2010.3.1    
合戦と城攻め(1)
 先人がつくった日本の歴史を、もう一度勉強してみることも、大切です。設問形式にしてみました。さあ頭の体操もかねて挑戦してみましょう。今回からはいくさの変遷をたどってみます。解答は文末にあります。
鍾乳洞 入り口

■平将門と藤原純友―武家政権のさきがけ

1) 朝廷から派遣されていた国司などが、そのまま地方に残って土着し、土地の豪族らと【    】と呼ばれる武装集団を形成した。

2) 【    】天皇の孫・源経基を祖とする武士団を清和源氏と呼び、武士の棟梁としての地位の高さから、のちに多くの武家がその血筋を汲むと自称した。

3) 承平五年(九三五)に常陸・下野などの国衙を襲い関東一円を支配した【    】は、自ら【    】を名乗り、朝廷に対して反乱を起こした。

4) もと伊予掾(いよのじょう)として海賊の退治にあたっていた【    】だったが、後に海賊の頭目となり、瀬戸内海沿岸の国を襲撃して反乱を起した。

5)矢線が中心であったこの頃の合戦では、 開始の合図で両軍が矢を射かけ始めると、騎馬武者が名乗りをあげて登場し、弓矢での一対一での戦い(【     】打ち)が行われた。


■平将門と藤原純友 
―武家政権のさきがけ【解答】

当回分の解答です。

1) 武士団 2)清和 3)平将門 親皇 4)藤原純友  5)一騎

 武士とはどのように生まれてきたのか。平安時代、地方の豪農たちは、現地に派遣されてきた受領(ずりょう)のもとで、役人として納税を請け負っていたが、なかには受領の横暴に武器を持って抵抗する者もいた。受領は、ほかの武装した豪農たちを鎮圧にあたらせる。鎮圧に成功し、おおたけに軍事警察力を認められた者が初めて武士として地位を得ていったのである。承平・天慶の乱は、武士の存在を中央がはっきりと意識する機会となった。

(協力・セマーナ株式会社)

 


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