【知の庭】 おらが藩
2007.10.22
 
渡辺 誠
 
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雲井龍雄
 

 数え年二十七歳で散った若桜、雲井龍雄にはとかく「憂国の志士」という言葉が用いられる。藤沢周平の『雲奔る 小説・雲井龍雄』にも描かれた、この米沢藩士は、王政復古後の歴史の舞台に、「倒薩(とうさつ)派」の志士の首魁(しゅかい)として、忽然と出現した。
 彼は明治政府転覆の陰謀を企てたという嫌疑をかけられて、斬首に処せられたのだが、まだ獄中にある時、二十二歳で師事してより師弟の交わりをつづけてきた恩師の儒学者、安井息軒(やすいそっけん)に宛てて呈した詩に、
 ――この骨は、たとえ摧(くだ)く可きも、この節(ふし)は、いずくんぞ撓(たわ)む可けんや。
 という語句が見える。
 雲井龍雄は志士にして、詩人であった。
 男児の大節(たいせつ)をまげず、壮志むなしく獄門台の露と消えた彼の、短きに過ぎた生涯は、才気にみちたその漢詩を愛唱した明治期の青年たちの心をとらえて、思慕の念を深くさせている。

 

 雲井龍雄は小柄で、女のような風貌の男だった、と伝えられている。
 そんな彼が、薩摩の専断(せんだん)に反抗して新政府を倒さんとする壮図を抱いたのは、これを奇としなければならないが、その性格は根本、「正直、真率(しんそつ)」であり、このために、事をなすのに、「胆略躍如」たるものがあった、と同志の肥後人、中村六蔵が述懐している。
 米沢藩士の中島惣右衛門の次男として生まれた彼は、生来、負けず嫌いでもあった。龍雄十六、七歳のこととして、一つの伝説がある。
 米沢藩の藩校「興譲館(こうじょうかん)」で『左伝(春秋左氏伝)』の輪講(りんこう)があって、龍雄と同学の佐藤志郎との間で議論が白熱した。議論に負けた龍雄は、これは自分が佐藤のように『左伝』の全容を読破していないためであろうと反省し、その夜を徹して読了したというのだ。そして翌日、佐藤に対して彼は、縦横に語句を解釈してみせたのだという。
 この性格は終生変わらず、それが悍馬(かんば)の如く、二十七年の生涯を龍雄に駆けぬけさせたとも思われる。

 
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上杉祭り、米沢時代行列

 

 二十七歳の明治三年(一八七〇)、雲井龍雄は「帰順部曲点検所」というものを、東京・芝の寺院二か所に設けた。
 戊辰の役後に主家を離れて浪々の身となった士族を、新政府に帰順させる、その説得と就職を世話するための収容施設としたものだが、単に帰順するのではなく、「天兵」として、かれらを政府軍に抱えてもらうべく、嘆願運動を展開したのである。
 内実は、天兵採用のあかつきにかれらが手にするに違いない武器をもって、蜂起に転じて、現政権を倒すというものだった。
 これは戊辰の役当時から、彼が抱きつづけてきた「憤志」であった。
 新政府のもとで米沢藩を代表して貢士(こうし・立法機関の一つ・下局に出仕する諸藩選任の士)に挙げられた彼は、佐幕派諸藩に対する政府の措置に反対していたが、政府が奥羽鎮撫の兵を動かすや、心底、憤激したのである。しかし、奥羽列藩同盟に拠って抗戦するという彼の挙兵計画は、同盟の瓦解とともに頓挫した。
 むなしく米沢に帰った雲井龍雄は、翌年(明治二年)八月に上京し、まもなく、集議院(政府内の諮問機関)の寄宿生に任じたけれど、一ヶ月を経ぬうちにこれを辞している。そして明けて三年、述べたように敗残浪々の身の士族の世話施設を設けたのだった。
 彼は自らを「任侠の子」と称したことがある。
 それまでの間に藩閥の専横に対する憎悪を深めていた彼は、さながら侠気の火の玉と化して、政府転覆の挙を策動するに至ったのである。

 

 その政治的謀略が発覚して謹慎を命じられ、東京から米沢へ護送、さらに米沢から東京に檻送されて小伝馬町の獄に投ぜられた龍雄に、明治三年十二月二十六日に、判決文が下された。主文に、
 ――御政体ヲ一変シ、封建ノ御旧制二復シ、宿志ノ如ク主家並二徳川家恢復ヲ遂グ云々。
 とあった。
 米沢藩出身の龍雄に「徳川家恢復」といった志のあるはずはなく、これは口述書に捏造された一文を、そのまま採用したものと考えられる。
 判決と同日(二十八日説もある)に斬首されて、首は小塚原(こづかっぱら)にさらされた。
 非業の最期をとげた憂国のさむらい詩人・雲井龍雄の墓碑は、東京都荒川区の回向院、米沢の常安寺にある。

 
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