【知の庭】
2008.10.14      
  幕末の大老の
  井伊直弼を生む

 「質実剛健」の士風

 たくましい商魂の近江商人

渡辺 誠

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近江商人の蔵・屋敷の家並(滋賀県五個荘町)

 近江国は日本の「最中(もなか)」にある。東日本と西日本、また、裏日本と表日本とを結ぶ位置にあって、京畿と東国との間の交通の要衝とされる。

■ねばりの商人気質

 加えて、琵琶湖にのぞむこの国は、古来、水陸両路の交通が四通八達(しつうはったつ)したために、市(いち)が多く興って、商人の繁栄を見たのである。時代が下っても商業は発展の一途をたどり、いわゆる「江州(ごうしゅう)商人」が京・大坂・江戸のみならず各地に出張って、のれんを増やし間口を拡げている。
 ――江州商人骨までしゃぶる。
 また、「近江泥棒」とは、そのたくましい商魂に対する他国人の悪評だが、「がめつい」だけの江州商人が跳梁(ちょうりょう)するのは明治時代中期以降のことだ。それ以前は確固とした商人道を守って、かれらは勤勉、精進を尊び、正直、堅実をもって商いの信条としていたのである。
 近江びとはねばり強い、といわれる。商人気質だけでなく、それは江戸期の近江諸藩の士風の根底にあるようだ。
 近江最大の藩たる彦根三十五万石の「質実剛健」の士風も、そのねばり強さと分かちがたく結ばれているのではないか

■赤備(あかぞなえ)の武具

 具足(ぐそく)、旗、指物、鞍、鐙(あぶみ)などの軍装の赤一色であるのを、「赤備(あかぞな)え」という。
 彦根藩では、新参の奉公人に対して、武具奉行が具足を赤くこしらえさせ、百石につき金二十両の納入金とともにこれを城中の庫に保管するならわしがあった。井伊家では、だから武具の備えが潤沢だった。
 井伊の有名なこの赤備えは、初代藩主直政(なおまさ)に始まる。
 遠江(とうとおみ)国の井伊谷(いいのや)を本拠とした井伊氏は、二十四世の直政の代に徳川家康に見出されて、ついにはその股肱(ここう)の出頭人(しゅっとうにん)に昇ったのだが、中でも直政が格別の取り立てにあずかったのは、甲斐・武田氏の滅びた天正十年(一五八二)のことだ。

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彦根城

■直政は敵将から「赤鬼」と呼ばれる

 武田氏攻略に軍功いちじるしいものがあった井伊直政は、このとき家康から、武田の遺臣四十三騎を与えられるとともに、いわゆる「武田二十四将」に数えられた山県昌景(やまがたまさかげ)の「赤備え」を継承させられたのだった。
 以後、井伊の赤備えは徳川軍の先鋒として戦場に勇躍し、直政は敵将から「赤鬼」と呼ばれて、その武者振りが称えられた。
 若輩にして新参ながらこうして徳川譜代の堂々たる重鎮におさまった直政は、関ヶ原の役後、上州から近江に移されて十八万石を領することになったが、その二年後、四十二歳で歿している。彦根藩の士風は、それゆえ二代の直孝(なおたか)によってその基礎が築かれたと見られよう。彦根が三十五万石(うち五万石は彦根城預かりの幕府御用米、すなわち城附き米)になったのも、この直孝の代のことである。
 四代将軍の家綱(いえつな)が竹千代といっていた少年のころである。近習(きんじゅ)の者は常に脇差を差して竹千代に仕えていたが、これが側近たちの間で問題になった。乱心者が、近習の中に現れぬとも限らないのだから、脇差差してのご奉公は、いかにも竹千代君にとって危険ではないか。今後は皆、無腰で仕えるのが穏当ではないか、というのである。
 ところが、側近の一人の井伊直孝が異を唱えたのだ。彼は言った。
 ――そんな馬鹿なことがあるか。竹千代君が幼少であるのならば、なおさら近習の者たちは警固に意を用いるはずだ。されば脇差だけでは万全ではない。むしろ大小を帯びてお守りすべき段であろう。
 おのおの方の杞憂のごとく、乱心者が出て若君に万が一のことが出来(しゅったい)したならば、それは徳川家の運に帰するところと思わねばならぬ。


■直孝が質素倹約を徹底

 直孝のこの一言で、近習の無腰の奉公一件は取り止めと一決したという。
 その剛健なこと、見るがごとし。藩主のこのような気質は、彦根の藩風をそのまま示すものであった。
 では、質実のほうはどうだったかというと、直孝が質素倹約を藩士に徹底したことは、たとえば自ら絹物を廃して木綿の服で通したという一事にも、うかがうことができる。江戸参勤を終えて国もとに帰った直孝が、粗末な木綿の服を着た姿で駕籠の戸を開けて現れたので、麗々しく美服を着て出迎えた藩士たちが冷や汗一斗の思いをさせられた、という話もある。

■井伊直弼

 彦根の殿様といえば、幕末の大老井伊直弼(なおすけ)を想起しない人はいないだろう。
 勅許を待たずに諸外国と条約を結び、反対派を弾圧(安政の大獄)したことで雪の桜田門外で水戸浪士らの襲撃を受け、四十六歳で非業の死をとげた直弼だが、彼もまた彦根の士風に培われた殿様であった。
 舟橋聖一の小説『花の生涯』は、この幕末政治家の隠れたる質実剛健の美質を描いた名作である。
 直弼の母は君田氏の出で、「彦根御前」といわれた美人だった。父は十一代藩主の直中(なおなか)で、その第十四男の直弼が、兄で十二代の直亮(なおあき)の跡を継ぐことになっていた直元が歿したことから、第十三代の藩主となったものである。

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井伊直弼

 彦根藩主歴代のうち、「中興の祖」というべき人をあげるとすれば、直弼の父直中がそれであろう。
 幕府において松平定信の「寛政の改革」が行われていた時期に藩主となった直中は、藩士に対する半知(知行の半分)借り上げがそれまで長い間行われていたのを廃して、旧に復した。このために藩は上下一丸となって倹約を励行したという。
 直中は殖産を興し、愛知(えち)川の治水工事を行い、神崎郡栗見(くりみ)村(現・滋賀県東近江市能登川町)に新田を開き、ここに農民を移住させて耕地を平等に分配するなど、農業政策を積極的に実施している。藩校「稽古館」を創設し、「弘道館文庫」なる図書館を設けるなど、文教の面でも特筆すべき業績も残している。


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清凉寺(井伊家の菩提寺)

■青壮期に辛酸嘗める

 まず「名君」の中に数えられる、このような井伊直中の子直弼が、青壮年期に世の辛酸を嘗めたことはよく知られている。
 彼は十七歳から三十二歳まで、藩の余り者としてわずか三百俵の捨扶持(すてぶち)を給されて、質素な控え屋敷に部屋住みの不遇の暮らしに甘んじなければならなかった。彦根城の中堀に面した通称「北の御屋敷」がそれである。
 世の中を よそに見つつも うもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は
 埋もれ木のごとく世に出ることもないであろう、逆境の生活のうちに安住を求め、自らこう詠じて「埋木舎(うもれぎのや)」と命名したその屋敷(何度か建て替えられて彦根市尾末町に伝存)で、しかし彼は、自己の修養のためにひたすら文武の修行に励んだのである。
 文事(ぶんじ)では、とりわけ国学に造詣したし、茶道にも通じた。『茶湯一会集』は茶の湯に学んだ精神を記した直弼の著書で、それは巻頭の「一期一会(いちごいちえ)」という言葉に集約されるものである。武事では、特に居合(いあい)に通達して、後に「新心新流」という一流を興してその祖となっている。

■彦根牛の異名

 そういう苦労人の直弼は、三十六歳(嘉永三年〈一八五〇〉)で藩主になってから、「彦根牛」という異名をとっている。何事も用心に用心を重ね、最後まで考え尽くした上でないと断を下さぬ、悪くいえば牛のように鈍重な藩主だったからによる。
 直弼は、十代直幸(なおひで)、十二代直亮についで、井伊家から大老に昇った人で、時に四十四歳を数えた年(安政五年〈一八五八〉)のことだった。元来「彦根牛」たる慎重、遠謀深慮の直弼が、ついに勅許を待たずに日米通商条約に調印したのは、それほどに時勢が対外的危機に直面していたからに相違ない。
 遺勅の全責任を一人でとる腹で大事を決断した井伊直弼は、彦根武士の質実剛健の気風をそのままに生きた男といえる。





【写真出典】
近江観光ガイド
ウィキペディア(Wikipedia)/井伊直弼
 
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