そら飛ぶ庭
  

【知の庭】 おらが藩
2008.03.17
 
長宗我部友親

 

 津軽出身の作家といえば、まず脳裏に浮かぶのは「トカトントン」などという一見、風変わりな作品を書いている、太宰治のあの繊細そうな顔だ。

 
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津軽の心象風景ともいえる恐山
 
 

 「トカトントン」は短編作品集「ヴィヨンの妻」に収められている。この「トカトントン」という音は、人生が良い方向に行きそうになったときになぜか、このふざけたように耳に聞こえてきて、白けてしまい、物事がうまくいかない。だから幸せも太宰からは逃げていく。といういわばジレンマを書いている。不思議な物語だ。
  本州の果てには新聞が二紙ある。東奥日報とデーリー東北だ。僕があったこの二紙の記者はいずれも人がよかった。でも、深い付き合いはなかなかしにくかった、と思う。その理由の一つには、南国生まれの自分にとっては、青森県人の人間性がもう一つ読めなかったということがあった。だから少し敬遠気味に接してしまっていたのかもしれない。

 
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 太宰治という作家の印象の深さももちろん、付き合い方に影響を与えていただろう。シャイというか神経質というか、謎めいた分かりにくいあの作家のイメージが強烈で、青森の人に、その太宰のイメージが重なっては私にはついて回っていたのかもしれない。
 東北といっても、岩手とか、秋田とか、あるいは山形の人たちとは気を許して話し込んでいるのに、青森の人にはなぜか距離感のようなものを感じていたようだ。

 
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仏ヶ浦にそそり立つ奇岩

 

 太宰治の作品、「津軽」にはこんな描写がある。太宰が子供のころ親代わりとして太宰を育ててくれた女中の「たけ」を訪ねて、久しぶりに彼女に会った時の話だ。
 たけが、その娘の運動会に行っているということを聞きつけて、太宰はその運動会の現場まで追ってゆき、たけと会う。
 そのたけは、ゆったりと娘の運動会の見物をしている。「ここさお座りなせえ」とたけにいわれて、太宰も一緒に運動会の子供たちの姿を見物する。たけはモンペ姿で正座して子供たちの走るのを熱心に見ている。
 「私には何の不安もない。まるで安心してしまっている。平和とは、こんな気持ちのことを言うのであろうか。」。この「津軽」の中の描写が太宰の生きてゆく不安に陥っている、揺れる気持ちをよくあらわしているようで、この場面を印象的に読んだ。ぽっかりと浮かぶなんでもない平和な雰囲気。これが太宰の心の中の不安をより鮮明に表わしている。
 そんな津軽生まれの作家、太宰の持っている、人生に揺れる雰囲気が、津軽という土地に、私の心の中での話ではあるが、何かベールをかぶせてしまっていたのかもしれない。

 
 
 
 


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