【知の庭】
2009.7.13      

富山藩 風土と人 Vol.65

Local historians

さらさら越えを強行した佐々成政
「忘れ得ぬ人」として富山県人に思慕される

富山城は、荒城の月の題材にも

渡辺 誠
立山(たてやま)に 降りおける雪を 常夏(とこなつ)に 見れどもあかず 神(かむ)からならし

 八世紀のなかば、都から「鄙(ひな)さかる越(こし)の国」、越中の国司に五年間赴任したことのある万葉の歌人、大伴家持(おおとものやかもち)の歌にもあるように、昔、立山は神として畏敬され、尊信されていた。
 富山平野のどこからでも仰ぐことのできる、峨々(がが)たるこの連峰は、今も越中びとの景仰深いものがある。
 



立山連峰

■雪に挑戦した武将
 美しく、そして荘厳なすがたのこの山は、しかし、きびしい自然と共に屹立していることを忘れてはなるまい。風は西風を主として、突風が登山者の足をすくませるのが茶飯事だ。が、何よりも、雪のすさまじさである。
 厳冬の季節には、十日間も吹雪に見舞われることも稀ではないし、しかもその雪は水気をたっぷり含み、「重たい」のであって、ラッセル車泣かせの雪なのである。
 かつて、戦国乱世のことだが、立山連峰のこの雪に「挑戦」した漢がいた。
 富山城を近世の城郭に整備すべく大修築をほどこした武将、佐々成政(さっさなりまさ)である。



富山城

■佐々成政が織田信長の命で
 佐々成政は、温暖の東海地方から進駐してきた司令長官といった人。富山城はそのころ越後の長尾・上杉氏と土着の椎名・神保氏らとの間で、争奪戦の的とされて、一時は上杉が占拠したものの、これを一向一揆が奪い返したこともあった。
 そうして天正年間に入ると、織田信長が北陸に触手を伸ばして上杉の勢力と相争うことになったのだが、その信長が送り込んだのが、勇将として鳴っていた佐々成政であった。彼はその功によって越中守護に任ぜられる。そして、上杉勢を駆逐すべく戦ったのだが、その詰めの戦いというべき魚津(うおづ)城攻めに成功した翌日、悲報が成政にもたらされたのである。「本能寺の変」であった。
 中央の実権が、かくて羽柴秀吉、後の豊臣秀吉に移っていく過程で、成政は越中国にあって、信長の子・信雄(のぶかつ)を擁して織田政権を再興する夢を見続けていた。このために、西方の前田利家(としいえ)を逐い、北越(ほくえつ)全体を一手にしようと野望をたくましくしたのである。
 加賀と能登とを与えられたことにより、秀吉に同心することになった前田利家と、佐々成政との対決は、天正十二年(一五八四)九月の能登・末森(すえのもり)城の攻防戦をひきおこしたが、いま一歩のところで成政は攻城戦の勝利をのがす。そこへ、東方から、上杉景勝(かげかつ)の軍勢が越中を侵す。東西から大敵に押し寄せられて、さすがの佐々成政も、まったく窮したのである。
 ドラマは、ここから始まる――。
 彼はこうした不利な局面を何とか打開しようとして、東海において秀吉と対抗する威勢を張る徳川家康を誘う策に出たのだった。



前田利家

■さらさら越え
 同年(天正十二年)厳冬十一月下旬、佐々成政は富山城を発して、常願寺(じようがんじ)川の峡谷をさかのぼって、ザラ峠から鉢の木峠を越え、信州・野口(のぐち・長野県大町市)に下った。
 豪雪の立山を越えていった彼の執念のこの行動は、
 ――さらさら越え
 と、歴史に刻されている。
 しかし、こうして遠州・浜松にようやく達した成政に、家康は冷淡だった。相手にされなかったのだ。
 雪山を踏破して、たどりついたにもかかわらず、心の凍える対応に接した成政は、立山をまた越えて、富山に帰った。そして翌年(天正十三年)八月、富山に寄せた秀吉の大軍の前にひれ伏して、間もなく、赫々(かっかく)戦績を残して富山を立ち去っている。
 中一年置いた天正十五年、成政は肥後一国を秀吉から与えられたが、その失政を咎められて、一年足らずのうちに召還され、摂津・尼崎(あまがさき・兵庫県尼崎市)で自刃した。
 その執念、恐るべき武将、佐々成政を、「二流の人」と評する史家は多い。軍事には長じていたが、政事にかけては無能だった、という意味がそれにはこめられているようだ。
 しかし、越中びとの評価は、違っている。
 彼こそは「近世の富山を創った人物」とされているのである。
 成政は越中に在ること足かけ七年の間、富山城を難攻不落の城に改築し、富山城下を整備した。常願寺川の治水にも意を尽くし、寺社を復興し、さらには産業を保護して生産力の向上をはかっている。
 古代、「文化果つるところ」と都からいわれた辺土、越中国が、乱世を経て近世へと移るなかで、忘れ得ぬ恩人として今も富山県人に思慕されているのが、佐々成政である。



佐々成政

■前田氏に帰属
 越中は、秀吉に佐々が降伏したときから前田氏に帰属し、やがて加賀百万石から十万石を分封されて(寛永十六年〈一六三九〉)、前田利次が富山に入部した。以後、前田氏がとやま藩主に在ること十三代を数えて、明治維新をむかえている。
今、富山城跡からは、もちろん立山を望むことができる。
 越中男児と生まれたからには一度は登らねば一人前とはいえぬ、という霊峰の風雪には、歴史のドラマが、まだ数多く秘められているようである。

 

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渡辺 誠 (わたなべ・まこと)
1945年、台湾・高雄生まれ。九州大学中退。
週刊誌記者を経て、文筆業。著書は『勝者への指南書』(PHP研究所)、『幕末剣客秘録』(新人物往来社)、『禅と武士道』(KKベストセラーズ)など多数。
 
 


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