【長宗我部の庭】日本の城めぐり
2010.2.22

天守閣が黒塗りの「烏城」
城下には後楽園や旭川に掛かる月見橋

長宗我部友親

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 岡山はなんといっても、桃太郎伝説の街である。JRの岡山駅を降りるとまず目につくのは桃太郎と猿と雉の姿である。

 岡山駅前から、まっすぐのびる通りも「桃太郎通り」とも呼ぶらしい。その先には、岡山城の堀の役目も果たしている旭川があって、その川には月見橋がかかっている。

 日本三大名園のひとつである後楽園もある。しかし、そこで奇異なのは岡山城の黒塗りである。なぜか岡山城の天守閣は黒く塗りつぶされている。それゆえに岡山城は「烏(う)城」とも呼ばれている。

 

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後楽園より天守閣を望む

 備中、美作にその勢力をのばしていた宇喜多秀家が、岡山城を築城した。秀家の築城以降は徳川時代に城主となった池田氏が改修工事をしている。

 城は天守閣横に塩蔵を置く、関ヶ原以前の様式で造られていて、松本城や会津城と並ぶ。

 宇喜多秀家は古い石山城の地を利用して、その大改革に取り掛かった。石垣は自然の石を削らずにそのまま積み上げる野積み方式をとっている。旭川は、その川の流れを変えるほどに、大規模な普請を施した結果、本丸を囲むように蛇行することになった。

 天守閣は、三層六重になっていて、織田信長の安土城をまねたと思われる。通常、城主は天守閣の近くに、別の御殿を建てて、そこに住むが、この城の天守閣の中には「城主の間」があり、珍しい造りとなっている。宇喜多秀家の、心の持ち方の一端が分かるような気もする。

 宇喜多秀家は、関ヶ原の戦いで徳川家康に敵対したために、結局八丈島に流されて、そこで一生を終わっている。関ヶ原の戦いの後岡山城に入ったのは、小早川秀秋であった。

イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

 
 


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