長宗我部の庭】日本の城めぐり (11)   松山城
2010.4.19

坊ちゃん列車が松山市内を今も巡る
松平定行が造った3層の堅固な天守閣

長宗我部友親

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 堅固な3層の天守閣を擁する松山城を造ったのは、伊勢の国桑名藩から松山城主として入った松平定行である。寛永12年(1635年)のことで、以降松山城はこの松平家が治めることになる。
 もともと松山城は加藤嘉明が築城に着手したが、天守閣が地盤の弱い山頂にあったことから、松平定行は松山藩主として、その大幅改築に着手した。
 天守閣も、安定さを選択して5層から3層に変え、27の城楼も造った。しかし、当初のこの天守閣は天明4年(1784年)に落雷による火災で一度焼け落ちてしまう。したがって、城郭全部が完成したのは嘉永5年(1852年)のことである。
 また、定行は松山が漁港だったことから、白魚の放流を行ったりして、漁業の繁栄にもつくした。一方、儒学や俳諧などの文化を松山に起こしたのは、4代藩主の定直である。
 松山には温泉があり旅行客が絶えない。道後温泉では、朝の6時半にドドーンと太鼓が町中に響き渡る。道後温泉本館の開湯を告げる太鼓の音である。
 一番湯は気持ちがよくて人気があるので、この太鼓とともにすでに玄関口に列をなしていた温泉客が次々と湯に入る。正岡子規や夏目漱石もこの湯を好んだそうだ。
 また、夏目漱石はその作品「坊ちゃん」の中で、松山市内を走っていた列車のことを「マッチ箱のような汽車だ」と書いている。このマッチ箱列車は、観光用 に「坊ちゃん列車」と呼ばれて、松山の城下町を現在も走っている。漱石が松山に赴任してきたころは蒸気機関車だったが、今の動力はディーゼルだ。

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 松山の市場にあふれている農産物ではみかんが一般的には知られている。温州みかんをはじめ、いよかん、ぽんかん、はるみなど豊富である。

イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

 
 


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