【知の庭】
 
2009.1.25
修羅の運命を生きた女

淀君(前編)
西谷 史
 

 天性の美貌で豊臣秀吉の寵愛を一身に受け、秀吉亡き後は多くの武将と浮名を流し、自らの矜持のために滅んだ美女――というのが一般的な淀君のイメージではないだろうか。しかし、当時の文献のどこを見ても淀君が美人だったという記述はないし、彼女が秀吉の愛を独占していた形跡もない。もともと親思いの古風な女だった淀君は、秀吉の子を産んだばかりに否応なく時代の荒波に呑み込まれていったのだ。

■悲劇の少女『茶々』

 茶々は、永禄十年(一五六七)、近江の戦国大名浅井長政と、信長の妹『市』の長女としてこの世に生を受けた。父親の長政は信長の盟友として将来を嘱望され、母親の市は天下一の美女。当時、茶々ほど恵まれた環境に生まれた子供はいなかっただろう。
 しかし、元亀元年(一五七〇)父親の長政が信長を裏切ったことにより、彼女の運命は暗転する。
 三年にわたる烈しい攻防戦の後、天正元年(一五七三)茶々が七歳のとき、彼女が生まれ育った小谷城は陥落し、父親は自害した。そして母親の市は茶々、初、江の三姉妹を連れて信長の保護下に入ったのだった。
 茶々が、小谷城でどんな暮らしをしていたのかを伝える資料はない。しかし彼女は豊臣秀吉の側室となった後、父親の浅井長政の十七回忌、母親の市の七回忌の法要を営み、無惨な死を遂げた祖父母の追善供養も行っている。ちなみに母親の七回忌に描かせたのが、歴史の教科書にも登場するあの有名な『お市の方』の肖像画である。こうしたことから推測すると、茶々は父方の浅井一族に深い愛情を抱いていたのではないだろうか。
 それから九年間、信長の庇護下では穏やかな日々が続いた。けれども天正十年(一五八二)本能寺の変で信長が亡くなり、母娘は再び運命の急流に押し流される。
 信長の重臣たちによる清洲会議の結果、市は柴田勝家と再婚することになった。けれどもそれから一年も経たぬ天正十一年(一五八三)勝家は豊臣秀吉に滅ぼされ、市は敵の軍門に下ることを潔しとせずに自害し、三姉妹は秀吉に保護されることになった。
 戦国時代、城と運命をともにした姫君は多い。しかしこの三姉妹のように、強大な軍事力を誇った父や義父が、なにかに取り憑かれたかのように滅び、二度までも落城を経験した女性は他にいない。
三姉妹がそれぞれ豊臣秀吉、京極高次、徳川秀忠という有力者の妻になって、男たちに負けない足跡を残し得たのは、この過酷な体験が身体に染み付いていたからだろう。

■秀吉の愛妾『淀』

 茶々が再び歴史の表舞台に姿を表すのは、それから六年後の天正十七年(一五八九)のことである。この年、茶々は秀吉の子供を身篭ったことにより、日本中の注目を浴びることになった。
秀吉には正妻の『寧』をはじめとして数限りない妻妾がいたが、だれ一人として彼の子供を授かることはできなかった。そんなとき、突然彼女が妊娠したのだから人々は驚き、もしかしたら不倫の子ではないかという噂が飛び交った。
 秀吉はそうした噂に激怒し、茶々とこれから生まれてくる子供のために淀城を築き、ここに茶々を住まわせた。これ以後、茶々は居城の名前から『淀』と呼ばれるようになる。
 そして天正十七年(一五八九)五月二十七日、長男の鶴松が誕生した。五十歳を超えてはじめて子供に恵まれた秀吉の喜び様は尋常ではなく、淀君は正妻の寧に次ぐ側室として扱われるようになる。
 だが、ここに淀君の不幸の根があった。
 義父の柴田勝家が滅んでからこの年までの六年間、彼女に関する記録は存在せず、どこで何をしていたのか、いつ秀吉の側室になったのかさえもわからない。もし鶴松を産まなければ、彼女の存在は歴史から抹消されていた可能性すらある。
 つまり妻としてではなく、母として表舞台に登場せざるを得なかったことが後の悲劇につながっているのだ。
 また、小説やドラマのように、淀君は秀吉の愛情を独り占めにしていたわけではない。秀吉の妻妾の中で最強の立場にあったのは、いうまでもなく正妻の寧である。寧は糟糠の妻というだけでなく社交に長け、人徳があり、側室も含めて秀吉に仕えるすべての女性を掌握していた。秀吉は、寧の管理能力を信じきっており、淀君とて寧の許可がなければ秀吉に仕えることはできなかった。
 けれども寧は優しい人であったから、淀君の産んだ鶴松を本当の子供のように可愛がり、その育て方にも心を配っている。おそらくこれは、淀君が寧の主筋にあたる織田家の血を引いていたためでもあるだろう。
 この寧に次いで、淀君と京極瀧子という側室が正妻とほぼ同じ扱いを受けている。実はこの二人は従姉妹で、瀧子は淀君の叔母の娘にあたる。瀧子は秀吉の側室の中でもっとも美しく聡明で、女性として秀吉にいちばん愛されたのはこの瀧子だったという説があるくらいだ。
 もし子供を産まなければ、淀君は瀧子の後塵を拝さざるを得なかっただろう。たとえば秀吉から淀君への書簡を見ると、秀吉は淀君のことを『かかさま』と呼んでいる。つまり秀吉にとって、淀君は愛人というより、宝物のような長男を産んだ母親だったのだ。

■鶴松の死

 この鶴松が誕生した翌年の天正十八年(一五九〇)三月一日、秀吉は関東の覇者北条氏に対する総攻撃を開始し、一気にこれを滅ぼし、同時に東北地方の諸大名を帰属させて、ついに日本を統一して京都に凱旋した。
 いまや秀吉は、名実ともにこの国の支配者となった。鶴松は、秀吉の人生の絶頂期に生を受けたといっていいだろう。
 一方、しっかり者の寧は朝廷や公家たちとのつきあいもうまく、若い武将たちには母親のように慕われている。また寧、淀君、瀧子の三人はそれなりに仲もよく、寧は淀君とともに鶴松を愛育し、秀吉は家庭的にも幸せいっぱいで、まさに我が世の春を謳歌していた。
 淀君もまた鶴松を産んだことによって、今後の栄耀栄華は約束されたも同然であった。母親の市が成し遂げられなかったことを自分はやった。この世に自分ほどの幸せ者はいないと思っていたかもしれない。
 けれども運命は、彼女の人生にまたも残酷な落とし穴を掘って待ち受けていた。天正十九年(一五九一)八月五日、淀君が自分の命のように思っていた鶴松が突然亡くなってしまったのだ。

西谷 史(にしたに・あや)
 三重県生まれ。東芝在職中にビジネス誌で連載をはじめる。1986年『女神転生』(徳間書店)で小説家に。同作品はゲーム化されミリオンセラーシリーズになる。
著書に『神々の血脈』『記憶』(角川書店)、『三番目のワッ』(毎日新聞社)、『東京SHADOW』(メディアワークス)、『タイムダイブ1986』(リーフ)、『黄金の聖獣』(光文社)、『水神の巫女』(学研)、『黄金の剣は夢を見る』(小学館)、『ど〜してねこ年はないのか』(主婦と生活社)など。
 
 
 


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