【詩の庭】  夏の風物詩「蚊帳」
2008.05.12
水田のある日本では
欠かせない生活の道具

家族が一緒に中に入って絆を強める
応仁天皇のころに蚊帳の記述が残る

蚊帳のある風景

 あのタレントの山本モナさんは、血を吸う蚊を手で捕り押さえて、蚊の脚の縞模様を顕微鏡で見るのが楽しみだ、とどこかのテレビ番組で語っていたけれど、ほとんどの人は蚊に血を吸われるのはいやでしょう。蚊に刺されたあとは、かゆいし、第一あたりを「ブンブン」といって飛び回られるだけでも神経がまいります。
 このいやな蚊から逃れるためにできたのが、蚊帳ですが、最近はエアコンが発明されて、蚊の侵入口である窓が閉め切られるようになって、蚊帳の役割も次第に薄れてゆき、あまり見られなくなりました。


■「夏屋の里」が語源
 でも、蚊帳は日本の夏の風物詩としては、つい最近までもっとも知られていたものの一つだったのです。
  日本はコメを食の基本とした国です。だからそれをとるための稲作は欠かせないもので、そのための水田がある以上、蚊は発生します。だから、日本人と蚊の付き合いも長いのです。
 蚊帳という言葉は、応仁天皇が播磨の国を巡幸されたときに「賀屋の里」というところで、殿をつくって蚊帳をはったという記述が「播磨国風土記」にあって、それが最初とされているようです。


■中国から手法が伝わる
 蚊帳は中国から手法が伝わって、その素材には絹、木綿が使われ、奈良時代に蚊帳が本格的に作られ始めました。
 室町時代になって、この「奈良蚊帳」の売れ行きに目をつけた、近江国八幡の商人が、麻を使って蚊帳を造ったのが「八幡蚊帳」だそうです。琵琶湖特有の水分を含んだ空気が麻の縦糸を丈夫にしたといわれています。


■西川仁右衛門が最初に販売
 織田信長の時代に、ふとんの西川の創業者、西川仁右衛門が、近江八幡に本店を置いて「山形屋」を創業し、蚊帳の販売を始めたそうで、その時西川は19歳の若者だったといわれています。また、このころは蚊帳は、米にして2−3石という高価なもので、まだ上流社会のぜいたく品でした。
 このころに庶民にも蚊帳がなかったわけではなかったのですが、しかしそれは麻ではなく、紙で作られた粗末なものだったそうです。これでは暑苦しいですね。


■江戸の庶民にはぜいたく品
 寛永年間(1620年)。つまり江戸時代の初めのころには、麻を萌黄色に染めて、紅布のふちをつけた「近江蚊帳」ができて、広く人気が出たようです。これは昭和にはやったものに近いものです。
 当時、農家では「江戸の人は夜は青畳に寝て、蚊帳をつる」とうらやましがられていたそうです。

 一茶の句にも蚊帳が登場します。
  「馬までも萌黄の蚊帳に寝たりけり」
 いまはペット用の蚊帳なんて、のもありますけれどね。

 でも、実際は昭和30年代を境にして、エアコンが出来てからは輸出用のほかは、蚊帳の姿はすっかり見なくなりました。

■蚊帳の中で怪談話
 文化としては、蚊帳をつる仕事は子供の役目で、蚊帳の中に入る際には、その裾のところを2,3回はたいてそっと入るとか、いろいろ教えられました。いったん蚊が入ってしまうとそれを追い出すのが大変でしたから。
 また、蚊帳の中で、母親に聞かされた怪談話は、こわさが増してわすれられません。
 それに、家族はひとつの蚊帳に入って、その意識を高める機会にもなっていたのです。蚊帳は家族結束の役割も担っていたのです。
 このように日本の文化、風習を創っていた道具類が、科学が進む流れの中で、次々と消えていくのは残念です。




【写真】
写真1. 埼玉県三芳町立民族資料館
 
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