応募エッセイ


  ジャズ雑感回想
       ー吉田兼好児の土佐日記


                               清岡隆二

 土佐は真夏の陽気、柚子醤油で藁焼き鰹を肴に冷えた麦酒が旨い季節である。

 南国土佐の観光といえば、猫も杓子も龍馬桂浜・四万十川。私が生まれ育った東部の中芸は観光客にも見放され、少子高齢化の北風吹き荒ぶ中、時折地魚をくわえた野良猫が戯れる閑散とした街。

 授業さぼって昼飯食った筆山麓・土佐高同窓の幼年的高齢若者が集ってゴルフクラブは家に置き、遊び気分のボランティア、土佐空飛び関所・大江戸羽田空飛び関所の空飛手形・片道壱万円也、嬉しい様な空しい様な老骨年、レパートリーの少ない自前料理で昼飯を喰う。

 酒と落語とジャズの大江戸若衆時代。週末は近くの海辺のホテルやレストランで弾き語り、土佐の潮騒はジャズにならず、やっぱり演歌か!

 大江戸ジャズ時代が恋しい幕末土佐勤皇党志士的心情。清岡一族は土佐勤皇党二十三列士首領清岡道之助ルーツ:大江戸慶応学舎創業・福沢諭吉家と縁戚、ライオン宰相総理浜口雄幸と縁戚と云われるも当人は程遠い無天候型自由人、このDNAは全く持ち合わせていないのである。

 土佐は南国、クールジャズよりラテンジャズ、よさこい祭りはサンバが似合う、冠婚葬祭酒入り大歓迎、女はやり手。四人のイゴッソウが組みしてやっとの勝負‘’八キン女‘’と洒落で言う。去年は龍馬博に浮かれたが、今年は東日本大震災で南国土佐の観光は冷え切っている。

 想えば、学生時代は軽音楽部でジャズばかり四年生時はダンスホール回りのジャズ歌手として夜はプロ活動、好きな落語は新宿末広亭で円生・志ん生・好男子の円楽・可楽を楽しんだ。

 サラリーマン時代は第一次高度成長期の企業戦士であったが、夜になると時々銀座界隈を、そっと人目を避けて歩くジャズギタリスト、いわゆる二足のわらじを履く商社マンであった。

 商社で十年勤務した後、欧米他海外の企業や研究所で、まるでメジャーリーグの野球選手の様に短年契約ベースで請負人をしながら、波乱に平穏に中東の砂漠やレンガ造りの見知らぬ異国のビシネス街を歩きながら考え、明日はまた異国へ飛ぶ、東京に帰ればジャズクラブで演奏に耽る日々、音楽仲間と再会すると何時も酒や女よりジャズ談義に花が咲いた。

 南国土佐の今年の梅雨は暑い、何時も愛猫に聴かせるジャズ談義を庭の紫陽花が盗み聴きし、まだ、笑っている。


 

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