【知の庭】
 
2010.4.12
戦国の勝者

江(後編)
西谷 史

 徳川秀忠に嫁いだ『江』は、最初京都の伏見城に住んだものの、ほどなく江戸城の西の丸に移り、夫が将軍になると大奥の主となった。おそらく義父の家康に会ったことは、数えるほどしかなかったはずだ。しかし、家康は終生彼女にとって目の上のたん瘤ともいうべき存在であった。彼女がそれを最初に意識したのは、長女の千姫の輿入れのときではなかっただろうか。

■江の千姫への愛

 徳川秀忠と江の長女である千姫と、豊臣秀頼の婚約が成立したのは、慶長三年(一五九八)のことであった。この時点では徳川家康は豊臣秀頼の臣下であり、二人の婚約はどちらにとっても政治的なメリットのあることだった。
 しかし慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の合戦の勝利によって、家康は天下を掌握した。いまさら千姫を秀頼に輿入れさせる必然性はないし、豊臣側には徳川家に対する憎しみが渦巻いている。「そんなところへ、娘を嫁にやれるものか」というのが、江の偽らざる気持ちであったろう。
 しかし、家康は嫁に行けといった。 
 慶長八年(一六〇三)娘の千姫が江戸城を出立するとき、心配で居ても立ってもいられなくなった江は、身重だというのに、娘とともに京都に向かうことを決意した。出産が女性にとって命がけの大事業であったこの時代、妊娠中の女性が、嫁ぐ娘につきそって数百キロの旅をするなど、ありえないことだ。それを江はやってのけた。そして千姫が嫁ぐのを見届けた翌月、伏見城で四女の『初』を出産している。この一事をもってしても、江がどれほど娘に愛情を注いでいたかがわかるだろう。
 しかし家康は、これほどまでして嫁がせた娘の婿、すなわち豊臣秀頼を攻め滅ぼしてしまう。千姫は救出され、有力大名である本多忠刻と再婚したものの、若くして息子と夫を亡くして寂しい人生を送ることになる。

■江の息子への愛

 江は千姫を産んだ後も二人の娘を産んだが、世継ぎの男子がなかった。そのため、夫の秀忠を初めとして周囲の者は一日も早く男子を産むようにと祈り、本人もまたそのために妊娠と出産を繰り返していた。
 そんな慶長九年(一六〇四)ついに待望の男子、後の徳川家光が誕生したのである。江の悦びはいかばかりであったろう。
 だが間もなく、江は深い失望を味わうことになる。この大切な世継ぎの養育は、江の手を離れてお福という乳母に委ねられることになったのだ。しかもこのお福は、明智光秀の重臣で、光秀とともに江の伯父である織田信長を殺した斎藤利三の娘であった。
 そもそも江が前半生で辛酸を舐めたのは、保護者である信長が殺されたからで、お福は仇敵の娘だ。そんな女性を乳母に選んだのは、家康の重臣である板倉勝重と本多正信であったが、もちろん彼らは家康の意に沿って乳母を決めたのである。
 明智の縁者などに負けてたまるかと、江は慶長十一年(一六〇六)次男を出産した。これが後の徳川忠長だ。忠長は兄の家光より容貌も美しく、利発だったことから、江は次男を溺愛し、やがてこの子に将軍職を継がせたいと願うようになった。夫の秀忠はなんでも妻のいうことを聞く人だったから、忠長を跡継ぎとして遇しはじめる。
 そうした状況に敢然と立ち向かったのが、お福であった。 
 お福は伊勢神宮に参拝するといって江戸城を抜け出し、すでに引退していた徳川家康のところに駆け込み、秀忠と江が正当な理由もなく長男を廃嫡しようとしていると訴えたという。これを聞いた家康は江戸城に向かい、長男が将軍職を継ぐべきことを宣言した。またしても、江は家康によって希望を打ち砕かれたのだった。

■江の意地

 江の長女の千姫は悲劇的な結婚をしたが、次女の珠は加賀藩第二代藩主前田利常に嫁ぎ、第三代藩主前田光高を産んだ。三女の勝は福井藩主松平忠直の妻となり、四女の初は京極忠高に嫁いだ。
 みな、それなりに有力な名家に嫁いだのだが、江が執念を燃やしたのは娘の入内、つまり娘を天皇の妃にすることだった。舅の家康が健在である間、これはなかなか容易なことではなかった。しかし家康が元和二年(一六一六)に死去すると、ようやく事態は動きはじめ、五女の和子は元和六年(一六二〇)後水尾天皇の女御として入内し、やがて妃となり第一〇九代明正天皇を産む。
 近江の小谷城に生まれ、父と母を戦乱の中で失い、三度の結婚を強いられた江は、第二代将軍の妻となり第三代将軍の母となっただけではなく、ついに天皇の祖母ともなったのだ。にもかかわらず、江にはギラギラした権力者のイメージがないのは、彼女が一切の政治的な権力を握ろうとせず、ひたすら子供の幸福を願って行動したからだろう。もちろん、それが子供たちのためになったかどうかは別として。

■江の死

 寛永三年(一六二六)九月十五日、江はその波乱にとんだ人生を江戸城で終えた。死因がはっきりしないため、お福が毒殺したという説まで流布されているが、江のまわりは命をかけて付き従う侍女たちが固めている。お福、後の春日局ともあろう者が、そんな危険な真似をするはずはない。危篤状態に陥ってから数日間息があったところをみれば、おそらく脳内出血ではなかったかと推測される。
 ただそのとき、愛する夫と子供たちが京都滞在中で、死の瞬間を看取ってもらえなかったのは残念なことであった。
 その埋め合わせをするかのように、夫の秀忠は妻のためにこれ以上ないほど盛大な葬儀を営んだ。その様子は『徳川実紀』に詳しく書かれているので、現代語訳しつつちょっと引用させてもらおう。
『あらかじめ、麻布野に荼毘所を設け、左右に大竹をもって柵をめぐらせ、下にこもを敷く。増上寺からこの荼毘所まで千間の間、こもの上に白布十反を敷き、一間ごとに龍旗をたて、両方に燭台をたてる。荼毘屋は百間四方の大きさがあり、檜で垣を作り、丹を塗り……』
 このように葬儀の様子が延々と記録されているが、すさまじいのは、沈香を三十二間も積み重ね、一度に火を放ったので煙は十丁あまりに及んだという記事だ。
 沈香というのは東南アジア原産の香木だ。これが一般に流布するようになったのは、徳川家康の時代になってからである。当然のことながら大変に高価な品であり、もし徳川実紀に書かれた通りの分量が焚かれたとしたら、それだけで数十億円の価値があっただろう。実際、江の葬儀は夫の秀忠の葬儀よりも盛大なものであったらしい。
 これほどまでに夫や息子たちに慕われ、戦国の妃としての栄華を極めながら、それでもなお幸せに見えないのが、江という女性の不思議なところだ。
                                   

西谷 史(にしたに・あや)
 三重県生まれ。東芝在職中にビジネス誌で連載をはじめる。1986年『女神転生』(徳間書店)で小説家に。同作品はゲーム化されミリオンセラーシリーズになる。
著書に『神々の血脈』『記憶』(角川書店)、『三番目のワッ』(毎日新聞社)、『東京SHADOW』(メディアワークス)、『タイムダイブ1986』(リーフ)、『黄金の聖獣』(光文社)、『水神の巫女』(学研)、『黄金の剣は夢を見る』(小学館)、『ど〜してねこ年はないのか』(主婦と生活社)など。
 
 
 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.