【長宗我部の庭】日本の城めぐり
2010.3.22

立花宗茂が柳川藩の基礎を築く
北原白秋が育った水郷の街

長宗我部友親

写真

 「私の郷里柳河は水郷である。そうして静かな廃市の一つである。自然の風物は如何にも南国的であるが、既に柳河の街を貫通する数知れぬ溝渠のにほいには、日に日に廃れゆく旧い封建時代の白壁が今なほ懐かしい影を映す。」

 「からたちの花」など多くの童謡も書いた詩人、北原白秋が「抒情小曲集 思ひ出」の序文「わが生いたち」の中で、故郷、柳川について、述べている部分である。造り酒屋の白壁が陽光にまぶしく光る柳川の風景とともに、白秋の柳川の街に寄せる思いがよくわかる。
 柳川の街に入ると鰻のにおいが、鼻を突くが、柳川の街の中心は、やはりなんといっても、人口の掘割が形成されている柳川城である。
 この城は旧くは蒲生治久(がもう・はるひさ)が、その原型を築いた。そして、柳川城には、この蒲生氏のあと龍造寺氏が入り、その後立花宗茂が城主として入城した。
 しかし、立花宗茂は関ヶ原の戦で西軍についたため、田中吉政(たなか・よしまさ)とその子、忠政(ただまさ)が一時治める。だが、その期間は短く、再び立花宗茂が、城主として返り咲く。それだけ、宗茂には実力と人望があったのだろう。
 それ以降、柳川は立花氏の城下町として、幕末まで続く。

イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

 
 


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