【長宗我部の庭】日本の城めぐり
2011.10.25

童謡「赤とんぼ」の里、龍野

本丸御殿などが再建される

長宗我部友親

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龍野城


 童謡の「赤とんぼ」(三木露風作詞、山田耕作作曲)で知られる播磨国・龍野は、小京都とも呼ばれ、古くからの町並みをよく残している。揖保川の清流が美しく、鶏篭山(けいろうざん)などの山並みに囲まれた静かな、城下町である。
 
 もともと姫路藩主の池田氏が龍野の領主であったが、池田光政が家督を継いだ時に、池田氏は鳥取に国替えとなった。その後には、上総国から本多正朝が入封して、龍野城を築いて、立藩した。
 しかし、その後、龍野は国替えが何度も続き、一時は天領ともなったりした。そして、延宝元年(1673年)に、脇坂安政(わきさか・やすまさ)が信濃国飯田から入封し、ようやく龍野の藩主は落ち着くこととなった。
 安政の後を継いだ安照(やすてる)は、元禄14年(1701年)に起こった赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件の際、その発端となった赤穂城の城受け取り役を務めている。

 龍野は、JR姫新線(きしんせん)の揖保川に架かる龍野橋を越えると、城下町の風情が一気に高まり、黒い屋根瓦を乗せた家々が建ち並ぶ。また、あちこちに古い醤油工場があり、醤油の日本四大産地の一つでもある。
 城下の北には、再建された龍野城の門があり、隅櫓、本丸御殿もある。また、脇坂氏が京都御所の再建に功績があったとして送られたという茶室の聚遠亭(しゅうえんてい)が残っている。

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イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

 
 


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