【長宗我部の庭】日本の城めぐり(40) 福岡県・小倉城
長宗我部の庭】日本の城めぐり (40)   福岡県・小倉城
2014.5.13

南蛮造りの小倉城天守閣

鴎外のゆかりの赤煉瓦の門柱

長宗我部友親

 

 


 小倉城は、豊臣秀吉の時代に、その家臣であった毛利勝信(かつのぶ)に与えられた。勝信は、紫川(むらさきがわ)河口西岸に造られていた古城を整備し、天正15年(1587年)に入城した。
 しかし、毛利勝信は関ヶ原の戦いで、西軍についた。そのため戦の最中に、中津城主の黒田如水に小倉城を攻め取られ、関ヶ原敗戦後、徳川家康によって、土佐に配流の処分となった。
 そのため、小倉城には、丹後国宮津から細川忠興がはいり、南蛮造りといわれる五層の天守閣を備える城に造り直し、居城とした。
 細川家は二代の忠利(忠義)の時、寛永9年(1632年)に、改易された肥後国熊本の加藤氏の後に入ることとなった。小倉城には播磨国明石から譜代大名の小笠原忠真(ただざね)が入城した。以後幕末まで小倉藩は小笠原氏が治めることとなった。

  小倉藩は、南の山岳地帯から北側の海に向かって流れ込んでいる紫川を中心にして西に城が造られ、東側に城下町が築かれている。小倉城の天守閣には破風がな く、五層だが、上の黒く塗られた五層目の方が、四層目よりも大きい、という変わった形をしている。これが南蛮造りといわれる理由である。
 天守閣の最上階からは、現在は公園となっている、かつての細川時代の家老長岡佐渡の屋敷跡など、緑豊かな地形が見渡せる。
 小倉の行事としては、夏の盛りの7月10日から12日までの3日間繰り広げられる「祇園祭」が知られている。この祭りの目玉は、一つの大太鼓を4人の打ち手が叩く祇園太鼓である。「やっさ、やれ、やれ」の掛け声とともに太鼓の両面で乱打するバチさばきは、小気味が良い。
 JR小倉駅前には、この祇園太鼓の像建てられている。地元の作家による「富島松五郎伝」を原作とした映画、「無法松の一生」は坂東妻三郎の主演で全国にヒットした。
小倉の街から望める山並みは、妙見山、足立山、小文字山と続き、妙見山には和気清麻呂が創建したといわれる妙見神社がある。
 また、小倉城跡には赤煉瓦の門柱が残されているが、これはかつての小倉師団司令部のもので、この連隊にはかつて森鴎外が軍医として赴任していた。

 

イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

 
 


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