そら飛ぶ庭
   

【知の庭】
2008.06.09
瀬戸内海に面した気候温暖な「うまし国」

宇喜多、小早川、池田と城主が変わる
城の軒先の丸瓦に刻まれた太閤桐

渡辺 誠

写真1


 備前・岡山城は、天守閣の外部が黒塗りのために、「烏(う)城」の異称があるが、建てられた当初は「金烏(きんう)城」と、もっぱら呼ばれていたのである。六階(上の重)の屋根瓦に金箔が押してあったからだが、その軒先の丸瓦には、五七桐(ごしちのきり)の紋が刻まれていた。五七桐の中でも、特にそれは豊臣秀吉の愛好した紋であり、「太閤桐」「桃山桐」などと称された。この天守閣を築いた人が、秀吉の厚遇を受けたことが、この一事からして推し量られる。

■宇喜多秀家が築城

 中世、近世の岡山の風土を語るには欠かすことのできないその人物の名を、宇喜多秀家(うきたひでいえ)という。
 秀家の母(お福の方)は絶世の美女だったという。そんなわけで、美女と見たら放っておけない質の秀吉の目にとまり、子の秀家が秀吉の養子となったのが、寵遇のそもそもの因だった。十七歳にして従三位(じゅさんみ)中将参議という高い官位に任官した秀家は、翌年、秀吉の養女の豪姫(ごうひめ・実は前田利家の五女)を妻(めあわ)されてから、豊臣の天下のもと、存在感を増したものである。
 その翌年の天正十八年(一五九〇)、十九歳の彼は秀吉の命により、岡山を平城(ひらじろ)にする大工事に着手している。

■三層六重の構え

 この城は父直家(なおいえ)が岡山・石山・天神山という三つの丘を利用して築いたもので、時に天正元年のことという。これを秀家は、旭川の川筋を変える大規模の普請(ふしん)をほどこすことにより、防備を固めて、近世城郭に改変した。足かけ八年を要して、慶長二年(一五九七)に城は完成したが、その天守閣は織田信長の安土城に倣った三層六重の構えであった。
 一方、秀家は備中(びっちゅう)の東半分と備前、美作(みまさか)を合わせた五十七万石の領国の中心たる岡山の城下町の建設を進めている。現在の岡山市の町並みの原型は、士屋敷と町家(まちや)との区画を整備するなどの秀家の事業によって作られたといっていい。
 この城下の繁栄をはかるべく、山陽道の道筋を変えたり、新田開発に力を注ぐなど、貴公子然としたこの美男子の内政に示した手腕には、見るべきものがあったのである。

■秀家は五大老となる

写真2

 戦国武将としての宇喜多秀家は、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際しては、遠征軍の総督として出陣したし、帰国して後は「五大老」の一人となって、さらに、関ヶ原の役では、二十九歳ながら西軍の副総帥として采(さい)を振っている。その本戦における宇喜多隊と東軍・福島正則隊との攻防は、激闘の最たるものとして伝えられている。
 しかし、結果は大敗であった。敗れた秀家は、伊吹(いぶき)山中に逃れ、数日して大坂に出ている。そこから島津義弘(よしひろ)を頼って薩摩に落ち延びた彼は、島津の庇護のもとに蟄伏(ちっぷく)すること三年、慶長八年(一六〇三)、島津忠恒(ただつね)と前田利長の助命嘆願により、死罪を免れ、駿河の久能山(くのうざん)に幽閉される。そして四年後(慶長十一年)、「鳥もかよわぬ」とまでいわれた孤島、八丈島に、嫡子と次男、家臣十三人と共に流された。
 もとより幕府の厳しい監視は受けたけれども、歳月は流れて、それもようやく緩んでいったようだ。彼の二人の男子も島の女を娶り(めと)り、宇喜多父子は土地に根づいたのである。

■八丈島に流罪となる

写真4
秀家の墓

 秀家が八丈島に歿したのは、明暦元年(一六五五)というから、世はすでに四代将軍家綱の治世に移っていた。流人となって五十年、享年八十四。関ヶ原敗軍の重鎮の壮年武将が、徳川三代の将軍すべてが故人となってからもなおも生きていたとは、よほどの強運、強靭の人だったのだろう。辞世は「御菩提のたねや植えけむこの寺に みのりの秋ぞ久しかるべき」。
 岡山の城下を離れること半世紀余りを経ての死だったが、若き日の「作品」というべき、金烏城の天守閣の威容を偲ぶこともあったに違いない。

■池田忠雄が「月見櫓」を普請

写真4

 岡山には、宇喜多秀家の後を受けて、関ヶ原の役で東軍に寝返った功労者、小早川秀秋が五十二万石の領主として入ったが、在城二年にして、嗣子のないままに謎の死を遂げている。それから慶長八年(一六〇三)に池田忠継が入城し、池田光政が城主となった寛永九年(一六三二)以後、岡山城はいわゆる備前・池田氏代々の居城として維新を迎えた。
 その池田氏時代の城普請で特筆すべきは、「月見櫓」という名の隅櫓(すみやぐら)」が、池田忠雄(ただかつ)によって建てられたことだ。戦災により天守閣は消失したにもかかわらず、この櫓は被災せずに残り、今も古城の風光を伝えている(国指定重要文化財)。
 近世の城においては、城主は城内に豪壮な殿舎を設けて住むのが通例とされたが、岡山城の天守閣には「城主の間」という一室があった。昭和四十一年(一九六六)に再建された鉄筋コンクリートの天守閣には、この城を特徴づけるその一室が作られている。
 池田氏が関ヶ原の役で敵対した宇喜多秀家が凝らした趣向を、そのまま復元したのは、尊いことではある。
 大昔に「うまし国」と呼ばれて、その豊穣(ほうじょう)の地であることが称えられた吉備(きび)の国の中にあって、瀬戸内海に臨む気候温暖な備前・岡山のひとの「ゆとり」であろうか。


【写真出典】
岡山市ホームページ
 
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