応募エッセイ


 夫婦の履歴・・・「ヤバイ、ヤバイ」
                      大塚芳子

師走半ばの風の強い日のことである。
急に思い立って、記憶もうすれかけている人に抗議文紛(まが)いの手紙を投函しようと企てた。
「突然このような手紙をお目にかけるご無礼を何卒(なにとぞ)御寛容(ごかんよう)賜(たまわ)りますようお願い申し上げます」
と、初めから手堅く書き出したものの、なんとなく後が続かないどころか猛烈な眠気に襲われた。

一体全体、今の今まであった激しい憤りのかたまりはどこへ失せたのだろう?
のみならず、(ツマラナイから止そう)など、とんでもない裏切りが聞こえてくる・・・。
どうやら、熱く燃えさかる自分に平気で冷水を浴びせたがる自分がいるらしい。
これを数式に置き換えればプラスマイナスゼロで、
やる瀬なくウロウロ立ち往生する図式かもしれない。
こんな心模様が日常茶飯事の近頃は、そろそろ笑えないアブナイ年回りだろう。

テレビでキムタク(木村拓也)のほっそり奥さん(静香)が、わき腹のお肉つまみ、
あのなんとも可愛い笑顔で「ヤバイ」とのたまうコマーシャルがあったが、
個人的にはお気に入りCMにランクしたせいで、つい(ヤバイ)と呟いてしまう。
当然だが、こちらは始末に終えない風をもはらんで先々が懸念され、
年のせいばかりにする持前のいい加減さが、収まらなくなったらどうしょうと思う。

他でもない、夫が人間ドックの診察結果に脳萎縮の早い進行を指摘された。
退職後の一年半の親孝行に彼此(かれこれ)見切りをつけるや物価の安い中国留学を決意。
当初は可笑しいほどの臆病風に吹かれて青色吐息の出国だったが・・・?

もはや2年と半年経つ現在、心身爽快な暮らしぶりにも拍車がかかった。
論より証拠、OB会員年報最新号を何気なく開いておどろいた。
「・・・日本語を勉強している女子学生たちと毎日とてもたのしく会話している。
日本にいてはこのようなことはありえないから幾分若返ったかもしれない。
もう少し滞在しようと思っている・・・」とヌケヌケ。
おおよそ第二の人生、花盛りのてんこもりでハッピーだろう。さらに、
(ヤバイ)脳萎縮を免れ「あっぱれ、あっぱれ」と称賛されたいらしい。

この夫から(ヤバイ)お鉢が回って来たのだろうと妻は合点したのである。

そして、もう永い半生の耐え難きを堪え忍び難きを忍びを願い下げに奮起したが、
こうして結婚仲人だった義叔父翁宛の文書をしたためる間も無くも忍び寄る睡魔だ。

やおらチャンネルを回すと、鞍馬天狗のチャンバラごっこ・・・。
往時馴染んだ筋書に、野村万斎さん扮する主人公を重ねて見るともなく見終った。
低学年向の普段ならイライラする単調ささえ、申し分なく快い。
それもそのはず、優男の鞍馬天狗は意外な骨太で
――親の敵討などツマラナイ。もっと大きく正義に生きるだけ――
(そのとおり、争いごとは全部ツマラナイさ)と妻はわがことの様に呟き
(義叔父さんへ年賀状でよろしく伝えてね)と夫にやさしく国際電話した。

 


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