そら飛ぶ庭
   

【知の庭】 おらが藩
2008.04.21
 
時の流れを忘れた町、萩。旧城下町の絵図が現在の歴史散歩に
渡辺 誠

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当時のおもかげを伝える萩の町

 今は新山口駅からのバスの便があるが、新幹線が開通する前は山陽本線の小郡(おごおり)駅下車で行くのが普通だった。いずれにせよ、車を持たない者が萩市に行くには、今でもバスに頼らねばならない。新山口駅から一時間余り、「御成道(おなりみち)」といわれた、くねくねした道が尽きると、「土塀と夏みかんの町」をうたい文句とする萩市である。
 萩市――平成十七年に周囲の町村と合併する以前の萩市――の形状を、日本海へカッと口を開けた太古の爬虫類にたとえた人がいる。本州にやっとしがみついているような、この三角州に開かれた都市は、「太古」は言い過ぎだが、時の流れを忘れたかのように、古色を色濃くとどめている。


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萩城跡

萩が毛利氏の城下町となったのは、関ヶ原の役(一六〇〇)の後だ。毛利氏は不思議な氏族である。あの織田信長と覇権を争った大名の中にあって、豊臣政権下に大大名として生き残ったのは、毛利だけである。
 毛利氏は元来、大内・尼子(あまこ)の二大勢力に挟まれて、安芸(あき)吉田の郡山城(広島県安芸高田市吉田町)にほそぼそと拠っていた弱小の国人(こくじん)領主だったが、元就(もとなり)の代に、大内氏を倒した陶晴賢(すえはるかた)を厳島(いつくしま)の戦で敗死させ、ついで、尼子氏を滅ぼし、一代にして中国地方の大半を領す大大名にのし上がっている。それは毛利元就が、ことに調略(ちょうりゃく)の名手だったことによる。彼は次男元春(もとはる)を吉川(きっかわ)家に、三男隆景(たかかげ)を小早川家に養子として送り込み、勢力を拡張した。いわゆる毛利氏の「両川(りょうせん)」体制である。

 
 

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毛利家墓所(萩市大照院)
萩藩初代藩主毛利秀就以下2代から12代まで
偶数代の7藩主の墓などがある。

 元就には、有名な「三矢(さんし)の教え」がある。
 ――この箭(や)一本折れば最も折れ易し。しかれども一つに束(たば)ぬれば折りがたし。汝等(なんじら)これを鑑(かんが)み一和同心すべし。(『名将言行録』)
 長男の毛利隆元(たかもと)、次男吉川元春、三男小早川隆景の三人が協力して家運を盛り立てるべきことを伝えた垂訓(すいくん)だ。
 信長に楯突いたにもかかわらず存亡の危機を脱したのは、このようにして培ったサバイバルの力によるのである。元就の孫(隆元の子)の輝元(てるもと)は、関ヶ原の役に際して石田三成らによって西軍の総帥に担ぎ出されたが、それでも毛利は滅亡しなかった。
それもこのことと、どこかで関わっているようである。


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 しかし輝元は、戦後、本州の最西端の周防(すおう)・長門(ながと)に三十六万石をもって移された。徳川家康のために辺境に追いやられ、閉じ込められた、といっていい。
 徳川氏に対して、かくて胚胎(はいたい)した怨念のようなものが、時は流れて幕末におよんで一気に噴き出す。そして毛利氏の長州藩は、明治維新の「主役」に躍り出るのである。


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 幕末の文久三年(一八六三)に山口に本拠が転ずるまで、萩は毛利二百六十年の中心地であった。この城下町は今、「維新のふるさと」と称されている。幕末・維新の長州の英傑のほとんどが、ここに出ているからだ。
 それはむろん、藩校「明倫館(めいりんかん)」を中心とする文武両道の教育がすこぶる充実していたからでもあるが、何といっても志士であり思想家である以上に不世出の教育者だった吉田松陰(しょういん)という人物が、萩に出現したことによる。その私塾を「松下村塾(しょうかそんじゅく)」といったことは、人の周知するところである。

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松下村塾

 萩市にその遺址のある松下村塾は、八畳の講義室と十畳半の塾生控室があるばかりの、ほとんど小屋同然の建物に過ぎなかったが――そして、松陰がここで親しく弟子たちを訓育したのはわずかに一年ほどに過ぎなかったのだが、そこから多くの人材が輩出した。倒幕の巨魁(きょかい)とされた高杉晋作(たかすぎしんさく)、尊皇攘夷の壮烈な闘士久坂玄瑞(くさかげんずい)、後に明治政府の初代内閣総理大臣となる伊藤博文、近代陸軍を創設した山県有朋(ありとも)、松方(まつかた)内閣の内相になった品川弥二郎などなどだ。
 教育というものの凄まじいまでの強さ、深さ、広さを、そのような松下村塾から感じぬ人は、おそらく一人もいないであろう。
 どんな教育法だったのか。


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 この私塾では、門弟のすべてが平等に扱われたのみならず、師たる松陰と門弟との関係も、対等なのだ。松陰は高いところにあって教えを垂れるのではなく、弟子たちの中にとけこみ、膝と膝とを突き合わせて一緒に学ぶ姿勢をつらぬいたのである。
 だいいち、松陰先生の席も定まってはいない。塾生たちは朝やって来ると、思い思いの書をひらいて読み始める。その机の横に松陰は坐って、各々が読むところの書の一節を読み聞かせたり、難解な語句の意味を説いたり、「君がそこに感銘を受けたのは、何故なのだろう。僕に教えてくれたまえ」などと言っては、静かに討論に及ぶというふうだった。
 現に彼は入塾を望む者に、「私は十分には教えることができんが、君と一緒に勉強することはできるよ」と伝えるのを常とした。「妄(みだり)に人の師になるべからず」という自戒の念による導き方を旨としたのである。
 さらに、彼の教育は、教え子の長所を見抜いて、これを最大限に伸ばしてやることで、短所を自然に克服させる、というものだった。松陰はそのために、一人一人に最も適した教育法を工夫して施している。

 

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 人は自分自身の長所、尊い可能性というものに、えてして気づいていないことが多い。海面に現れている氷山は、氷山全体のほんの一部に過ぎないのであって、大部分は海面下にかくれている。一人の人間の大いなる可能性、得がたき長所は、それと同様に、その人間の奥深くに眠っている、というのが松陰の教育に対する信念だった。これを引き出して、伸ばしてやる。それが松陰の教育法の根本である。
 そのためには弟子の人物を見抜く目が師になければならないが、松陰は二十代の後半という若さにもかかわらず、卓越した人間洞察眼をそなえていたのである。
 松下村塾では学問のみならず、農作業や大工仕事も重視されたが、やはりそれも松陰が一緒にやった。彼は塾生と共に食事をすることが多かった。封建の世の師匠たる者には、とうていあり得ないことである。

 萩は「時の流れを忘れた町」といったが、旧城下町の絵図がそのまま現在も歴史散歩に利用できるほどに、古きたたずまいがほとんど手つかずに残されている。維新の風が、ここには今も吹き渡っているのである。


渡辺 誠 (わたなべ・まこと)
1945年、台湾・高雄生まれ。九州大学中退。
週刊誌記者を経て、文筆業。著書は『勝者への指南書』(PHP研究所)、『幕末剣客秘録』(新人物往来社)、『禅と武士道』(KKベストセラーズ)など多数。


【写真協力】(社) 萩市観光協会、萩市役所観光課
 
 
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