【長宗我部の庭】日本の城めぐり
2013.4.9

安土桃山時代に松浦鎮信が築く

三方に海を擁し、天然の濠とする

オランダ商館跡が残る港町

長宗我部友親

 
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平戸城天守閣 


  平戸の港はポルトガルとの貿易が早くから行われていた場所である。平戸の城下町には、その貿易を進めた旧平戸藩主の松浦氏の屋敷跡があり、その近くにはカトリック教会の塔も見受けられ、異国情緒が漂う。

  平戸藩は平戸松浦氏の第26代当主である松浦鎮信(まつら・しげのぶ=法印)が、立藩した。鎮信は松浦隆信の長男で、平戸法印とも呼ばれた。永禄11年 (1568年)に、家督を譲られ、一時は九州で勢力を伸ばしていた龍造寺隆信の膝下に入るが、その後秀吉の九州平定の戦に参陣し、それによって平戸の所領 を安堵される。
 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、長男の松浦久信が西軍の石田三成方について伏見城攻めなどに加わったが、鎮信は徳川家康に与することを決め、その旨を伝えたために、かろうじて平戸藩を守った。
 
 平戸城は松浦鎮信が安土桃山時代の末期に築いた。亀岡城とも呼ばれ、三方を海に囲まれて、それを天然の堀としている。その丘の上に本丸が築かれている。 だが、慶長18年(1613年)には鎮信みずからが、城に火を放って焼き払っている。これは、長男の久信が死んだためにその悲しみのあまりの所業といわれ ているが、松浦家が秀吉との親交が厚かったために、徳川幕府に嫌疑を掛けられていてそれから逃れるためだったともいわれている。とにかくこのときに天守は 焼失した。
 現在は復元された天守があり、当時のものは石垣と櫓の一部が残っているのみである。また、城下町の平戸港の辺りには、名産の飛魚(あご)などが干されて いて、のどかな風情がある。オランダ商館跡などが国指定の史跡となっている。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルも平戸にやってきた。

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オランダ塀

イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

 
 


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