【長宗我部の庭】日本の城めぐり
2010.3.8

加藤清正が築いた名城
観光客200万人を越す

長宗我部友親

写真

  熊本城内には古木が意外に多く、木々の緑が安らぎを与えてくれる。5月には、栴檀の大きな木が満開で、紫の花が咲き乱れていて、奥ゆかしい香りを放っていた。

写真

 新しく完成した本丸御殿(写真手前)の前には大銀杏が、みずみずしい緑の葉をつけて繁っていた。
 銀杏は築城者の加藤清正が、城内に籠城の際の食料にと、植えさせたもので、このために熊本城は「銀杏城」の異名も持っている。しかし、西郷軍に攻められ た明治10年の西南の役の際に、火災にあって、天守閣などとともに銀杏も焼け落ちたが、一本だけ残ったのがこの銀杏だそうだ。

 熊本城に、内堀を見ながら入っていくと、「武者返し」といわれる急勾配に組まれた石垣が幾重にも続いて聳え立っている。その向こうはるかに、天守閣が見えるという格好だ。
 熊本城は、城造りの名手と呼ばれた加藤清正が7年の歳月をかけて、慶長12年(1607年)に完成させた。武者返しといわれる石垣の美しさは、見事なも ので、石垣と天守閣の組み合わせは、日本の城の中でも有数であろう。この石にいまだに西南の役の際の、弾丸の跡が残っている。
 熊本の街づくりも、この城を軸に造られていて、マンションの部屋は城が見えるか見えないかで、値段が変わってくるといわれるくらいだ。昨年の熊本城への勧告客は、沖縄の首里城を抜いて200万人を超えたという。
 豊臣秀吉の時代には、熊本のうち、宇土、益城、八代、は小西行長が治めていたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の役で、小西行長は西軍につき、加藤清正は東軍につく。この結果、加藤清正は小西行長の領地も治めることとなり、その所領は54万石となった。

イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

 
 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.