【長宗我部の庭】日本の城めぐり
2012.6.12

阿波南部の守りの要

道善から香宗我部親泰へ

長宗我部友親

 
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牛岐城趾公園イルミネーション


   徳島駅からJRの牟岐線に乗り、海沿いの田園地帯を南下すると、小松島の少し先に阿南市がある。
 爽やかな緑風を受けて、電車を降りると、正面に喫茶店があり、美味しいコーヒーを飲ましてくれる。素朴な町である。
 JR阿南駅から徒歩で10分ほどで、牛岐城址に着く。城山と石垣の一部しか今は残っていないが、その城山に登ってみると、阿南の街と境界の山並みがきれいに見えて、この城が戦国時代には、南阿波の要衝であったことが、ひと目で分かった。

  牛岐城は、阿南市富岡町殿町にあり、至徳年間(1384年から1386年)に細川氏の家臣であった新開実重が、年代は不明であるが築城したといわれる。そ の後、天正10年(1582年)に城主であった新開実綱(道善)が、阿波の海部から侵入した長宗我部元親の攻撃を受ける。
 しかし、道善の抵抗は激しく、攻めあぐねた元親は一計を案じて、四国統一の後には牛岐城主の地位を安堵したうえ勝浦郡を与えるという条件で和議を申し出て、道善を丈六寺に呼び出し、酒宴を開く。そして、隠れていた元親の家臣が道善を襲った。
 この謀殺は、後の世にまで「丈六寺の血天井事件」として阿波の国には言い伝えられている。
 道善亡き後牛岐城には、元親の弟の香宗我部親泰が入り、阿波南部の要とした。蜂須賀時代になり、徳川幕府の政策で、「一国一城」となり、牛岐は阿波九城の一つとして、蜂須賀家の家老の賀島主水正政慶が城代となった。
 現在の阿南市は、発光ダイオード(LED)の生産が盛んで、「光の街」としてのイメージつくりをしている。

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丈六寺境内


 
イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

 
 


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