【知の庭】
 
2009.11.23
家康に殺された女

古代から続く悲劇

西谷 史

 家康の正室である築山殿は、十六世紀の中ごろ、駿河の太守今川義元の姪として生まれた。今川一族の姫御前として大切に育てられた彼女は、弘治二年(一五五六)駿府で松平元信(家康)と結婚した。
 当時の松平家は、今川家のくしゃみ一つで吹き飛んでしまうような小豪族にすぎず、家康はこの結婚によって今川家に足場を築くことができたのだから、妻を大切にしたことはいうまでもない。二人の間には長男信康が生まれ、築山殿は幸せな新婚生活を送っていた。けれども永禄三年(一五六〇)桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られたことから、彼女の運命は暗転する。


斎王の肖像

■家康の出世
 義元の死を勢力拡大の好機と見た家康は、妻子を駿府に残したまま岡崎城に戻り、今川氏の天敵ともいうべき織田信長と軍事同盟を結んでしまう。つまり、妻子を捨てて天下盗りの第一歩を踏み出したのだ。
 築山殿は殺されても文句はいえない立場だったが、義元の姪であったことが幸いして、永禄五年(一五六二)人質交換という形で家康の許に返された。
 しかし彼女にとって、岡崎は決して心安らげる場所ではなかった。長年今川氏に隷属し、戦場でこき使われてきた松平一族や家臣たちにとって築山殿は疎ましい存在であったし、築山殿も夫を尻に敷いてしまうような気の強い女性だったから、両者の間に溝ができるのは自然な成り行きであった。
 そうこうしているうちに家康は着々と領土を拡大し、夫婦の力関係は完全に逆転してしまう。はっきり言えば、築山殿は政治的には価値のない女になってしまったのだ。そんな妻に女性としての魅力も感じなくなったのだろう。元亀元年(一五七〇)、家康は岡崎城に彼女と嫡男の信康を残し、浜松城に移ってしまった。こうして夫婦が別居したことが、さらなる悲劇を呼ぶことになる。

■信長の娘、徳姫の手紙
 このころ家康と信長の同盟はいよいよ堅固なものとなり、永禄一〇年(一五六七)信長の長女徳姫が、信康の正室として岡崎城に嫁いできた。当初は仲睦まじい二人だったが、築山殿はこの徳姫に烈しく嫉妬した。
 信長のせいで今川家は滅亡に瀕しているというのに、いままたその娘が自分の城に乗り込んできて、息子の信康まで奪おうとしていると感じたのだろう。信康に側室をあてがい、徳姫と息子の仲を裂こうとした。
 信康も、駿府にいたころから母親と生死をともにしてきたから母親には従順で、自然と徳姫を遠ざけるようになった。
 しかしこの徳姫も、姑にいじめられて黙って引き下がるような柔弱な女ではない。父親の信長に宛てて、「築山殿は武田氏に内通しており、夫の信康もひどい人だ」と、いささかヒステリックな手紙を出した。天正七年(一五七九)のことである。
 信長はこれを真に受け、家康の家老である酒井忠次に対して、この手紙に書いてあることは誠かと問いただした。すると忠次は信康を弁護せず、その通りだと認めてしまったのだ。そうなったら信長も、「母子を処罰せよ」と言うしかないではないか。このときの忠次の対応は後々まで他の家臣に責められているが、当然だろう。

■築山殿死す
 信長の命令を受けた家康は、またもや妻と息子を見捨てた。有力大名になったとはいえ、甲斐の武田氏は虎視眈々と家康の隙をうかがい、東には北条氏が勢力を保っている。織田信長との同盟なくして、国を守ることはできないのだ。
 そこで築山殿を城外に連れ出して暗殺し、息子の信康には切腹を命じた。信康の死にはすべての家臣が涙したが、築山殿に同情した家臣はほとんどいなかったようだ。
 しかし、はたして築山殿はそれほどひどい女性なのだろうか? 確かに信長の娘に嫉妬して、家康に不利な言動を重ねたことは軽率の誹りを免れない。しかし、もし今川氏に仕えていたころの家康が築山殿と結婚していなかったら、周辺大名との戦いの最前線に駆り出されて戦死していた可能性もある。家康が今川傘下の武将としてそれなりの扱いを受けていたのは、築山殿のお陰だ。力関係が変わったからといって、愛妾をこしらえて他の城に去り、苦労をさせた正妻を放置するのは男としていかがなものか。
 実際、築山殿が怨霊になって関係者に祟ったという話も伝わっているのは、彼女の無念の思いを察した人も多かったからだろう。
 ところで、築山殿の事件があった八百年ほど前、驚くほど似た事件が朝廷を揺るがしていたのである。

■井上内親王の悲劇
 奈良に都があった八世紀の初め、時の権力者聖武天皇に王女が生まれた。井上内親王と呼ばれるこの王女は、幼いころに伊勢神宮に奉仕する斎王となることを定められた。
 そして、日本第一の巫女として十七年間もの長きにわたって伊勢神宮に奉仕した後、退下して白壁王という人の妻になった。
 当時の朝廷では、聖武天皇に代表されるように天武天皇の子孫が尊ばれており、天智天皇の子孫である白壁王は傍流であった。しかし、もともと優秀な人物であった白壁王は、天武天皇の直系である井上内親王を妻にしたおかげで頭角を現し、ついに帝位について光仁天皇となる。まさに妻の七光である。そして、井上内親王の産んだ他戸皇子が皇太子になった。
 しかしいったん帝位についてしまうと、夫婦の力関係は逆転する。また、臣下には名門の皇后や皇太子をこころよく思わず、自分の意に沿った人物を光仁天皇の後継ぎにしたいと考える者があらわれた。
 藤原百川である。
 そこで百川は、井上内親王が天皇を呪詛したという疑いをかけ、彼女を妃の位から引きずりおろし、呪詛を企む妃の息子を皇太子にしておくわけにはいかないという理由で皇太子も貶め、二人を幽閉してしまうのである。その後二人が同時に死んだのはおそらく毒殺だろう。
 名門の姫君が、有能ではあるが立場の弱い男と結婚して長男を産む。その後夫が出世して妻をうとんじるようになり、臣下が姫君と長男を殺すようにしむける。築山殿の悲劇は、まさに井上内親王の悲劇と瓜二つといっていい。死後、怨霊となって自分を殺した者に祟るところまでそっくりである。
 二人の死は、どんな名門に生まれようと、どれほど能力があろうと、女性は夫に人生を委ねざるを得ない暗黒の時代が生み出した悲劇といっていいだろう。源頼朝と結婚した北条政子だって、頼朝がもう少し長生きしていたら同じ目にあった可能性がある。
 そう考えると、男と女が対等な権利を有し、能力のある方がパートナーをリードして生きていける今は、本当に良い時代なのかもしれない。

西谷 史(にしたに・あや)
 三重県生まれ。東芝在職中にビジネス誌で連載をはじめる。1986年『女神転生』(徳間書店)で小説家に。同作品はゲーム化されミリオンセラーシリーズになる。
 著書に『神々の血脈』『記憶』(角川書店)、『三番目のワッ』(毎日新聞社)、『東京SHADOW』(メディアワークス)、『タイムダイブ1986』(リーフ)、『黄金の聖獣』(光文社)、『水神の巫女』(学研)、『黄金の剣は夢を見る』(小学館)、『ど〜してねこ年はないのか』(主婦と生活社)など。
 
 
 


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