【知の庭】
2008.12.08      
  塩田を持ち裕福な赤穂藩

 だが藩主が変わり凶運に翻弄される

 元禄14年には長矩が江戸城で刃傷

渡辺 誠


 赤穂藩は、そもそも池田氏時代から、凶運に翻弄された藩であった。
 初代の池田政綱は嗣子にめぐまれず、厳しい大名統制をしいた将軍家光の治世の寛永八年(一六三一)に断絶し、その後に入部した池田輝興(てるおき・政綱の弟)の代の正保二年(一六四五)に改易となっている。
 理由は、輝興の乱心にあった。彼は内室を斬殺し、幼児や侍女に手傷を負わせたのである。池田氏二代の治世、わずかに三十年だ。
 瀬戸内海に南面する三角洲の温和な風光にめぐまれながら、そして、そのいまわしい運命は、次の浅野氏にも襲いかかる。

写真
浅野長矩

■分不相応な築城

 池田氏改易の年に常陸・笠間から転封された浅野長直(ながなお)は、五万三千石ながら、分不相応の居城を欲した。
 長直は、十三年の歳月をかけて城を築いた。それには幕府の許可を得ていたとする説と、彼が強談して許可をもぎとったという説とがある。城が完成したのは寛文元年(一六六一)。それから四十年後の元禄十四年(一七〇一)、しかし、赤穂の城地は幕府の召し上げるところとなり、城は明け渡された。
 いうまでもなく、長直の孫の内匠頭長矩の殿中刃傷に起因した「元禄赤穂事件」の、これがプロローグであった。

■「浜鋤歌」

 わたしゃ赤穂の塩浜育ち
 アラ塩浜育ち
 塩のからいのはノホイホイ
 まずご免おもしろや

 「浜鋤唄」というこんな民謡がある。
その昔、将軍が歯を磨くのに使われる塩は、赤穂産の塩に決まっていたそうである。転封と大規模な築城による財政難を、どうにか浅野氏がきりぬけられたのは、池田氏時代からの地場産業とされた製塩に力を注いだことによる。
 塩田は昭和四十六年(一九七一)に姿を消したが、科学技術を用いてつくられる塩が今も赤穂を内福にしている。


写真
赤穂城

■塩のまち赤穂

 赤穂は、「塩のまち」である。焼き塩や塩味まんじゅう、また、塩だけでつくる塩盃といった、名物もある。
 そして何よりも、今や俳句の季語にもある「義士祭」の本拠地、「忠臣蔵」の発信地とされるのが播州・赤穂であって、市内は大石内蔵助邸や大石神社、浅野家の菩提寺の花岳寺など、その関連史跡に満ちあふれている。赤穂は「義士のまち」でもある。

■赤穂義士

 さて、その義士の頭領大石内蔵助良雄(よしたか)が人生の一大転機を迎えたのは、元禄十四年春の花時(はなどき)であった。
 齢四十三を数えた国家老の内蔵助は、泰平の世の初老の田舎武士の一人として、平穏無事の晩年を送るはずだったのだが、歴史の舞台にゆくりなくもかつぎ出されてしまったのである。
 その転機は、正確にいえば三月十九日にさかのぼることができる。江戸で主の浅野内匠頭が「即日切腹」に処せられた日から五日後のことで、この日、急使を乗せた早駕籠が約百六十里をひた走って赤穂に着き、悲報を内蔵助ら藩士にもたらしたのだった。
 何を考えている人なのか、掴みどころのない茫洋とした人物だったことから、「昼行灯(ひるあんどん)」と綽名されていた内蔵助だが、寝耳に水のこの一大事に赤穂の地の鳴動する中、ひとり冷静沈着に対応すべく努めたのはこの男であった。
 藩論は、一時は殉死、そして浅野大学長広(内匠頭の実弟にして仮養子)を立てての主家再興の嘆願という説に一決したが、紆余曲折を経て、開城説に帰着する。かくて、急報に接してから一ヶ月後の四月十九日、赤穂の城は開城、城地は幕府の公収するところとなったものである。
 しかし、先に殉死説を説いた内蔵助に、「それならば我らも」と命を預ける旨、誓紙をしたためて血判を押した者たちがいた。これが「復讐四十七士」の母胎となったのである。

写真
泉岳寺

■山鹿流の兵学

 大石内蔵助が山鹿流の兵学を修めたことは、よく知られている。彼は生来、深謀遠慮の人だったが、その生き方の骨格をなしたのはこの学問だった。  流祖の山鹿素行はかって九年間、浅野家に仕えたことがある。その間には、浅野長直と馬を並べて、赤穂城の二の丸の縄張りを指図したこともあった。歳月は流れて、彼は幕政を批判し朱子学を攻撃したかどで処罰され、赤穂に流されている。  素行の赤穂流謫は寛文六年(一六六六)から延宝三年(一六七五)までの足かけ十年に及んだ。素行四十五歳から五十四歳までの円熟期に当たる。その居所は内蔵助の祖叔父・頼母助邸で、そこで彼は『中朝事実』(日本主義に立つ国体学を説いた書)などの名著を執筆するかたわら、赤穂藩士に実践的な武士道を吹き込んだ。

■四十七士とともに赤穂の時は止まる

 時に内蔵助は八歳から十七歳までの多感な時期だ。この年頃に素行の兵学の薫陶(くんとう)を受けたことが、その後の彼の生き方の精神的支柱となったのは、疑うべき余地がない。
 もしも内蔵助が戦国の世の人だったとしたら、その重厚な性格と、兵学修行で培った智略とによって、希代(きたい)の軍師たり得たであろう。彼の歴史上の「人生劇」は、足かけ三年にして幕が引かれているが、このように評価する人は多いのである。
 赤穂の地に、「元禄の美挙」と分かちがたく結ばれている人物、山鹿素行を祀る山鹿神社があるのも、不思議ではない。
 この旧城下町は、四十七士の切腹の瞬間に時が止まったかのように、三百余年後の現在に息づいている。


【写真出典】
お城めぐりFAN/赤穂城
ウィキペディア(Wikipedia)/浅野長矩


渡辺 誠 (わたなべ・まこと)
1945年、台湾・高雄生まれ。九州大学中退。
週刊誌記者を経て、文筆業。著書は『勝者への指南書』(PHP研究所)、『幕末剣客秘録』(新人物往来社)、『禅と武士道』(KKベストセラーズ)など多数。
 
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