応募小説


昔の携帯電話
                     森下 一輝

 秋の寒さが、何もない部屋の中までじんわりと伝わってくる。新しいアパートへ引っ越してきたばかりの森下一輝は、冷えてきたこの部屋を温めるために、実家から持ってきた石油ファンヒーターの電源を入れると、そのままキッチンへと向かった。
 温かいコーヒーを飲むために、食器と書かれたダンボールの中からお気に入りのマグカップを出すと、それをテーブルの上に置く。駅前で買ってきたドリップコーヒーをコーヒーメーカーの中へと落とすと、コーヒーの香りがキッチンの隅々まで漂ってくるのがわかった。コーヒーの滴が落ちるのを確認すると、イスに座りながら引っ越してきた部屋の中を見廻してみる。

 部屋の中には、手付かずの状態で放置した無数のダンボール箱が、街に聳え立つビルのように積み重なっている。一輝は片付けるのがめんどうくさくなり、大きなため息をついてしまった。

 「どれから片付けていこうか」

 そんなことを考えながら、視線をコーヒーメーカーへと移す。すべて落ちきったコーヒーをマグカップへと注ぎ、ひとくち、口に含み飲んでみる。身体の中を流れていく温かさを感じながらイスから立ち上がり、積み重なったダンボール箱のほうへと歩き出す。

 積み重なったダンボール箱の表面にマジックで書かれた文字を、ひとつひとつ確認してみる。すると、大きなダンボール箱の上に、申し訳なさそうに置かれた小さな白い箱があるのに気づく。

 「こんなのあったかな?」

 そう思いながら、その箱を持ち上げ、中を開けてみる。ゆっくり視線を落としていくと、箱の中には五年前に買った、もう聴いていないCDが、存在を忘れられたかのように十枚ほど無造作に入っていた。

 「懐かしいな」

 そう思いながら箱の中に手を入れCDを取り出す。すると、すべて取り出した箱の中から、五年前に使っていたクリーム色の携帯電話が、ひょっこりと顔を出すように現れた。

 「うわ!懐かしいなこれ!」

 一輝はその携帯電話を手に取ると、ディスプレイ画面を見るために、ふたつ折りになった携帯電話をパカッと開く。電源は切れたまま。画面は真っ暗だ。

 親指で電源のボタンを長押しする。携帯から鮮やかな音がすると、約一秒後によく見慣れた、優しい顔をした女性がニッコリと微笑む姿が画面に出てきた。

 「美雪だ」

 一輝はその女性の姿を懐かしむようにその画面を見ていた。

 「ただいま。遅くなってごめんね。お弁当屋さん混んでてさ」

 美雪はそう言いながら、手にビニール袋を下げ玄関で靴を脱いでいる。

 一輝と美雪はこの秋に結婚したばかり。
 北海道と広島の遠距離恋愛の末、離れていた寂しさを乗り越え無事にゴールインしたのだ。美雪は長年住み慣れた広島を離れ、一輝の住む北海道へと引っ越してきた。今日は新しいふたりの新居へ引越しをしてきた、ふたりの夫婦生活が始まった記念日。

 そんな、ふたりの荷物が入ったダンボール箱に囲まれながら、遅めの昼食をとった。


 「一輝が手に持っているのはなに?」

 「あぁ、これ覚えてない? 付き合い始めたときに俺が使っていた携帯なんだけど」


 一輝は美雪にその携帯を渡す。美雪はなにかを思い出すかのようにクリーム色をした携帯電話を見つめる。

 「わかった! 初めてわたしの部屋に来たとき、テーブルにこの携帯を置きっぱなしのままにしてさ、一輝が空港まで来て携帯がないことに気づいて、次の日にわたしが北海道まで宅急便で送った、あの携帯だよね!」

 「そう。あのときは参ったよ」

 昼食の弁当を食べながら大笑いするふたり。
美雪はこの思い出の携帯電話をいろいろ触っている。すると、何かを思い出したかのように一輝にこう言った。

 「一輝。この携帯の中に入っているデーターってさ、まだ残っているかな?」
 「画像とか、ムービーとか?」
 「そう。わたしの送ったものとか、ふたりで撮ったものとか」
 「消していないと思うから、多分残っていると思うけど」

 遠距離恋愛をしていたから、携帯電話はふたりを繋ぐ大切な道具だった。会えない寂しさや切なさをお互いの声を聴き、想いを伝えるメールの文字を何度も見ては、離れているふたり距離を埋めていったのだった。

 「見られちゃまずいものはないよね」

 悪戯っぽく美雪は言う。

 「そんなのあるわけないだろ」
 「あはは。そうだよね」

 美雪は笑いながら、携帯の中に入っているデーターフォルダを開いていく。携帯の小さな画面には、いくつものふたりの画像が出てきて、ふたりが付き合ったばかりの、まだ、表情が硬い画像までも出てきた。

 「懐かしいな。これなんて初めて広島に行ったときに撮ったやつだよね?」

 一輝は美雪の顔を見て言う。

 「そう、ふたりで原爆ドームを見に行って、元安川沿いのベンチに座って撮った、あの画像だよ」
 「そうだったな」

 一輝の頭の中で、いろんな光景が携帯のデーターフォルダを開いていくみたいに広がっていく。

 それは、美雪が次々と携帯のデーターを開いていくと同時に、一輝の中でもその日、そのときのようすがはっきりと思い出すことができる。

 「ねぇ。これ見てよ」

 美雪は十五秒撮りのムービーを再生しようとしていた。携帯の小さな画面にどこかの夜景を映したような静止画を見て、一輝は何かを思い出した。

 それは、ふたりが付き合って一年がすぎたころのこと。美雪が北海道へ遊びに来て札幌に一泊した夜、ススキノにある観覧車、ノリアで映したムービーだった。

 「ちょっと見てみようよ」

 一輝がそう言うと、美雪は再生のボタンを押した。

 「ねぇ、これってテレビ塔だよね。綺麗に映ってる」

 美雪が懐かしむ顔をして言うと、携帯のスピーカーから五年前の一輝の声が聴こえてきた。その声にふたり、耳を傾ける。

 「美雪。俺と北海道で一緒に住もうな」
 「うん」
 「美雪。俺と北海道で結婚しような」
 「うん、絶対だよ」
 「あぁ、絶対だ」

 携帯のカメラから映し出された札幌の夜景の後ろで、五年前のふたりの会話が聞こえてくる。初めてのプロポーズ。一輝はこのときのことを思い出すように眼を閉じてみる。そして、静かに口を開いた。

 「このときに俺は美雪にプロポーズしていたんだね」
 「ちょっとなに? 覚えてなかったの?」
 「ごめん。この携帯のムービーを見るまで忘れていた」
 「もう、一輝はどうしようもないんだから」

 美雪は一輝の肩を軽く叩くと、微笑みながら手に持った携帯電話を床にそっと置いた。

 昼食を食べ終えたふたりは、引越し業者のおじさんが大事に運んでくれた新品の白いソファーへと座る。一輝はさきほどのクリーム色の携帯電話を見つめながら美雪にこう言った。

 「なぁ、美雪。初めてメールしたときのこと覚えている?」
 「うん、覚えている」
 「嘘つけ」
 「あはは。ごめん」

 笑ってごまかす美雪に「人のこと言えないだろ」と、一輝は渋い顔をしてつっこみを入れる。

 「俺、美雪が北海道に住んでいる人だと勘違いをしてたからさ、メールで広島に住んでいると知ったときは驚いたよね」

 「あぁ! そうだったね!」

 一輝と美雪はブログを通じて知り合った。
 一輝はそのころ北海道の観光情報を伝えるブログを更新していて、たまたま、そのブログを見つけた美雪がコメントを残したことからふたりは急激に仲良くなっていったのだ。

 美雪は自分のブログに詩を書いていて、心に思っていること、願っていることを上手に表現していた。美雪のプロフィール画像は、札幌雪まつりのイルミネーションを使っていたので、一輝はてっきり北海道の人だと勘違いをしていたのだ。

 「一輝はさ、わたしが北海道のどこかに住んでいて、病気がちで寝たきりの物静かな女性を想像してたんだよね」

 「そうそう。ところが全然ちがった」

 一輝がそう言って笑うと、美雪も一緒になって笑った。

 「もう、あれから五年も時が流れたんだね。付き合ってからは一ヶ月経つのが早く感じてさ、あと一週間したら会えるんだって思ってたもん」

 「そうだよな」

 一輝はそう言って、ソファーから立ち上がると、床に置かれたままのクリーム色の携帯を手に取った。

 「会いたくて寂しいとき、夜中に声が聞きたくなったとき、この携帯でいつでも美雪と繋がっていた」

 「そうだね」

 美雪はゆっくりと頷く。

 「たまに繋がらなくて心配になったこともあったけど、この携帯に入ってある、ふたりで歩んできた思いでの写真を見ているだけで、自然と心が落ち着いてきた」

 美雪は何かを思い出しながら黙っている。

 「美雪。この携帯電話は、ふたりの大切な思い出がたくさん詰っているんだね」

 一輝は美雪の肩に手を置いた。

 「うん。それはふたりの宝物だよ」

 美雪はそう言うと、自分の肩に置かれた一輝の手を優しく握った。ふたりの手の中にあるのは古いクリーム色の携帯電話。

 ふたりは懐かしい思い出を、再び確かめるように、そっと、その携帯電話を温めていた。
 



短編小説応募作品です。企画の庭では今後も応募をお待ちしています。
 


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