【長宗我部の庭】日本の城めぐり
2011.7.5

黒田長興が立藩、長屋門などが残る

山懐にたたずむ城下町

長宗我部友親

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秋月城


 福岡県の筑豊地方南部の嘉麻市(かまし)から、朝倉市に抜けるところにそびえる古処山(こしょざん)に、八丁峠がある。
 この古処山の山裾にあるのが秋月である。だから秋月にはこの八丁峠を通って入る。逆にいえば、秋月から福岡市内に抜けるには、かつてはこの八丁峠が欠かせなかった。古処山は標高859メートルあり、福岡県のほぼ中央にある。
 
 秋月藩は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでの戦功で、徳川家康から筑前守となった黒田長政の遺言で、その三男であった黒田長興が秋月5万石を分与され、立藩された。
 もともと、秋月城は秋月氏が築城したもので、秋月氏は筑前国一帯に勢力を広げていた時期もあったが、豊臣秀吉の九州征伐によって、秀吉の軍門に下った。その後、関ヶ原の戦いでは西軍に与したが、後に東軍に寝返って、日向国高鍋を安堵された。

 秋月城は、黒田長興が秋月藩を立藩する際に、大幅に改修され、天守閣等は持たない平城である。
秋月には山懐に囲まれた静かな城下町のたたずまいがある。野鳥川に架かる野鳥橋から街中に歩いてゆくと、秋月城の石段、そして長屋門がある。
 秋月には古い家臣団の屋敷が多く残されているが、中でも馬廻り組で知行三百石の家柄だった戸波半九郎の屋敷は現在も残されていて、秋月郷士館となっている。

 また、幕末の混乱期に父母が藩士に惨殺される姿を目の当たりにした息子が明治の時代となって、仇討ちを禁止されたのちも、仇を追い、その思いをとげるというあらすじの吉村昭の小説「敵討」は、この秋月藩に起こった出来事を素材にしている。
 秋月は、山脈に囲まれているため、名産は葛(くず)や焼き物などで、人物としては、医師の緒方春朔、儒学者の原古処、画家の斎藤秋圃らが出ている。

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イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

 
 


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