【知の庭】 おらが藩
2007.10.09
 
 

 勝海舟、坂本龍馬といえば、幕末維新の大立者とされるが、そういうかれらを新時代の思想に開眼させ、その行動に大きな影響を与えたのが、熊本藩が生んだ革命的思想家、横井小楠(よこいしょうなん)である。

 
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熊本で人気のある横井小南
 

 勝海舟は、幕府のいわば「終戦処理」に際して陸軍総裁に任命されたが、もとより一貫して海軍ばたけで働いてきた幕臣である。海軍の軍事技術者といっていいこの海舟の構想は、
 ――一大共有の海局
 という、幕府のみならず諸藩を含む共有の海軍建設にあった。
 さて、横井小楠は熊本藩士ながら、越前・福井藩主の松平慶永(よしなが)、号春嶽(しゅんがく)に賓師(ひんし)として招かれてそのブレーンとなった開国論者だった。その小楠は、春嶽が幕政改革のために「政事総裁」職に就任する時(文久二年〈一八六二〉の七月)、
 ――国是(こくぜ)七条
 という七か条の綱領を献策している。その中で殊に注目されるのは、「公共の政」を行うこと、さらに、海軍力を強化すること、という二か条であろう。この公共の政(幕府と諸藩・朝廷との公論による政治)によって海軍力を強化することが、小楠に面識を得たことのある海舟の海軍建設の構想に結びついたと見られる。
ともあれ、海舟は後年に述懐している。「おれは、今迄に天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲だ」と。西郷隆盛に比べうる人物として、かれは小楠を挙げているのである。
 海舟の有能な門人だった坂本龍馬の事蹟にも、熊本に蟄居(ちっきょ)中の小楠を訪ねたことが伝えられている。

 
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熊本城でのお祭りの風景
 

 そもそも横井小楠が思想家として一家をなすきっかけは、三十一歳の天保十年(一八三九)、藩の命令により江戸に遊学した時にあった。江戸での文武修業は、今日の外国留学以上にかけがえのない体験とされて、時代が下るとともに、地方の青年の憧れの的になっていったが、小楠はすでに青年とはいえぬ齢ながら、その先駆をなしたものである。
 熊本城下の百五十石取りの士の次男に生まれたかれは、八歳の頃に入学した藩校「時習館」に二十余年の間在学して、二十九歳にして「居寮長」という、学生としては最高の地位に上っている。そういう実績をひっさげての江戸遊学は、しかし一年間も続かなかった。熊本藩の江戸留守居役にその酒の上の所業をとがめられ、帰国を命じられたからによる、と伝えられている。
 余談にわたるが、坂本龍馬が脱藩した時、同志の武市瑞山(半平太)は、坂本は土佐に「あだたぬ奴」と評したという。その人物、器量が土佐一国におさまりきれない男だと、方言でいったものだ。
 このことは肥後における横井小楠にもあてはまるに違いない。
  「小楠の酒失事件」として熊本に今も伝えられているこの一件の真相は定かでないけれども、元来、小楠という一級の思想家は、とうてい肥後一国におさまりきれなかった巨人である。そのきざしを、すでにこの事件の裏に読み取ることができよう。

 

 さて、帰国して七十日間の逼塞(ひっそく)に処せられた小楠は、その後私塾を開いて門人を導くかたわら、時習館伝統の学風をしりぞけ、道理の実践こそは学問の本質として、有志の勉強会を開く、あるいは藩政改革を論じる。そして、その思潮を支持する人びとによって、後に「実学党」と呼ばれる反主流の党派が生まれる。
 熊本藩の幕末史は時習館の学風を墨守する保守派、すなわち「学校党」と、実学党との対立抗争という図式に集約されるといっていいが、その改革派・反主流派の興隆の礎を築いたのが、ほかならぬ小楠だった。
 やがて、「黒船来航」がある。小楠四十五歳の時だ。そもそも短い江戸遊学の間にも「水戸学」にふれていたかれは、尊皇攘夷論に立ったが、それも束の間、翌々年(四十七歳)の時、西洋諸国の軍事・産業などを詳しく述べた中国(清)の書『海国図志』を読んだ頃より、「開国」による富国強兵論を藩に対して説くようになる。時に安政二年(一八五五)のことである。
 先見の明といえる。
 だが、かれのこの視野広大な政治思想は、もとより熊本藩の要路(ようろ)に理解され得るものではなく、かえって藩外の心ある人たちの共鳴するところとなった。それが松平春嶽であり、勝海舟であった。
 そうして、この「知の巨人」は、熊本藩の士籍を剥奪されるに至るのである。五十四歳の文久二年(一八六二)、松平春嶽の招きにより江戸に在った折、たまたま熊本藩の江戸留守居役らと酒宴の最中に刺客に襲われたかれが、武士にあるまじく、奮戦することなく独り逃げのびた、というのが理由だった。
 これも真実は、わからない。
  ともあれ、武士の家に生まれた者にとって、知行召し上げ・士籍剥奪とは、あまりに過酷な処分であった。

 
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幕府で力のあった勝海舟だが、小南に影響を受けた
 

 熊本城の西南およそ二里の郊外に、沼山津(ぬやまづ)というところがある。ちょうど開国論を唱え始めた頃の小楠が移り住んだのが、秋津川の流れるその閑静な地だった。ここに開いた私塾を、「四時軒」といった。
 五十五歳にして士籍を失った小楠は、その塾に蟄居すること五年、維新の政府の厚遇を受け、上京して、参与および制度事務局判事という枢要の地位に就いている。そして京都に在ること一年足らず、明治二年一月五日、排外主義者たちの凶刃に斃れた。享年六十一。森鴎外の歴史小説『津下四郎左衛門』は、小楠暗殺の刺客の一人、津下の子からの聞き書きをもとにしている。
 いま、沼山津には、復元された四時軒に、隣接して横井小楠記念館があり、近くの「小楠公園」には頌徳碑・銅像も建立されている。
 旧熊本藩に終始容れられなかったかれが、近代熊本人に敬慕されることになったのは、革命的思想家の宿命であったのかも知れない。

 
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