応募小説
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シュガー <1>
                          アギレ

 その日のハレイワ・ビーチは、嫉妬に狂った女のような波がたっていた。
重苦しい雲は七マイルも続く海岸線に覆いかぶさり、鉛色の海はやり場のない憤りを冬のノース・ショアにぶちまけていた。
シュガー(彼はそう呼ばれている)のバイクは、ホノルルから内陸をずっと(ルート)99沿いに北へ抜けて、ちょうどハレイワの手前からR83に入ったところだった。ラムキ橋を渡るとあちこちにつぎはぎだらけの古臭い木造家屋が見えてくる。今ではそれなりにリストアされて小奇麗なブティックやレストランに成りすましている。
ゼミの卒論を落としてハワイに出奔したのが一昨年。理由は明快で、ただサラリーマンになりたくなかったのだ。そのくせ、大学院に残る気もさらさらない。そもそも経済原論には興味がなかった。妙に彼を可愛がってくれたゼミの教授の甘さにつけいった結果がこれだ。さっきカイルアのアパートを出てくるとき、ポストマンが教授の最後通牒を届けたばかりだった。出かけるところだったのでいい加減に読んだが、どうやら卒論のタイムリミットは一月中旬で、もう後がないぞ、ということらしい。二ヶ月ちょっとしかない。シュガーのことがお気に入りだった教授もとうとう堪忍袋の緒が切れたのだろう。
バイクは国産と決まっていた。どんな暑い日でも、長距離を走るときには長袖のコットン・シャツを着て、革のグローブを欠かさない。そしてヘルメットはするものだ(・・・・・)と固く信じていた。
『今日は駄目だ。』
 パイナップル畑を延々と走り抜ける頃からもうあきらめていた。ハレイワの町は人も車もすっかり影をひそめていた。十一月にはいると風の強い日が多くなる。その日はノース・ショアも片っ端から店じまいになっているのだろう。小さなハレイワの町を過ぎると、やがてワイメア・ビーチが左に広がってくる。波が凄まじい。十五フィートはある。それもすぐに形が崩れるタチの悪いやつだ。シュガーはせいぜい八フィートでもパーフェクトだと思っていた。去年デレク・ホーが見せた劇的なパイプ・マスターズでの決勝戦でも、これほどの波はなかった。年齢的には盛りを過ぎた男が、前年三十六位からの雪辱を果たして、最後の土壇場で大穴をあけたツキも、あの十フィートのワンチャンスの波だった。
 ハレイワからワイメア、そしてエフカイ、パイプに入る頃、ヒステリーを起こしたような波の具合を目の当たりにして、何とも気が萎えてしまう。バイクを減速して路肩に寄せると、向こうに真っ赤なシボレー・コルベットのコンバーチブルが停まっているのに気づいた。ドアは半開きになっていて、ブロンドの白人女がむくれっ面をしたままフロント・バンパーに腰掛けている。椰子は大きくしなり、砂が舞い上がるR83沿いには場違いな服装だ。イエローのワンピースだが、ベアトップになっているので上半身はやたらに肌が露出しえいた。
 シュガーはバイクにサイド・スタンドをかけ、女に近寄っていった。ヘルメットをはずすと、にわかに冬の風が体の中を走り回るようだった。
 白人女は火のついていない煙草を指でつまんでにっこりとシュガーに笑いかけた。シュガーはつねづね白人というものを、目からはなかなか表情が読み取りにくい人種だと思っていた。そのかわりに連中は顔や体全体で表現するのが上手いと感心するのだ。
 「What’s up?(どうしたの)」
 「急発進したり、急にがくんと止まったり、・・・恐ろしくてもう乗れないわ。」
 シュガーは女を急き立てるようにしてボンネットを開けてみた。問題は簡単なことだった。
 「ラジエターに水がはいってない。・・・」
 「あら、本当?」
 「日本人はウソをつかない。」
 そう言ってシュガーは悪戯っぽく笑った。
 「知ってるわ(アイ・ノウ)。」
 女もさっきの仏頂面とは打って変わって柔和な表情になっていた。
 シュガーは近くの民家へ水をもらいにいった。バケツに水を汲んでくる途中、なんとなく腹立たしくなった。『こんなこともわからずに、車だけは偉そうだな。・・・・』
 白人女はシュガーがラジエターに水を補給しているあいだ、腕を組んだままずっとその様子を見ていた。
 「どこで働いてるの?」
 女は三十代後半だろう。メラニン色素が少ないくせに、やたら肌を焼くものだから、胸元から背中にかけてシミがたくさんでている。ルックスは悪くない。インテリなんだろう。整った顔の輪郭が安っぽくない。『教養のない白人ほど始末におえないものはないからな。』シュガーはいつもそう思っていた。
 「昼間は、パライソっていう店でピザの宅配。・・・夜は最近ディスコで・・・・バーテンの見習いだね。」
 「ディスコ?」
 「ココ・パームス。・・・アラモアナの近くだよ。」
 「あなた、何ていうの?」
 「シュガーってみんなは呼んでる。」
 「可愛いわね。」
 「あまり好きじゃない。」
 女は名刺を一枚差し出した。
 ナタリー・ブラウン。インテリア・デザイナー。ヘッド・オフィスはロサンジェルス。自分の会社らしい。
 「カリフォルニア・・・ね。」
 「わたし自身はハワイにいることの方が多いの。LAは人に任せてるわ。こっちの方がアイデアが閃くから。」
 「モダンな仕事だから、インスピレーションが大切だ。」
 「でも、エディソンじゃないけど、それはたった一パーセントよ。九十九パーセントは、けっこう汗を流している(パースピレーション)んだから。はたから見ているのと大違い。」
 「でも、その一パーセントがなければ、残りの九十九パーセントも、結局ただの徒労で終わる。」
 「あなたって面白いわね。」
 ナタリーというその女は白い歯を見せて笑った。
「家はハワイカイにあるの。・・・電話して。」
 彼女はもう一度名刺を取り上げて自宅の電話番号を書き加えた。そしてさり気なくシュガーの頬を撫でて車に乗り込んだ。こんどはスムーズにエンジンがかかったようだ。所在なげにシュガーはヘルメットを持ち直し、車から離れた。ナタリーは思い出したようにシュガーに声を投げかけた。
 「ありがとう。・・・シュガー。」
 真っ赤なコンバーティブルは、ハレイワ方面へ下って行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 風はますます激しく海を揺り動かしていた。
 波に感情があるというのはウソだ。感情という言葉は優しいという意味だからだ。彼らはただ野生をむき出しにしているだけだ。
 サーフィンが危険度の高いスポーツだとはいえ、しょせんスポーツなんだとシュガーは思っていた。自然と一体になるなどとちった哲学や精神論には正直言って食傷気味だった。
 霊長類の中で人間ほど野生を失ったひ弱な存在もない。無理していいことは何ひとつない。ほかの動物にはちゃんと周期的な発情のメカニズムが備わっていて、その結果妊娠したときだけ雌の乳房が張り出す。人間の女は成長とともに恒常的に乳房が目立つようになっている。人間の男がまったく野生をうしなったデクノボウだからだ。いつも女は、その『女性』を主張していないと、男は種の保存に興味が湧かないのだ。二足歩行を始めたことで、大変な進化を遂げた人間だが、おかげで女性のそれ(・・)は外見からは股間に隠されてしまい、女であるという目印が無くなってしまったのだ。それが人間の女がいつも乳房を張り出している理由。逆に言えば、発情システムを失った男は、いつだって女を求めるし、全然女がなくても構わない。強姦や輪姦も動物には存在しない。人間が、哀しいほど野生から遠ざかってしまった結果の副産物だ。とても自然とわたりあうだけの器量など、もうとっくに持ち合わせてはいないのだ。
 サーフィンのために大学の四年間をほとんど潰し、おまけにこんなところにまで来て、二年近くもブラブラしていることが、ときにはばかばかしくなることもある。とくにこういうスポーツに不向きな天気の日にはそうだ。とはいえ、負け癖のついた今の生活がけっこう居心地いいものだというのも事実だった。ただ自分という存在が地崩れを起こしていくのを、シュガーはいつも黙って見送った。
 シュガーはバイクを置いたまま、人っ子一人いないパイプ・ビーチへ出てみた。愛想のない潮風はここがハワイだと思うのに十分だった。
 『ツイてない。』
 シュガーは呟いた。
 道理でどこもかしこもクローズになっているはずだ。波は完全に発狂していた。
 『これじゃあ殺されちまう。』
 何トンもの土気色の水が炸裂した後に、その悲鳴が届いてくる。そして次のうねりが重たそうに緩やかなアーチを()り出してきた。これは大きい。水平線の前にたちはだかって、なおもその手を一杯に広げていた。そそり立つ壁はほんの数秒。もしかしたら一分ほどの長さにすら思えたかもしれない。胸が塞がりそうな瞬間だった。一気に波の稜線は落下し始めた。
 そのとき、思いもかけずシュガーの目にサーフ・ボードの一端がとまった。鉱山で発破をかけたように砕けていく大波の飛沫に、シュガーは目をひときわ凝らしてみた。すると突然視界が開け、赤いボードがカレントの上に飛び出してきたのだ。白人の男が腹ばいになってパドリングをしている。シュガーの目はその男に釘付けになった。
 もう一波が迫り上がる前に、赤いボードはほとんど休む間もなく反転して、うねりに身を任せた。張り詰めた糸がこれでもかというように伸び上がっていく。男は今にも切れそうな糸の頂点に立つと、一気に直滑降していった。波はまるで時間を止めたようにショルダーを張り出したままだ。やがて赤いボードが水の壁を真横に切り裂いていく。チューブが始まっていた。シュガーは体中に悪寒が走った。突然、男のボードが失速したかに見えたのだ。スピードを殺したようなこの瞬間が、リッピングへと続くポイントだ。男はスピードをためこんだ。正念場だった。このボトム・ターンで生きるか死ぬかが決まる。大きな口が閉ざされようとする寸前、赤いボードは円を描きながら想像を超える速度でたちまち波をクリアしていった。あとは大地を叩き壊すような断末魔がパイプ・ビーチに広がるばかりだった。
 『これはもうサーフィンじゃない。・・・・』
 シュガーはため息ばかりついていた。喉が渇いた。舌も粘つく。赤いボードはもうどこにも見えない。あとからあとから巨大なモンスター・スウェルが生まれている。
 シュガーは椰子の木の根元に腰を下ろし、気が抜けたようにボンヤリしていた。まるでサム・ペキンパーの映画で、圧倒的な暴力を見せつけられたあとのような気分だ。
 あのサーフィンは明らかにスポーツの限界を超えていた。
 しばらくしてふとシュガーは人の気配を感じた。東洋系の若い女がウィンド・ブレイカーを引っ掛けて、百メートルほど先に佇んでいるのだ。もしかしたら、シュガーが気づかなかっただけで、ずっとそこにいたのかもしれない。うなじにかかるくらいの黒髪を片手で押さえたまま、じっと彼女は海を見ていた。相変わらず砂は激しく舞い上がっていた。やがて、赤いボードを抱えたあの男が海から上がり、体を引きずるように戻って来るのが見えた。女のほうはにこりともせずキスをして、タオルを男の肩にかけた。シュガーはその様子を見守っていた。二人は一言も口をきかず、重苦しい表情のまま向こうの椰子の群落へ立ち去って行った。まるで大きな過ちを犯したあとのような無力感が漂う。砂に残された男女の足跡は、みるみるうちに風にかき消されていった。

 シュガーはその日のピザの宅配を終えて、車をパライソに戻した。そしてバイクを駐車場の奥から引っ張り出し、クッキーが同じ店内のシフトを終えるのを待っていた。シートに腰掛けて煙草を喫っていると、あの赤いボードの男のことが思い出された。
 クッキーは生粋のポリネシアンだ。色が黒いのでクッキーとあだ名がついた。彼女は結構それを気に入って、『シュガーとクッキーなんて、いいコンビネーション。』と勝手に悦に入っていた。彼女はシュガーに夢中だ。ある日、シュガーが客としてパライソに入ったときのこと、ドン臭いクッキーはヘマをやらかした。シュガーは見かねて、それを自分のせいだと白人マネージャーにとりなした。これがきっかけ。以来クッキーは、『日本人(ニップス)は優しい』というのが口癖になってしまった。カイルアのアパートに週一回は必ずやってきて、洗濯やら掃除やら、頼みもしないのにかいがいしくするのだ。今ではシュガーもバイクで彼女をカネオヘの実家まで送るようになってしまった。クッキーは今ではすっかり恋人気取りになり、シュガーはしばしば閉口する。十七歳の小娘に生活の匂いを嗅いだ瞬間から、もう吐きそうになる。
 八時頃、そのクッキーがタンクトップにジーンズで跳ねるようにパライソから飛び出してきた。はちきれそうな褐色の彼女を、シュガーは『小さな爆撃機(ボマー)』と呼んでいる。クッキーはキスすると、大きなえくぼをつくって笑った。
 「待った?」
 「いつものことさ。」
 「ごめんネ。遅れちゃう?」
 「少し危ない。」
 「今日は送ってくれなくていいヨ。バスで帰るから。だから食事だけいっしょにしよ。チリ・コンカーンが死ぬほど食べたいな。」
 「太るよ。」
 「若いから平気。」
 クッキーは愉快そうに大きくウェイブした長い髪をバンドでとめた。
 ペペというメキシカン・カフェは同じダウンタウンにある二人の行き着けだ。クッキーはふうふう言いながら、チリ・コンカーンを頬張っていた。そして時折シュガーの顔を覗き込んでは、例のえくぼをつくってニッコリするのだ。シュガーはいつも子供に付き合わされているような気がする。
 「イルカの調教、すすんだ?」
 「まだアシスタントしかさせてもらえないの。でも先週は初めてイルカと泳いだわ。」
 クッキーはオアフ島東部のマカプウ岬にあるシーライフ・パークでアルバイトをしていた。ハイ・スクールを出たばかりの彼女には夢がある。
 「また日本でイルカを殺したんですって。」
 「へえ。」
 「残酷だわ。」
 「そうかな。」
 「残酷よ。イルカは言葉を話すのよ。脳がほかの動物よりずっと発達してるんだから。それを殺すなんてひどいわ。」
 「脳が優れていることと、生命の尊さとは基本的には関係ないと思うけどな。優秀か、優秀じゃないかで決めるなら、もうナチとなにも変らないんじゃないの。」
 「必要ないのに殺すのはいけないと思わない?」
 「必要だから殺したんだろう? 魚網が食いちぎられて商売あがったりの漁民がさ。それに、必要か必要でないかで決めるのも、ずいぶん人間の身勝手な発想だよね。イルカは可愛いから駄目だけど、鶏や牛や豚はいいって言うんだろう?」
 「食肉用の動物はちゃんと種が保存されるように管理されてるもの。」
 「馬鹿言っちゃいけない。要するに、きみたちは動物を人間の養いや鑑賞や愛玩の対象としてしか見てないんじゃない。」
 「もういいわ。」
 クッキーはふくれてスプーンを置いた。
 「もっと食えよ。若いんだろ。」
 シュガーはぶっきらぼうにそう言って、タコスを彼女の口の中に押し込んだ。クッキーは噴出しそうになりながらいやいやをした。ひとしきり笑いをこらえていた彼女は、ようやくコーラで飲み下すとまた話を始めた。
 「あなたって本当に表情がないの。日本人ってみんなそう?」
 「目でわかるからさ。」
 「駄目よ、そんなの。楽しければもっとちゃんと笑わなくちゃ。だから反対にシュガーなんてあだ名がついちゃうのよ。」
 「君たちは、目を見ただけじゃ何を思ってるのかわからない。白人もそうだけどね。厄介な人種ばかりだ。」
 「目で本当にわかるの?」
 「わかるさ。」
「今わたし何を考えてる?」
 「そんなこと目を見なくたってわかる。」
 「だから何よ?」
 「抱いて欲しいってさ。」
 「いやだァ!」
 「図星だろ。」
 クッキーはまたシュガーの顔をのぞきこむようにして言った。
 「欲しいの?」
 「別に。」
 「なぁんだ。」
 クッキーは急につまらなさそうな顔になった。
 「俺、もう行くよ。悪いけど。」
 「明日、アパートへ行くね。いい?」
 「どう言ったって君は来るんだろ?」
 「えへへ。」
 クッキーは愉快で仕方がないようだった・彼女は愛されているよりも、愛していることのほうが、じつはずっと幸せなんだと思っている。
 観光客がまず入ってこない殺風景なペペでは、メキシカンの店主が商売なんか関係ないという感じで、カウンター越しに『チック』を読んでいた。油の切れかかったカサブランカ・ファンがからからと無機質な音をたてていた。

 ココ・パームスは毎夜のことながら大変な賑わいだった。半分以上が日本人女で占められ、そのほとんどが露出度のきわめて高い格好をしていた。このごろではローカルの白人女までがそれを真似している。違いは、日本人の場合、例外なくFa-ooga face(ファウーガフェイス)と呼ばれるやたら厚化粧をしていることだ。
 土曜の夜、十一時頃からローカルがぐっとその数を増す。こちらは男も女もいっせいに繰り出してくる。シュガーもカウンターに入り、サーフィン仲間のニックから日頃手ほどきを受けたカクテルをさばいていた。ココ・パームスをシュガーに紹介したのもニックだ。亜麻色の短い髪をしたこの男は、四分の一ばかりポリネシアンの血が混じった白人で、日焼けした顔をほころばせながら、気楽にウェイトレスの注文をこなしていく。
 レゲエやサルサが調子いい。シュガーとニックが並ぶといかにもサーファーだということが人目でわかる。それほど二人は際立っていた。ローカルの中には、この二人がいるからココ・パームスに来るという女たちも多い。だからカウンターはいつも白人女でぎっしり固められているのが常だった。
 ココ・パームスとはいいながら、店内はまったくそういうコンセプトが感じられない。むしろモノトーンタッチの落ち着いた雰囲気で、トロピカルしようと思ってきた観光客には拍子抜けする者も少なくない。
 「いい加減にしろよ。」
 シュガーはグラス・ホッパーをつくりながらニックのほうも見ずに言った。
 「わかるかい?」
 「ああ。」
 「目の下に隈が出来てるってんだろ?」
 「そういうこと。」
 ニックは目を閉じて、指でこめかみを押さえた。
 「やりすぎだよ。マリファナだけじゃないんだろ。」
 「まあね。・・・・これ昨夜の日本人女が買ってくれたんだ。」
 ニックは右手をジャラっと鳴らしてゴールドの太いブレスレットを見せた。
 「おいしかった?」
 「死んだ魚(デッド フィッシュ)のようだったね。白目むいてひっくり返ってたよ。ずっと。」
 シュガーは苦笑した。
 「ちゃんと教えてやるんだね。」
 「そのつもり。車を買ってくれそうなんでね。」
 「今日、来てるのか?」
 「もうじき来るだろ。」
 あまり馴染みではないローカルの白人女がカウンターに近寄ってきた。二人の顔をかわるがわる覗き込み、肘をついて言った。
 「何の悪だくみ?」
 「原油の値段が安いねって話さ。」
 シュガーは表情一つ変えずに答えた。ソバージュの女は大きな瞳をして二ヤっと笑った。
 「名前は?」
 「サンドラ。サンディでいいわ。あなたでしょ、シュガーって。」
 「そう。」
 「サーフィン、上手いんだって?」
 「どうかな。」
 「恋人は?」
 「いないよ。」
 「ウソ、クッキーって()がいるんじゃないの?」
 「よく調べたね。」
 「でも、まだ寝てないっていう話だけど?」
 「まだだよ。」
 「可哀想なクッキー。」
 サンディは、そう言いながら、笑ってる。
 「やりゃあいいってもんじゃない。」
 「怖いの? 若い()が?」
 「きみも十分若いと思うけどな。」
 「いやだ。もう三十近いっていうのに?」
 「歳は関係ないよ、たぶん。」
 「もうすぐ休憩(ブレイク)じゃないの?」
 シュガーは、腕時計を見た。十二時まであと三分。
 「それで?」
 シュガーはつくりかけのモスコウ・ミュールをニックにぽんと渡して言った。サンディは人差し指で自分の喉を横に撫でながら、ふふふと笑う。『飲み物(・・・・)が欲しい』という意味らしい。ニックが隣で一口のんだ水を思わず噴出した。・・・・・
 ディスコの裏手にある従業員用ガレージには、コンクリートのガーベイジ・ボックスがある。トタンの蓋が閉じてあって、サンディはその上に腰掛けたまま大きく両足を開き、シュガーの下半身を受け入れていた。衝動が体中に走るたびに彼女は犬のような声をあげる。
 『こいつらはスポーツみたいにセックスをする。』
 シュガーは白け気味だった。
 この時代にあって、ペニスが無ければ感じないと思っている単細胞な女は同情に値するとシュガーは思う。アメリカ人のセックスが意外に男性崇拝の呪縛から免れていないと思うのは、いつもそういうときだ。実際、アメリカの女ほど男への依存心の強い連中もいない。始終、旦那と連れたってないと不安になり、いつも『愛してる』を言い交わしていないと、その想いをつなぎとめていられない。社会が女に自立を求めても、女自身はけっこう疲れてる。ときにその必死で突っ張っている様子は、痛ましささえ覚える。
 終わってからもサンディのむっちりした下半身は小さな痙攣を楽しんでいた。ぐったりと脱力した重い女の体が深呼吸するたびに、その痙攣がシュガーの胸にも伝わってくる。
 「死にそう。・・・・」
 サンディはやっと小さな声で言った。
 シュガーは寝てくれる女は誰かれ構わず寝てきた。不思議なことにクッキーだけが例外だったのだ。彼女を一度もアパートに泊めたことがない。
 「ほんとうに喉が渇いちゃった。」
 サンディは体を離した。
 『醜い。』
 シュガーはセックスが終わったあとの女の顔が嫌いだった。
 サンディは地面に足を下ろすと、短いスカートを直した。最初から下着などつけていない。そして再び濃厚なキスをシュガーの舌にからめてきた。白人の女は舌が長いからとりあえずキスは上手い。シュガーはそれだけを思っていた。・・・・・
 ココ・パームスはさらに込み合っていた。ひとしきり注文をさばいたところで、シュガーに電話がはいった。クッキーからだ。
 「やっとパパが寝たわ。なかなか電話できなくて。・・・・今日、ごめんね。遅れちゃった? わたしは大丈夫。ちゃんと帰れたから。」
 『そんなこと聞いちゃいない。』シュガーはこういうクッキーの物言いがいつも気に入らない。
 「なにか用?」
 つっけんどんだった。スポーツ(・・・・)の後で、疲れていたのだ。
「ううん。ただ1・4・3(ワン・フォー・スリー)・・・・・って言いたかったから。」
「1・4・3?」
 途端にクッキーは小さな声になった。
 「I(1) LOVE(4) YOU(3)!・・・1・4・3(ワン・フォー・スリー)。パパに聞こえちゃうわ。」
 「ああ、そういう意味。」
 「そ。だから、1・4・3・・・・ねえ、言って。」
 「1・4・3。・・・」
 「えへへ。・・・いい子いい子。」
 クッキーは十分満足して電話を切った。独りよがりの通話音だけが受話器から流れていた。・・・・・
 店内は次第に雰囲気が乱れてきた。酔いが相当回ってくる頃合いだ。カウンターもいったん落ち着いたので、シュガーはテーブルを回って空のグラスを取って歩いた。
 コーナーには二人の日本人女がいた。二人とも典型的な酔っ払いの表情をしていた。さきほどから白人たちに声をかけられていたが、趣味ではないのか応じるようすはない。ワンレンのほうが、通りがかったシュガーを日本語で呼び止めた。『すみませぇん。』シュガーは聞こえないフリをした。日本人とわかったらあとが面倒なのだ。日系人になりすましたほうが、なにかと楽だった。ワンレンの女は不機嫌そうな顔をして言った。『なぁにぃ、聞こえないの? 日本人のくせに。』『気取ってんのよ。英語で話かけてごらんよ。』ショートの女が聞こえよがしに言う。
 「イクスキューズ・ミー。」
 シュガーはやむなく振り返り、商売上のつくり笑いをして答えた。
 「Yes, Miss. What can I do for you?」
 その英語は短いけれども、ネイティブにしか聞こえなかった。二人の女は点になった。
 「日系人じゃん? どうする? あたし英語わかんないよ。」
 「きゃあ、バナナ・ボーイなんて、けっこうあたしたちワイハしちゃってる。」
 「ねえ、それってすっごいおしゃれじゃない。」
 こういう幼稚な会話は、毎晩のように聞かされている。しかし、何度聞かされても、シュガーには、まったく意味不明の日本語としか聞こえない。二人はシュガーを気に入ったようだった。
 「ドゥ・ユー・スピーク・ジャパニーズ?」
 ワンレンのほうが尾そる尾そる聞いた。
 「スコシダケ。」
 二人はもう有頂天だった。
「かわいいっ・・・ねえ、この男(こ)、超かっこいいじゃん。」
 「誘ってみ。ねえ、誘ってごらんよ。」
 たどたどしい英語の授業が始まった。
 「何時に終わるの?」
 「四時。」
 「そのあとは?」
 「帰って寝るよ。」
「遊ばない?」
 シュガーは日本人に興味がなかった。そこでカウンターにいたニックを読んで、巻き込むことにした。ニックは持ち前の愛想を振りまき、女たちをたちまちその気にさせた。シュガーがゲンナリする一方、精力的なニックはしっかり二人のホテル、・・・ハレクラニのルーム・ナンバーとフル・ネームをメモ紙に書きとめた。そして店がハネたらすぐに行くと約束した。
 カウンターに戻ってきたニックは皮肉を言う。
 「珍しいね。おまえが日本人(ニップス)を引っ掛けるなんてさ。」
 「馬鹿。二人とも、お前に振ったんだ。よろしくね。」
 「本気か?」
 「本気。さっきサンディって娘(こ)を食ったから、もう今夜は要らないってこと。」
 「まじかよ。そう言わずに付き合えよ。」
 「嫌だ。」
 「Puna(マリ) buds(ファナ)やるよ。」
 「たくさんだ。」
 二人の日本人女はそれでも不安だったのか、やがてカウンターにまでやってきて、ニックとシュガーの前にへばりついた。並み居る白人女たちを押しのけるようにして、もうすっかり恋人気取りだ。
 その後、ニックが大いに慌てることになった。例の、車を買ってくれるとやらの別の日本人女が店にやってきたのだ。こっちはさらに泥酔していた。ただならないカウンター越しのムードに逆上したその彼女は、ニックに向かって灰皿やらグラスやらを投げ飛ばし、店内は大騒ぎになった。とうとうシュガーがニックの尻を拭く羽目になってしまった。この泥酔女をホテルまで送り届けるのだ。ニックによれば、バニヤンのコンドミニアムということなので、ともかくシュガーは彼女を抱きかかえて店を出ることにした。
 しなだれかかった泥酔女を支えながら、『日本の女も発育がよくなったな。』と妙に関心した。結構背の高い女だ。尻も上がっていれば、腰のくびれもキマっていた。グラウンド・フロアに下りる階段の途中、彼女は初めてシュガーに口をきいた。
 「ニック・・・結婚してくれるって言ったわ。」
 「・・・・・・・・・」
 「聞いてる?」
 女はもういらだっていた。
 「聞いてるよ。」
 「ニックの友達?」
 「そう。」
 シュガーは我知らず日本人として素直に応対している自分に不思議な気がした。
 「なんで、あんた、ニックじゃないのよ。・・・・まあいいわ。あたしね、ニックに車買ってあげるの。」
 「金持ちなんだな。」
 「パパに言うわ。」
 「パパね。」
 これで今夜パパという言葉を聞くのは二度目だ。
 「わたし・・・メイ。」
 「?」
 「五月に生まれたからメイっていうのよ。」
 「へえ、自分でそうつけたのかい? 素敵じゃないか。」
 「馬鹿にしないで。・・・・」
 何を言っても駄目だと、シュガーは思った。
 「ニックが本気じゃないのは、わかってるの。」
 「いい子だ。申し分ないね。」
 表にやっとの思いで担ぎ出ると、アラモアナの潮風がやたらに生暖かく、泥酔した自称メイという女の気分をなお一層悪くしたようだ。彼女は思わず吐いて、舗道にへたりこんだ。
タクシーを拾おうとすると、見覚えのある真っ赤なコルベットが目の前に横付けされた。ハレイワで会ったナタリーだ。
 ナタリーはこざっぱりしたスーツを着ていた。そして愉快そうに声をかけた。
 「どうしたの、シュガー。あれから電話もしてこないと思ったら、こんなところで悪戯してたのね。」
 「冗談じゃない。店のお客さんだよ。もう潰れてる。」
 「どこに泊まってるのかしら、その娘(こ)。」
 「バニヤンだってさ。」
 「送ってあげるわ。お乗りなさいな。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                                <続く>


 


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