応募小説


南風カーチベーが吹く頃
                          アギレ

 その日の朝。お定まりのレイバンをした一人の米軍将校が馴染みの日本人女のアパートから炎天下に出てきた。路地に停めた軍用ジープへ乗り込むと、早速エンジンをかけた。二階からまだ眠たそうな女が顔を出して、窓越しに頬杖をつきながらその様子をボンヤリ見守っていた。エンジンをふかす音が何度かしたが、なかなか発進しない。将校はいらいらしながらますますアクセルを踏み込んだ。女の黄色い声が飛んだ。
 「ニュートラルに入ってんじゃないの?」
 将校はジリジリ照りつける日差しに脂汗をかいていた。この朝っぱらの椿事に周りの窓からもその種の女たちが同衾中の米兵たちといっしょに顔をのぞかせていた。突然、その女がおかしくてたまらないといった様子で笑い出した。
 「何がおかしい?」
 将校はムキになって二階を見据えた。
 「だって・・・・・・あんた、タイヤをどこに置き忘れてきたの?」
 将校は、『なに?』とばかりに、ジープを飛び降りて足回りを見た。タイヤが一本残らず外され、車軸は空しく宙を掻いてがなり狂っていたのだ。周到にも犯人はジープの車高に合わせてボディの下をブロックで支えておいたから、慌ててジープに乗った将校はそれに気づかなかったのだ。将校は帽子をボンネットに叩きつけた。
 「くそ!またあいつらだ!」
 一群のハーレーが嘉手納から北に向かっていた。
 タンデム・シートには日本人の少年が一人、ほかのハーレーにもそれぞれ日本人の年頃の女たちが乗っていた。全部で三十台は連ねていたに違いない。運転している連中は刈り込んだ頭の格好から、嘉手納や金武きんに駐留している米兵だとすぐわかる。彼らには奇妙なアダ名がついていた。ジーンズのベストに髑髏の海賊旗を縫いこんでいたので、その名の通り『ジョリー・ロジャーズ(愉快な仲間たち)』と呼ばれていたのだ。実際、底抜けに陽気な連中だった。
 マイキーというリーダー格の黒人兵のバイクに乗っていた日本人の少年は、みんなのマスコットのように可愛がられていた。白いランニングに、マイキーのお下がりのカーキ色をしたズボンを短パンに仕立て直してはいていた。坊主頭の十四歳。浩太といったが、ジョリー・ロジャーズは彼をビリーと呼んでいた。小柄で、おまけにビリー・ザ・キッドのように左利きだったからだ。
 深い青とエメラルドの浅瀬が交錯するビーチ・ロードをいくつも緩やかにワインディングしながらハーレーが続く。どれもこれもセコハンの『尻軽女ローライダー』ばかりだった。
 マイキーがタンデムのビリーに大声で話かけた。
 「ビリー、どんな気分だい?」
 「すごいよ!小便ピピちびりそうだよ。」
 「とんでもない表現だな。もっと色っぽく言えないのか。まるで女をイカしてるみたいだとかさ。」
 「僕、女を知らないもの。」
 「そりゃあそうだ。そのうちな。もっと英語が上手くなったら、口説き方を教えてやるよ。」
 V型二気筒が確かに腹の下から重厚な振動を伝えてくる。先行車のエキゾースト・オイルが鼻をくすぐる。潮風は集落や森や海岸沿いを通り抜けるたびに、違った匂いと空気の温度差を運んでくる。鋭い直射日光を体いっぱいに受けても、逆に肌は空気抵抗のためにひんやりとしている。だからかえってボーッとするような不思議な感覚だった。チェーンが空気にからんでシャリシャリと音をたてるのが気持ちいい。ギアを変えるたびにこの音がする。それがたまらなくセクシーだった。辺戸岬はまだ遠い。後続のバイクから、カーブのたびに女の甲高い声がする。
 「ビリー、いいか、覚えとくんだ。バイクは車と違ってハンドルじゃあ曲がれない。」
 「肩を入れるんでしょ。」
 「前傾姿勢のヨーロピアンスタイルなら、コーナーに入るときに肩からインするよりほかないが、このチョッパーは、肩を使ったらすぐコケる。ニーだよ、膝。」
 「膝でどうするのさ。」
 「ティア・ドロップ・タンクをしっかり膝で絞めるんだ。それでタンクを左右に倒しこむんだよ。こういう風に。」
 マイキーのローライダーは、右回りのコーナーで自然に倒れていった。引っ張られるような遠心力が上体を襲う。
 「おまえもタンデムを挟むようにしてみな。要領がわかるだろう。」
 快感だった。鉄の馬が自在にその角度を変えていく。二百キロもあるとはとても思えないほど軽い。神に近づいていくような気すらするバイクという乗り物を、この日ビリーは初めて体で感じた。そしてそのローライダーを気ままに乗りこなしているこの連中は、まさにヒーローといってもよかった。
 キラキラと光る波がまるで動きを止めているように見えた。それはスピードが持つ不思議だった。わずかに風と機械的な音だけが風景の中を切り裂いていく。ビリーはビーチ・ロード沿いに咲くデイゴの赤い花や、雨上がりに輝くフクギやサキシマスオウの壁の間を走り抜けていくうちに、まるで自由な絵を描いていくような気がした。
 六十年代の終わり。十四歳の夏。忘れることのできない夏が始まろうとしていた。

 十時頃、一段は宜野湾を通過した。やがて射撃場で演習の音が聞こえてきた。残波岬は近い。一度も休みをとらないでタフなライダーたちはひたすら進路を北へとった。潮の匂いが目にしみる。恩納、名護を抜けるとあたりの緑が急に明るくなってきた。日がかなり高くなってきたからかも知れない。
 ビリーがマイキーに会ったのはつい先週のことだった。珍しく金武の町の米兵にランプを届ける帰り道だった。父親の修理工場は嘉手納に近いコザ(現沖縄市)にある。空になった麻袋を提げて、ビリーはサトウキビ畑をショートカットした。金武湾から未舗装路を自転車でいくと、一本道にハーレーがあった。むき出しのV型エンジンを見たとき、ビリーは思わず胸が高鳴るのを覚えた。その鉄のかたまりを見ていると、どこかでしわがれた男の声がした。道端に立っているオオハマボウの木陰に座りこんだ黒人兵だった。
 「Where are you dreaming to go・・・・」
 聞きなれない英語だった。ポカンとして口を開けていると、黒人兵は同じ言葉を繰り返した。さらに一度、ゆっくりと言い直した。
 「I said・・・where・・・are・・・you・・・going.・・・」
 こんな文型で、『夢見ている』なんて使い方など聞いたことがない。
 「コザ。」
 黒人兵は畑から折ってきたサトウキビを一本投げて寄越した。
 「そうか。おれは嘉手納だ。近いじゃないか。お使いか?」
 「バイク用のランプを届けたんだ。」
 「バイク?」
 Bikeという言葉がわからなかったらしい。
 「ああ、motorcycleか。坊やのうちはメンテナンス・ショップかい?」
 「ああ、父さんがワイルドバンチ(ならず者の群れ)っていうショップをやってるんだ。たくさんのマリーン(海兵隊)の連中が来るよ。勝手に来て、勝手に道具を使って、パーツを勝手に取り付ける。その分だけ勝手にお金を置いていくんだ。」
 「ワイルドバンチ?・・・聞いたことあるよ。ポパイって奴、知ってるかい?」

 「太っちょの白人?」
 「そうそう。あいつがよく行ってるだろ?英語の上手な坊やっておまえのことか。」
 「あんたは?」
 黒人兵はやおら立ち上がると近寄ってきた。
 「マイキー。・・・先週グアムのアンダーソン基地から来たばかりだ。」
 「B52だね。」
 「そうさ。Butcher(屠殺人)52だよ。・・・」
 黒人は吐き捨てるように言った。
 「なあ、兄弟。仲良くやろう。おれも厄介になるよ。ワイルドバンチでね。」
 その男はハーレーに跨るとキック・スターターでエンジンをかけた。
 「兄弟。バイクは好きかい?」
 「乗ったことないけどね。バイクに乗る人に悪い人はいないよ。」
 黒人兵は愉快そうに笑った。一面のサトウキビ畑が揺らめいた。風が渡っていく。
 「あばよ、兄弟。」
 七半以上の巨体はおもむろに目を覚ました。やがて足元に広がるシリンダーの炸裂音が空気を震わせた。音は風となり、猛然と砂煙がたちこめた。ハーレーの姿は、けたたましい4ストロークを残して小さくなっていった。息がつまるような砂煙の中で、ビリーは立ち尽くしたままその影をいつまでも追っていた。
 翌日、マイキーは早速ワイルドバンチにやってきた。常連の黒人兵ジュピターや、やはりよく出入りしていた白人兵のロイやポパイたちといっしょだった。みんなB52の搭乗員とは限らない。マイキーとポパイはそうだったが、パイロットではない。銃座の射撃手だ。ジュピターとロイは海兵所属で、騎兵隊(戦闘ヘリ部隊)の射撃手をしていた。まだこの時代、沖縄では米国人と日本人の差別問題が多かったが、黒人兵と白人兵の間の差別も抜き差しなら無いものだった。ただ、バイクに集う彼らの間にはそうしたものは微塵もなかった。
 のっぽのロイはいつも噛み煙草をやっていた。その神経質そうなクチャクチャいう音がいつも耳障りで、一度ビリーが言ったことがある。
 「いつもそんなのやってると、癌になっちゃうよ。」
 「ビリー、おれたちはそんなこと心配しているヒマがないんだよ、。」
 ビリーは失言したと思った。ロイは急に黙ったビリーが気になったのか、肩を叩きながら言った。
 「ありがとうよ。心配なんかしてくれちゃってさ。スウィートだな、おまえは。」
 父も母も米兵たちから好かれていた。トラックのタイヤを交換する仕事が入ったときなどは、居合わせたジョリー・ロジャーズが手伝ってくれたりする。さすがに人数をかけると仕事が速い。父親とビリーの二人でやれば、二、三十分はかかるのに、この連中の手にかかるとわずか五分で済んでしまう。おまけにPXの余り物や、くすねたものを、あれこれと持ってきてはドンと置いていく。
 『クリスマス・ギフトだ。』
 夏でもいつでも、そのときはクリスマスだった。一年に何回、クリスマスがあったことか。牛肉やらアイスクリームやら、ビリーの大嫌いなハーシーズのチョコやら、酒にいたっては、やたらバーボンの瓶がたまっていく。ワイルドバンチでは、日本人と米国人の軋轢など皆無だった。ときに父親が、那覇あたりでつきあっている日本人女性のことで、よく米兵から相談をもちかけられたりすることもある。別れ話をうまくまとめてやったことだってある。まるで人生相談所だ。ビリーはあるていどたまったブツをときどきほかの同業の店や取引先に配達したりした。これはけっこう効き目があり、金武や那覇からも仕事が入るようになる。
 ジョリー・ロジャーズたちのハーレーも、けして自前のものではなく、ほとんどは軍用のものを払い下げて、それを改造したものだ。基地を去っていく兵隊たちが残し、代々持ちまわっているものも多かった。フロント・フォークを思い切り伸ばしたチョッパーは当たり前。ペイントに至っては、日本人のセンスをはるかに超えていた。タンクに裸の女を描くのはまだ可愛い方で、ひどいのになると女性のそれ・・をあからさまに描いたりして、周辺の住民の物議をかもしたりする。その破廉恥な集団にマイキーが入ってからというもの、ワイルドバンチはいっそう派手に大騒ぎをする場所となった。

 三十台余りのバイクは昼前にようやく辺土名に着いた。ずっと向こうには灯台がある。目の前にはビーチが広がる。一人の女がポパイにからんだ。
 「なあんだ。辺戸岬までいくんじゃないの。つまんない。せっかくここまで来てさ。与論島が見えないじゃない。」
 「ヨロン?」
 「日本よ。」
 「ここだって日本じゃないか。」
 「なにいってんのよ。日本だけどあんたたちがいるから、話はそんなに簡単じゃないわよ。」
 「エミちゃん、愛してるんだ。」
 「関係ないでしょ。」
 「除隊したらいっしょにアメリカに行こう。」
 「ウソつき。」
 「本当だよ。」
 「あんたこそ沖縄に残ったら?」
 「沖縄が日本に返還されたら、おれはその場で失業かもしれない。」
 「いつのことやら。・・・・・それより金武の女と先に手を切ってよ。そっちのほうがあたしには死活問題なのよ。あんた汚いわよ、触んないで!」
 惚れているのか、憎みあっているのか、わからない関係が多い。
 いくつも小さく切り込んでいる三日月形の砂浜への小道を探して、ビリーたちはビーチを目指す。いろんなものを詰めたバスケットをみんな抱えている。
 ビーチでは早速ランチが始まった。岬の西側一帯は米軍将校クラスの保養地だった。だから砂の質もこまかくて上等だ。北側のこの辺はカジュマルやその他の低木が砂浜近くまで生い茂っている。さすがに人気もなく、米兵たちにとっては絶好の遊び場だった。
 バドワイザーやらミラーを開けるたびに、プシュッ、プシュッという音がする。
 淡い海の色が急に深くなるあたりでしきりに白い波が立つ。海に飛びこむ連中もいる。ビリーは泳げなかった。友達にも泳げない者が多い。マイキーが、こんなにきれいな海があるのにどうして沖縄の人は泳げないんだとしきりに不思議がっていた。ビリーは、いつも見ているからとか何とか、理由にならない理由を言った。第一、学校にプールがない。
 黒い肌が沖へ向かっていく。かなり遠くで手を振るのが見える。何か叫んでいるが、声は聞こえない。海がすべての音を拡散させてしまうのだ。ビリーはロイの彼女がこしらえてくれたタコスをほおばっていた。この味が好きだった。ハンバーガーよりずっと洒落ていると思った。冷めてしまったチリ・ビーンズをたっぷり入れて、ビリーは手をべとべとにしながらむしゃぶりついていた。
 木陰の方からは、もう動物・・/rt>たちのよがり声が聞こえてきた。真ッ昼間だというのにあたりを憚ることもしない。卑猥な声をあげる日本人の女たちを、ビリーはどうしても好きになれなかった。理解はしているつもりだったが、感情がついていかなかったのだ。
 太っちょのポパイが女を砂浜にうつ伏せに組み敷いて、その腰を浮かせたのには、さすがにビリーも目のやり場に困った。ビリーの短パンはダブダブだったが、それが見る間に硬くなってきたので、目立つのではないかと心配になり、ずっと膝を抱えて海の方ばかりを眺めていた。波の面を渡ってくる風はもう夏の到来を告げていた。やっと海を感じる温度になってきた頃だ。いつも夏の初めは一番期待がこもっていてすきだった。この夏が永遠に続けばいいと、ビリーは思っていた。
 マイキーが上がってきた。ゴムのように張り詰めた筋肉が水を弾いている。
 「今朝の将校の一件、面白かったね。」
 ビリーは思い出し笑いをした。
 「ああ、あいつは実戦を知らない。アマチュアだよ。」
 「でも将校は将校だよ。あとでヒドイ目にあうよ。」
 「証拠がないさ、だろ?」
 「でもわかってるよ。ジョリー・ロジャーズの仕業だってさ。」
 「構うもんか。おれだってそんなに長くここにはいない。」
 「予定は?」
 「コンフィデンシャル(極秘)。」
 マイキーは白い歯を見せて笑った。
 「ウソだよ。本当に知らないんだ。ただそう長くはないってことだよ。」
 「嘉手納を出て、帰ってきた人は少ないよ。」
 「嫌なこと言うね。」
 「ぼくが知っている限りではね。」
 海が次第に引いていく。波もおとなしくなり、一帯から音という音が沈んでいくようだ。
 「人殺しばかりしていると人間が鈍感になっていくんだ。バイクはいいよ。そんなこと考えないですむ。風の向きや、道のバンク角度や、路面の状況をずっと読み取っていくんだ。余計なことを考えてる余裕はない。車なら居眠りできても、バイクじゃ一瞬でお陀仏だ。」
 「アメリカでも乗ってた?」
 「フロリダだったから、よくキーまで走った。」
 そう言われても、ビリーにはキーがフロリダのどこなんだか見当もつかなかった。
 「あとはルイジアナへツーリングに行ったときのことだけど、モービルからニューオーリンズにかけてが好きだったね。」
 「カリフォルニアは?」
 「行ったことがない。第一、あそこは軽薄だね。」
 「フロリダは軽薄じゃないの?」
 「多少はな。おれはもともとガキの頃、キューバから親父たちといっしょに逃げてきたんだ。そういう連中から真っ先に戦争に引っ張り出されるのさ。沖縄にはグリーンカードを欲しがる奴がいるけど、間違ってもそんなこと考えるんじゃないぜ。ちゃあんと恐ろしいことが書いてあるんだ。すぐ戦場に放り出される。黒人、ヒスパニック、それからアジア系って順番だよ。背中に番号のついてない人間がベトナムでどれだけ死んでるかわかったもんじゃない。公表戦死者数なんか、ほんの一握りで、だいたい番号のない兵隊なんか管理の対象にもなってない。・・・・・」
 「マイキー、恋人は?」
 「グアムから沖縄配属になったら、向こうから最後通牒がきたよ。・・・ビリー、女なんかどうにでもなるさ。ここでまた尻軽女ローライダーを探せばいいんだ。」
 「ふつうの女の子はそんなに尻軽じゃないよ。」
 「それならなお好都合。しかしおまえも中途半端な世界に住んでるよなあ。もっともまだよくわからないだろうけどな。」
 マイキーが言おうとしていることは何となくわかっていた。実際、沖縄は奇妙な空間だった。今で言えば、頼るべきアイデンティティが欠落していたのだ。ただ一つ、少なくとも沖縄だという壊れそうな、しかし激しい感情だけが皮膚の下に脈々と流れていた。その感情がどういう意味を持つのか、ビリーにはまだわからなかった。
 真実だけが存在した。どんなに現れ方がいびつであっても、不安定であっても、そうあるように生きていることが絶対に正しいと信じられた。だから通り過ぎる出来事は、どれもこれもみんな楽しい思い出であって欲しいといつも心に願っていた。
 初夏の海の昼下がり。ビリーたちは潮騒の歌を聞きながら、カジュマルの木陰で眠った。マイキーにはカジュマルの木に棲むキジィムナー(子供の妖怪)のことを教えてやろうと思ったが、なんとなく止めてしまった。潮を含んだ肌がひんやりとした空気にとても爽やかだったことを、ビリーはずっと覚えていた。

 ジョリー・ロジャーズの悪戯はとどまることを知らなかった。金武の盛り場で空挺の連中と喧嘩になったことがある。どちらがどうだったというのでもないらしいが、ワイルドバンチに出入りしている中ではロイとほかの二人が営倉にブチ込まれた。三日で済むところを五日も入れたというので、また騒いだ。ジョーダン中尉という例の将校に、彼らの標的は再び向けられた。馴染みの日本人女を言いくるめて、ベッドの様子を一部始終テープに録音させたのだ。それをみんなで聞いて大笑いしただけではなく、中尉がよく出入りしているスーパースターというバーで、彼がいるのを見計らって、音楽の代わりにボリュームいっぱいにそれを流したのは傑作だった。居合わせたMPを二人連れて、マイキーら三人を拘束しようとしたらしいが、逃げ足の速い連中はまんまと遁走した。追いかけようと中尉とMPたちはジープに飛び乗った。今度はちゃんとタイヤがついていた。エンジンをかけ、ハンドルに手をかけようとすると、そこにあるはずのハンドルが、こんどは無いのだ。これもマイキーたちの仕業らしい。同乗していたMPたちもさすがに苦笑していた。
 「They’re really something(たいした奴らだよ。)・・・・・」

 人間は何でも夢中になれば、無限に少しでも近づくことができる。そんな風に思える日々が誰しもあったはずだ。ビリーにとってはそれはバイクだった。
 六月は雨が多かった。毎日マイキーたちはワイルドバンチでバイクの成り立ちを教えてくれた。父は車両整備に忙しく、バイクまでは教えてくれなかったからだ。ビリーはオイルや部品と格闘しているうちに、とんでもないことに気がついた。それはバイクの製造にかかわるコンセプトだった。ビリーは人間が乗りやすいようにバイクの製造が工夫されているとばかり思っていたが、それは大きな間違いであることに気がついた。バイクが人間の鼓動を読み取りやすい構造になっているのだ。人間が機械を操るのではない。バイクが人間の心の動きに応じて自在に動くように設計者は思い入れをしているのだ。
 夏至の頃、南風カーチベーが吹いた。やがて赤みを含んだ濃黄色のユウナが咲き始めるだろう。ビリーたちは、再びオン・ロードに出た。
 去年B52が爆弾を積んだまま離陸に失敗し、知花弾薬庫近くで炎上して以来、沖縄は二・四ゼネストへ向けて騒然としていた。島はベトナム反戦と、沖縄返還と、米軍基地撤退運動で大きく揺れた。けっきょく二・四ゼネストは挫折し、B52の常駐は公然と継続された。ビリーはそうした活動をけして創造的なものとは思えなかった。むしろ、無差別爆弾の屠殺人たちと、彼らから金をむしり取る女たち、・・・・およそ創造的な生活からかけはなれた人種ではあったけれど、かえって生々しい感情に堪えている姿が、ビリーにとっては形に現れないものだけに、より創造的に、繊細に、そしてより優しいもののように思えて仕方がなかったのだ。不確かな状況や暫定的な環境の中で、自分自身をつかみとろうとしてつかみ切れない哀愁は、いつまでもビリーの瞳を惹きつけて離そうとはしなかった。

 その日は、ジョリー・ロジャーズの中でも、マイキーはじめ六台だけがツルんでいた。ビリーは例によってマイキーのハーレーに乗っていた。アダンの海岸線を抜けて金武湾を東へ迂回。ブルービーチへ進路をとった。ポパイは嘉手納を出るときからパーム・オイルを体に塗りたくっていた。先行するポパイのバイクの方から甘い匂いがしてくる。ビーチ・ロードはご機嫌だった。出発が昼過ぎだったので、遠出は無理だった。マイキーの両手はほとんど遊んでいた。ニーグリップが効いているから手はハンドルに添えているだけで十分だった。今朝装着したばかりのハイウェイ・ペグに両足を投げ出すようにして、海風の抵抗をまともに受けながらのライディング・ポジションだ。ブルービーチは将校用だったので、ビリーたちはその付近でバイクを降り、服のまま海に飛び込んだ。今日は珍しく女っ気無しだ。ビリーは上機嫌だった。
 「なあ、兄弟。ワイルドバンチのはす向かいに煙草屋があるだろう?あそこに女の子がいつも座ってるよな。」
 「さえっていうんだよ。」
 「いくつだい?」
 「十七。」
 ビリーは胸騒ぎを覚えた。
 「よしなよ。生娘きむすめだよ。」
 ほかの連中がそれを聞いて大笑いした。
 「ビリーがなあ、生娘なんてね!」
 ビリーは不機嫌になった。
 「いいさ、試してごらんよ。かたいと思うな。」
 「英語は?」
 「できるよ。」

 以来、マイキーの煙草屋通いが始まった。そしてそれがそんなに簡単ではないことが証明された。なにしろ冴の両親が大のアメちゃん嫌いだったのだ。しかしマイキーはめげることなく、まめに足を運んでは声をかけていた。冴は学生らしくさらっとした短い髪をして、いつも腰のところを締めたプリーツのついたワンピースを着ていたが、元来口数の少ないほうで、時折マイキーの冗談に硬い笑顔を見せるだけだった。そのうち、ワイルドバンチから見ていると、マイキーが来てるかどうか、いつも彼女は煙草屋の中からこっちに視線を送っているのにビリーは気がついた。馬鹿みたいだと思ったが、そのことをマイキーに言うと、マイキーも大げさに喜んでいた。
 けっきょくビリーは二人の仲を取り持つ羽目になった。彼女は最初はかたくなだったが、台風の後の最初のツーリング日和にとうとうジョリー・ロジャーズの仲間入りに応じた。
 空はまだ不安定だった。マイキーも、初めてのツーリングに参加した彼女も、そしてビリーも、気分が何となく落ち着かないように。
 マイキーのタンデムには冴が乗った。ビリーは彼女がいないジュピターのバイクに乗った。その日はビリーにとって一つの時代が終わったかのように、もの哀しい思いが押し寄せた。冴ははじめははにかんでいたが、金武湾を過ぎる頃にはすっかりハイになっていた。マイキーもくだらない冗談を飛ばしては彼女を手の内に入れつつあった。ジュピターはビリーにこう聞いた。
 「ビリーは彼女がいないのかい?」
 「好きなはいるけどね。」
 「学校のか。」
 「学校になんか、ずっといってないよ。」
 「どこのなんだよ?」
 ビリーには言えなかった。マイキーのタンデムに乗っているその年上のひとだとは。年の差もあったからか、冴のほうはビリーのことなど相手にしてなかったが、ビリーのほうでは久しく憧れていた。彼女はビリーを弟くらいにしか認めてくれなかった。ビリーもそれを恋をいってよいものかずいぶん困惑していたのだ。マイキーはその多感な少年の季節にあっさりと終止符を打ってしまった。ガソリンの焼ける匂いと、スピードをつけた潮風の中で、ビリーはまた一人ぼっちになってしまった。
 一団は岬近くのブルービーチを目指していた。近いからこのへんを利用することは実際多かった。例によってブルービーチから少し離れたところにバイクを停めて、みんな海に飛び込んだ。大きな湾がコザの方にまで伸びていく。白い波はスカイブルーの海面に映えて、光の渦を一層際立たせていた。
 夕方近くになって、遊びつかれた集団はここかしこにひっくり返っていた。ビリーはヤケになって暴れていたのでぐったりしていた。マイキーと冴の姿が見えないのに気がついたが、取りとめもなくしゃべり続けるジュピターの話にウトウトし始めていた。カジュマルの茂ったあたりから、女の悲しそうな小さな悲鳴が断続的に聞こえてくる。ロイやポパイが、いやらしそうに目配せして笑っていたので、それが誰と誰であるか、ビリーにも察知がついた。女の声は明らかに抵抗を示していた。あとは男の荒い息遣いだけが樹木を渡る風に乗ってかすかに流れてくる。ビリーは起き上がる気力もなく、ボンヤリとタオルにうつ伏せてそれをただじっと聞いていた。言いようのない無力感が体中を支配していくのを、どうすることもできなかった。・・・・・
 ビリーたちは、日暮れ頃、ビーチを後にして金武の町へ入った。そのときビリーは女というものがほとほと嫌になった。冴の態度が一変していたのだ。ポパイの彼女から口紅を借りて装っていた。ためらいもなく、マイキーとキスをしたり、自分から恋人気取りで腕を絡ませたりしているのだ。ビリーはこの二時間ほど前に抱いた空しさや無力感がにわかに馬鹿馬鹿しくなってしまった。
 金武の町はやはり兵隊が多い。澱んだ頽廃の匂いがバーやサロンの間を漂っていた。
日本人バンドの激しいロックのからさは、どことなく一時の安逸に流れているアメリカ人たちの、いわば熟れすぎた果実の甘さと絶妙な不協和音を奏でているようだ。不自然で不安なアメリカ人たちや日本人たちの織り成す特殊な空間だった。那覇にもコザにもそういう雰囲気はあったが、金武のそれはもっと乾いていた。もっと哀しい暖かさがあった。
 ビリーたちはバビロンというバーに入った。冴はスローバラードのたびにマイキーにしなだれかかって踊った。二人の、とくにその煙草屋の娘の様子は醜悪だった。ここにいてはいけないアメリカ人たちと、一体誰であるかをいつも問いつづけなければいけない自分たちとが、あまりにも不自然な空間に共存している。ビリーはもうほとんど痛ましいくらいの思いでいた。それが頂点に達したとき、騒ぎが起こった。
 バーの奥で飲んでいた日本人青年たち五人が、マイキーたちと言い争いになったのだ。そしてそれはビール瓶を叩き割るにいたって、一触即発の危機となった。ビリーはそれを何の違和感もなく、ただ眺めていた。取っ組み合いが始まったとき、マイキーと一瞬目が合った。ビリーはそこにいるすべての人間たちを軽蔑した。みんなどうにでもなってしまえばいい、とそう思っていた。
 MPが駆けつけるまでにビリーは一人でバビロンを飛び出した。そしてコザまで夜の海岸通りを歩いた。金武湾の一番内側にさしかかった頃、一団のバイクが猛スピードで通り過ぎていった。ビリーは木陰に隠れてそれを見送った。月の明かりが海面に細かい水晶の飛沫をあげている。濃紺色の風景が頼りなげな白い波やビーチによく似合っている。道路に自分の鼓動がこだまするようで、ビリーは運動靴を脱ぎ、裸足のまま歩いた。まだ熱を持った路面だけがビリーの人に言えない苦衷を知っている、とそう告げていた。
 それからもマイキーたちは相変わらずワイルドバンチにやってきた。ビリーは特別変わった風もなく振舞っていた。向かいの煙草屋からはよく両親と娘の激しい罵り合いが聞こえてきた。マイキーが来ると、冴も飛び出してくる。その化粧にもビリーはやがて慣れた。ただビリーがツーリングに参加することは、もうなかった。
 そのうちいジュピターとロイが嘉手納を発った。ベトナムでのサーチ&デストロイに加わるためだ。ビリーは彼らの最後のツーリングに参加した。そしてジュピターの厚い背中でずっと泣いていた。海の色も燃えるような夏の太陽も、カジュマルの茂みもただ慟哭していた。ジュピターはいつもよりずっと陽気だった。ビリーが餞別に用意した、ジュピターの大好きなボサノヴァのレコードを渡すと、そのジュピターが初めて泣いた。
 ジュピターはその後とうとう帰って来なかった。ロイは半身不随でミネソタに送還された。マイキーが一度だけ手紙を受け取った。
 ジュピターの死は、戦争が起こっている現実をビリーの記憶に深い痕跡とともに残した。ビリーは終わりに近づいた夏の昼下がり、食事の後ボサノヴァを聴くことが多くなった。別に塞ぎこんでいるわけではなかったが、不安な予感にただ怯えていた。
 ある日、激しい雨が降った。ビリーは仕事もなく店先にいた。はやい雨足の間に、かすかに聞こえるボサノヴァが退屈だった。するとマイキーがズブ濡れのまま、ハーレーで乗りつけた。珍しくシールドのついたヘルメットをつけている。ビリーは思いがけないマイキーの登場に驚いた。
 マイキーは、『乗らないか?』と、ぎこちなさそうに笑った。ビリーは一目散に二階の部屋に駆け上がって、カビの生えたヘルメットを引っ張り出し、マイキーのタンデムに飛び乗った。
 雨が痛く、体中に弾いていた。それは今まで一度も経験したことのない爽快さだった。
 「たまには雨の中を走るのもいいもんだよ。・・・・・自然がいろんなことを教えてくれる。」
 バイクに乗る人間は、人種を問わずみんな詩人だ。
 マイキーとビリーは狂ったように歓声をあげながら、金武湾沿いのビーチロードを走った。急速に冷えていく体が叩きつける雨にあたって、かえって熱くなっていくような不思議な感覚だった。不自然で、不安定なライディング・ポジションがよけいその不思議さを際立たせた。灰色に埋もれた目前の海岸線が重苦しく煙っていた。ビリーは素敵な仲直りだと思った。風の音と激しい雨音がヘルメットの中でこだましている。まるで、バイクと会話しているような気すらしてくる。そんなバイクの乗り方を知っているマイキーは、やはりヒーローだった。鉄の馬が嵐の中を突き抜けていく。カーブのたびにひづめの音を残す。真っ黒な雨雲が人間の罪を洗い流していくようだ。
 ビリーは、唐突に聞いた。
 「冴さんは?」
 「雨が嫌いなんだとさ。・・・・」
 ビリーは愉快だった。

 ジョリー・ロジャーズは、少しずつ嘉手納を去っていった。ポパイもベトナムへ行った。渡洋爆撃は日を追って激しさを伴っていった。そして汚い言葉を発しながら、ポパイはいつも元気に帰ってきた。
 父が夕食のとき、こう言ったことがある。
 「連中は殺人機械だ。そうは言っても人間だから、機械になりきれるはずもない。なりきれたらどんなに楽かもしれない。」

 ある日、金武で、マイキーたちと大喧嘩した日本人青年たちが日本製のバイクでワイルド・バンチに乗りつけた。マフラーを交換したり、ハンドルを一文字にしたりして、一台のセコハンのカワサキを徹底的にチューンナップした。そしてその夜、こんどはマイキーたちもやって来た。同じように一台のハーレーをチョップし、オーバーホールし、パーツを交換した。あまりの偶然に何事か起ころうとしていることに気づいた。マイキーが言った。
 「決闘だよ。」
 那覇港の突堤で、一対一のデッド・エンド(行き止まり)というレースでカタをつけようということらしい。ただお互いがともにバイク狂いであることを知ってから、妙な連帯感が生まれたようで、それも不思議なことだった。バイクに乗るというただそれだけですべてが許しあえるということは、そのときにビリーにも何となくわかるような気がした。しかし、成り行き上、デッド・エンドは行われることになった。
 その夜、ビリーたちは突堤に集まっていた。野次馬もたくさんいて、長い突堤は人で埋まっていた。どこからこんなに集まったのか、いったい誰が呼んだのか、とにかく突堤の入り口まで人とバイクでいっぱいだった。
 その日本人青年の一人が、油で汚れたツナギのままカワサキに跨っていた。額から滴り落ちる汗がタンクを濡らして、鈍い輝きを放っていた。マイキーは仲間とはしゃいでいた。冴の姿はなかった。
 突堤はまっすぐ湾のほうに伸び、そのままドロップ・オフとなっていた。突堤は大きなサーチ・ライト一つで昼間のように明るかった。ビリーは心臓が高鳴り、息を弾ませていた。いったいこの二人はなにをしようとしているのか見当もつかなかった。
 それは二台のバイクが全速力で疾走し、ドロップ・オフ寸前で停止し、どちらがエンドに近いところで止まれるかを競うものだった。いわゆる〇四のバリエーションだったが、ブレーキングに失敗するとそのまま海に落ちてしまう。バイク好きな連中としては実につらい賭けだった。
 マイキーが真顔になって、日本人青年に声をかけた。
 「兄弟、本気かい?」
 「怖気づいたか?」
 青年はうっすらと笑った。
 「言ってくれるね、お利口さん。」
 アイドリングの音が次第に荒くなって、決闘は最高潮に達した。飲み屋の女がテンからカウント・ダウンをはじめた。
 「セブンシックスファイブ・・・・」
 バイクはとてつもない音で吠え出した。ブレーキでかろうじて後輪はとどまっていたものの、わずかにコンクリートを横滑りし、テールが泳ぎ始めた。
 「スリートゥーワン・・・・・GO!」
 二台のバイクは見事なもので、ウィリーもしないで、一直線に飛び出した。コイルの焦げるような匂いがビリーのいるところを真っ白に包んだ。人垣がどっと崩れて、赤いテールランプを追った。半ばを過ぎたあたりになっても二台のバイクはブレーキングをする気配がない。ほとんど競っていた。まだ赤いテール・ランプはサインを出さない。ビリーは必死で後を追いかけた。
 マイキーは。速度が限界に達する頃、大声で呼びかけた。
 「兄弟(バディ)!Can you swim?(泳げるか)」
 青年も大声で聞き返した。
 「What?(何だって?)」
 「I said, can you swim?(泳げるかって言ったんだ)」
 「No!(いや)」
 「I・・・teach・・・you!(教えてやるよ)」
 二台ともそのまま宙に飛んだ。大きく弧を描いて白い飛沫をあげながら真っ黒な海へ落ちていった。スロットルを離した二人も、ややあって大きく体を伸ばしたまま海中へ落ちた。コンクリートにはまったくブレーキをかけた痕がなかった。ビリーたちはいっしょに抱き合いながら泳いでくる二人を引き上げ、お祭りのように騒いだ。みんなが大笑いをしていた。勝ち負けを口にする者は一人もいなかった。マイキーも、ツナギの青年も、何がおかしくてたまらないのか、とにかく笑いころげていた。
 港を吹く潮の匂いが彼らを幸せにした。夏の終わりの夜。バイクに乗る者に悪い奴はいない。

 秋の気配が感じられたのはそれから少したってからだった。海からわたってくる風にも熱がこもっていなかった。まだ泳げはしたが海に行く人はいなかった。
 マイキーのフライト・スケジュールが以前にもまして頻繁になったのも、その頃だった。
 「せっかく今度の休暇のまま除隊に持ち込めるところだったのにな。・・・どうやら最後のおつとめミッションらしい。」
 「ジョーダン中尉をからかいすぎたからだよ。」
 「ビリー、バイクのキー、預かってくれ。ほかの奴に乗られたくない。」
 「どうして、長いの?いつ戻るの?」
 「なあに、ポパイと同じ爆撃機だよ。折り返し戻る。ただなんとなくな、嫌な感じがするんだよ。万一のときには、おまえにやる。書置きしておいたからな。」
 弱気を言うマイキーを初めて見た。

 B52が毎日嘉手納を飛び立っていく。ビリーはキーを握り締めたまま明日にでも帰還するB52を待っていた。しかし、マイキーとポパイのB52だけは戻って来なかった。嘉手納の横を通りかかるたびに、フェンスのずっと向こうに停めてあるハーレーを見るのだった。シャワーの日にも、ハーレーは野ざらしのまま放っておかれていた。ジョリー・ロジャーズが一人、また一人と南の空へ消えていくのを、ビリーはいつも見送っていた。そのうちの何人かはやはり帰って来なかった。
 ある日、冴をコザの市場で見かけた。白人将校と抱き合うように歩いていた。以前にもまして化粧と服装がケバケバしくなっていた。もうビリーの知っている冴ではなかったが、それを認めたくなかった。
 ビリーはやにわに将校に向かって叫んだ。
 「あんた、知らないのかい?この汚い女はこの前まで黒ン坊(二ガー)と寝ていたんだ!こいつは売女ばいただよ!」
 将校は嫌な顔をして冴の方を見た。冴は顔を強ばらせながらビリーの方につかつかと歩み寄り、思い切り横っ面をひっぱたいた。
 「思い出なんかと暮らすのは真っ平よ。」
 ビリーは大粒の涙を落としてつぶやいた。
 「ファック・・・ユー・・・・」
 短い秋があっと言う間に過ぎ、サトウキビに銀色の花が咲き始めた。一面が銀の波にそよぎ、明るい海の色に見事なコントラストをつくっていた。
 B52は相変わらず渡洋爆撃を繰り返していた。バラック横のマイキーのバイクはすっかり泥だらけになっていた。ビリーはマイキーが死んだことを認めざるをえなかった。ジョリー・ロジャーズもかなりメンバーが入れ替わっていた。そう呼ぶ人も少なくなった。マイキーから預かったキーは、永久にシーサーの貯金箱の底に眠り続けていた。
 寝苦しい夜は、もうとうに過ぎ、忘却の中にわずかな夏の日の思い出だけが鮮烈な印象を残していた。沖縄返還のことが、具体的な日程を伴って人々の口にのぼるようになった。
 年が変わり、冬が終わり、春も通りすぎていった。また、南風カーチベーが吹き始める季節が近づいていた。とうにマイキーのことは、アルバムの中だけの世界になっていた。
 その日、ビリーはワイルドバンチの店先に立って、オイル缶を運んでいた。一台のジープが停まった。見知らぬ将校が運転席に座っていた。女が助手席の方からビリーに声をかけた。冴だった。
 「浩太君。・・・・怒ってる?この前は、ゴメンね。」
 ビリーはあの一件の後、冴がマイキーの子を堕したことを人づてに聞いていた。一時自分の浅はかさをどんなに悔いたか知れなかった。
 「いいえ、なんでもないです。こっちこそ。・・・・」
 「そう。・・・あの、伝言があるの。」
 ビリーは怪訝そうに彼女を見た。
 「誰かさんが、はやくバイクのキーを返せって言ってたわよ。」
 ビリーは目の前がパッと明るくなった。
 「いつ?どこで?」
 ビリーの声はうわずっていた。
 「つい今しがたよ。はやく持っていってあげたら。あなたのこと待ってるわよ。」
 ビリーは家の中へ駆け込もうとしたが、慌てて振り返った。
 「あなたは・・・・行かないの?」
 冴は寂しそうに微笑んで、顔を横に振った。そのときほど彼女がきれいに思えたことはなかった。
 ジープはすぐ走り出した。ビリーは彼女を見送ったあと、二階へ上がり、シーサーの貯金箱をこじ開けようとしたが、なかなか頑丈で穴の蓋が開かない。業を煮やして、ビリーはテラスに叩き落として割った。キーを手に取ると、ビリーは表へ飛び出し、嘉手納の方へ走った。息が詰まりそうなほど、力いっぱい。
                                       完

 


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