2009.8.31    
江戸時代 (3)
 先人がつくった日本の歴史を、もう一度勉強してみることも、大切です。設問形式にしてみました。さあ頭の体操もかねて挑戦してみましょう。とりあえず江戸時代からです。解答は文末にあります。
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■徳川将軍の系譜―家康から慶喜まで part2

1)  四代将軍にわずか11歳で家綱が就任した直後、慶安四年(1651)、軍学者・【  】による幕府転覆事件(慶安の変)が発覚する。

2)五代将軍綱吉は掘田正俊の刺殺以後、大老を置かず、【  】の牧野成貞、柳沢吉保を重用して老中を遠ざけた。

3)綱吉による生類憐みの令によって、初代家康が健康増進や軍事訓練のために好んで行っていた【  】も停止された。

4)六代将軍家宣は、先代の側用人、柳沢吉保をしりぞけると、儒学者の【  】を登用するなど政治の刷新をはかったが、在職3年あまりで急逝した。

5)四歳で七代将軍に就いた【  】だったが、八歳で病没。家康以来続いた徳川の宗家が途絶えてしまい、紀伊藩主の徳川吉宗が八代将軍に就任した。

6)八代将軍吉宗は、目安箱の設置、公事方御定書の制定、大岡忠相の抜擢など、享保の改革を進める一方、隠密に情報収集を行う【  】を創設した。

7)九代将軍家重を経て、十代将軍家治の時代に側用人から老中になった【  】は、商業を重視した政策を次々に打ち出したが、多くの批判を集めた。

8)十一代将軍家斉の治世・文化文政時代は、【  】による寛政の改革が初期に頓挫。十二代将軍家慶の代も、水野忠邦による天保の改革が失敗に終わった。

9)嘉永6年(1853)。米国の【  】が浦賀に来航中、十二代将軍家慶が薨去。十三代将軍には家定が就いたが、病により在職期間は六年で終わった。

 


 

■江戸時代(3)
 徳川将軍の系譜―家康から慶喜まで part2  【解答】

当回分の解答です。

1) 由井(由比)正雪  2) 側用人  3) 鷹狩り
4) 新井白石  5) 家継  6) 御庭番(お庭番)
7) 田沼意次  8) 松平定信  9) ペリー

(協力・セマーナ株式会社)

 


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