  生首をさげる

 長宗我部信親奮戦の像

 土蔵の中に残っていた掛け軸

長宗我部 友親

写真
土蔵の中に残っていた掛け軸

 かって、わが家の土蔵に入ったことがある。高知市の長浜に住んでいたが、そこは長宗我部元親が、初陣の長浜の合戦の時に、集結した雪渓寺の近くにあった。

■古銭とともに

 その蔵の中には、剣詩舞の創始者でもあった、祖父の親(ちかし)の荷物があり、火鉢とか、衣類とか、古銭とかが無造作に放りこまれていた。そんな中に、一枚の奇妙な掛け軸が残っていたのだった。
 そこには、白馬にまたがった美男の武士が描かれていた。それがなぜ奇妙かというと、その武士は鞍のあたりに、いくつもの生首をぶら下げているのである。さらに、担いだ槍の先にも生首がひとつ突き刺さっていた。そして、その武士の兜のあたりにも矢が一本刺さって、折れ曲がっている。
 なぜこんな絵が掛け軸になるのか。どういうときにこの掛け軸は使われたのか。

■血に染まった桂浜

 長宗我部元親の居城は、いまの高知市の浦戸にあった。浦戸というのは、桂浜のあたりの地名である。台風が四国に接近したとき、よくその波の高さを分かりやすく見せるためにテレビ中継される、あの月の名所の桂浜である。その桂浜の岬のようになったところから、山上に登っていったところが、元親の居城、浦戸城だった。
 だから、このあたりは、関ヶ原の合戦のあと、長宗我部の城を受け取りに来た徳川四天王の一人、彦根(滋賀県)の井伊直政軍と、長宗我部の残党との間で、すさまじい合戦が繰り広げられたところだ。大量の血が流さ、海はその血で染まった。
 ところが、今はなぜか、四国を制覇した土佐の雄である長宗我部の浦戸城の面影は微塵もなく、家臣筋の奇妙な格好をした坂本竜馬館が建っている。


写真
桂浜

■鯨を生け捕りに

 この浦戸城の跡に立つと、浦戸湾も太平洋も両方がともによく見える。それに、土佐を吹く風がほほに当たって気持ちがよい。
 元親がこの浦戸城に住んでいたころは、この浦戸湾には鯨が多く入ってきて、捕鯨が盛んだった。浦戸でも、太平洋側でも鯨があちらこちらで天に向かって潮を高く吹きあげ悠然と泳いでいたわけだ。
 元親はこの鯨を生け捕りにして、そのまま大阪湾まで引っ張ってゆき、豊臣秀吉に見せたという話が「土佐物語」に出てくる。

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長宗我部元親象(高知県・若宮八幡宮)

■無念を思う

 冒頭の掛け軸に戻るが、この掛け軸は、わが家では、元親の長男の信親ではないか、と伝えられてきた。だが、真偽のほどはわからない。
 信親は大分県の戸次川の戦いで戦死している。秀吉の命で、九州で勢力を伸ばしていた島津を攻めるため、元親も継嗣の信親を連れて参戦した。その戦で、無理な戦いを強いられて、信親は討ち死にし、元親もやっとの思いで逃げ帰った。
 元親はこの信親を溺愛していたといわれ、その死を境に性格すら変わってしまった。
 その信親の勇ましく戦う像を描かせて、それを軸にして、命日にその無念を思ったのではないのだろうか、と想像した。いずれにしてもこの掛け軸が何のために作られたかは、いまになってはもう誰にも分からない。


【写真出典】
若宮八幡宮
 
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