【知の庭】
2009.2.9      
天下の副将軍と
呼ばれた光圀


 助さん、格さんは文の道に通じた藩士

 藩校弘道館を創設した斉昭

渡辺 誠

 梅の都――水戸は、いうまでもなく徳川御三家の一、水戸徳川家の城下町である。
 そもそも常陸大掾(ひたちだじょう)氏の資幹(すけもと)の築城に始まり、江戸氏七代百六十年を経て、佐竹義宣(よしのぶ)が居城していた水戸に、関ヶ原(慶長五年〈一六〇〇〉)の役後、徳川家康の第五子信吉、ついで第十子頼宣(よりのぶ・当時頼将・後の紀州藩主)の後を受けて、第十一子の頼房(よりふさ)が入城したのが、慶長十四年(一六〇九)のことだ。

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徳川光圀

■常総を代表する大藩

 以後およそ二百五十年におよんだ、御三家の水戸徳川家の領有するこの藩は、三十五万石という、名実ともに常総諸藩を代表する大藩とされたが、その中心である水戸城の跡は、ほとんど見るべき遺構をのこしていない。
 明治維新の内乱による焼失、太平洋戦争による戦災のために、その多くが失われたからである。
 しかし、この城に歴代をかさねた殿さまたちへの市民の思慕の念には、ことのほか熱く、そして深いものが感じられる。

■義公と呼ばれた光圀

 水戸城の二の丸跡、その南側の下あたりは、城下町を整備した二代藩主光圀(みつくに)の生誕地である。
 光圀のことを、「おこりっぽい・骨っぽい・あきっぽい」の気質が特徴のいわゆる「水戸っぽ」は、「義公」と称して敬慕してきた。テレビ時代劇の長寿番組でおなじみの「天下の副将軍」、「このいんろうが目にはいらぬか!」の黄門さまだ。
 光圀といえば、『大日本史』編纂の修史事業が、何よりも日本史上に光彩を放つ功業として称えられる。かの「助さん」「格さん」のモデルとされた佐々介三郎、安積(あさか)覚兵衛は、その編纂所である彰考館(しょうこうかん)の総裁をともにつとめたことのある「文」の道に通達した藩士だった。それはともかく、この事業をいしずえとして、尊皇思想を根幹とする「水戸学」は生まれたのである。

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水戸偕楽園の梅

■学問の都

 水戸は学問の都、という人びとの印象は、そこからきているようだ。
 そして、江戸時代の後期に、彰考館総裁の儒者藤田幽谷(ゆうこく)が水戸学の立場を確立し、ついで同総裁の会沢正志斎(せいしさい)が『新論』を著して幕末の勤皇家に大きな影響を与えるにおよび、この印象はひとしお強められている。
 だが、水戸の学風の基礎をきずいた光圀その人は、決して文を重んじるあまり武を軽んじたのではなかったのである

■きれい好きの光圀

 徳川光圀が晩年に隠棲した西山荘(せいざんそう・茨城県常陸太田市)をかつて訪ねたとき、門前の休憩所に、こんな立て札があった。
 ――水戸黄門さまは、殊の外、きれい好きでした。くずものはおもち帰りください。
 水戸藩主は、尾州・紀州の藩主にくらべて官位が一段低かったが、定府(じょうふ)制により参勤交代の義務を免ぜられていた。なぜ定府とされたのか、様々な説がとなえられているが、一つには、御三家の中で江戸に最も近い水戸のみは将軍の膝元に常駐して、一朝事あるときの備えとされたことがいえよう。
 徳川幕府の制度に「副将軍」はなかったにもかかわらず、黄門光圀が「天下の副将軍」という俗称のもとに喧伝されたのもそのためだろう。
 何にせよ、そのやんごとなき副将軍さまの侘び住居に、ゴミを捨てていくのは、立て札があろうとなかろうと第一、助さん、格さんが許すまい。もっとも、山峡の幽邃(ゆうすい)境に建てられた西山荘に一歩踏み入ると、おのずからそんな無作法をつつしむ気にさせられよう。


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大日本史

■書斎の丸窓の前に白梅

建物はあくまでも質素な造りで、こじんまりとしているが、副将軍の隠居所たるにふさわしい風格が感じられる。紅の蓮を植えた瓢箪池、白蓮(びゃくれん)を植えた心字池は、蓮を植えて君子をしのぶという中国の故事によったという。書斎の丸窓の前に白梅が植えてあるのは学問のいましめとするためであり、これにも故事があるという説明であった。 光圀は、こんな考えをもっていた。――武道を修めるのは武士たる者の根本ゆえに、とかく学問を好まぬ風(ふう)が家中にあるので、ここはひとつ、あえて修学を奨励して、文武両道の士風を鼓吹(こすい)してやろう、と。  武の道を軽んじていなかったことは、西山荘に隠居してから、養子で三代藩主の綱條(つなえだ)の世継(よつぎ)に、人を介して次のようなことを諭していることからも明らかである。 「剣術は護身の術であるから修行しておくべきは、もちろんのことだが、ことに居合(いあい)の稽古を重視せよ。居合というものを、閉所で四尺もの長い刀を抜く芸のごとく心得ておる者が多いようだが、居合とは『鞘(さや)の内(うち)』といって、鞘放れの一刀で能(よ)く敵を制す、士に最も大切なる武術であると知れ」  このように武術に一家言あった光圀自身、居合の修練には力を注いだものと思われるのだ。

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弘道館

■弘道館の創設

 ――義烈(ぎれつ)両公。
 という慣用句が水戸にある、
 義公・光圀と並び敬われている名君が、九代藩主の烈公・斉昭(なりあき)である。
 光圀に『大日本史』編纂の事業があれば、斉昭には、藩校「弘道館」の創設という業績がある。ともに水戸のみならず、天下に誇るべき業績とされている。  文武兼備の士風をつくろうとした義公の理想は、烈公設立のこの総合大学というべきこの弘道館の「文武不岐(ふき)」の精神に継承されたのである。それは天保九年(一八三八)に、三の丸に創設すべきことが決められて、同十二年に仮開講式を挙げている。

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徳川斉昭

 ――弘道館出来ぬる後は、鬼の子の如き少者(わかもの)、むれむれ出でくるぞ心地よき。
 幽谷の子、藤田東湖(とうこ)は『常陸帯』に、この藩校の武術教育の成果をこのように讃美している。
 いま弘道館公園をそぞろ歩けば、梅の香ただよう風に、昔日の水戸の武魂とともに、志士たちの士魂が偲ばれてくるのである。


【写真出典】
徳川光圀肖像画:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』徳川光圀
水戸偕楽園:茨城県営公園オフィシャルウェブサイト
弘道館:茨城県営公園オフィシャルウェブサイト
徳川斉昭:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』徳川斉昭
大日本史:『はてなキーワード 』大日本史


渡辺 誠 (わたなべ・まこと)
1945年、台湾・高雄生まれ。九州大学中退。
週刊誌記者を経て、文筆業。著書は『勝者への指南書』(PHP研究所)、『幕末剣客秘録』(新人物往来社)、『禅と武士道』(KKベストセラーズ)など多数。
 
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