【長宗我部の庭】日本の城めぐり
2012.10.10

保科正直が治めた伊那谷の要衝

絵島が28年の幽閉生活を送る

長宗我部友親

 
写真 


 高遠城は、長野県の中部に位置し、伊那郡に属する高遠町にある。南アルプスと伊那山地に囲まれた山間地である。
その城は、杖突峠を源とする藤沢川と南アルプスに流れを発する三峰川が合流する深い谷に取り巻かれ、自然の要塞となっている。
しかし、春にはコヒガンザクラ咲き、多くの観光客が訪れる。このサクラは、明治に城の建造物が競売に掛けられ、丸裸になった際、城跡に植えられたものである。
 江戸時代中期に、江戸城大奥の御年寄の絵島が、山村座の歌舞伎役者・生島新五郎との逢引をしたことをとがめられ、この高遠藩に幽閉されることになった事件で知られる。絵島は八畳一間の部屋で警護の武士に見張られ二十八年間暮らした。

  もともと高遠城は、武田信玄の家臣保科正直が治めていた。しかし、天正十八年(1590年)、徳川家康が関東にやってきた際に、下総の国に保科正直は移さ れた。その後、毛利秀頼、京極高知と続き、慶長五年(1600年)には保科正光が旧領に復帰した。寛永八年(1631年)には徳川将軍秀忠の庶子である保 科正之が家督を継いでいる。
 保科家の次は鳥居家、内藤家と続く。
 三峰川の急流は現在は人造湖の高遠湖となって、その湖畔には復元された絵島の囲み屋敷が置かれている。
 絵島は、高遠城の北側にある杖突川沿いの蓮華寺に葬って欲しいとの遺言を残していたため、江島の墓は玉垣に囲まれて、蓮華寺の本堂の裏にある。絵島資料館も同寺に建てられた。

写真 

 
イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

 
 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.