2007.09.10
渡辺 誠
 
 松山藩は江戸時代後期に士風が頽廃して、藩士たちの間には文を遠ざけ、武を顧みない風潮がはびこっていた。享保十七年(一七三二)の大飢饉以後の断続的な凶作からくる藩財政の窮迫が、その一因だったが、これを刷新するべく大鉈(おおなた)を振るったのが、十一代藩主の松平定通(さだみち)である。
 
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明教館
 

 親藩の大名らしく、その人物は鷹揚(おうよう)で寛大の風容をそなえていたけれど、定通は文武両道の藩風を興すのには、すこぶる意欲的で、それが藩校「明教館(めいきょうかん)」の創設に結実している。
 明教館は十代・定則(さだのり・定通の兄)の代に設けられた興徳館が発展したものともいえるが、その施設は見違えるほどに充実し、文武兼修が厳しく徹底されたものである。
 それから明治期初頭にいたるまで、定通苦心のこの教育施設は優れた人材を輩出したが、その中には同館の小学「養成館」に学んだ秋山好古(よしふる)――司馬遼太郎作『坂の上の雲』に登場する人物で、陸軍少将として日露戦争に活躍した「日本騎兵隊の祖」たる英雄も含まれている(後に陸軍大将となる)。

 

 松平定通は、兄定則が十七歳で死去した後を継いで藩主となった人だが、老中・将軍補佐として「寛政の改革」を断行した松平定信(奥州白河藩主)の甥に当たる。かれは兄共々、その定信の影響を強く受けている。
 松平定信といえば、和歌や絵画に長じ、『花月草紙』『宇下人言(うげのひとごと)』などの著作のあることから、とかく文事にのみ精通した殿様と見られがちだが、そうではない。
たとえば、その『修行録』という著書をひもとくと、定信は青年期に鈴木清兵衛という者に師事して柔道を修め、壮年にいたって、その清兵衛が自得した「神武の道」という秘伝を授けられている。
 定通が明教館を設けたのには、文武両道に通達した叔父の定信の薫陶(くんとう)もあったものと考えられる。
 ――主人と申すはとかく寛大になければ相成らず、〔中略〕寛大はよろずの御徳ありてよわいも延び候事に候、文武の道は誠に以て肝要の事に候、くれぐれも御励みなさるべく候。
 これは兄定則を諭した定信の書信の一節だが、にわかに松山十五万石の「主人」となった定通も、この垂訓(すいくん)を、おそらく座右の銘としたことであろう。
 「武」については詳しい事績はあまり伝えられていないが、「文」は朱子学を重んじて、参勤交代で江戸に出府した間は、幕府の儒官である林述斎らに直接に教えを受けている。
 明教館の士風教育に注いだ、なみなみならぬ情熱のほどが想われるのである。

 

 明教館の創設を含めて、新藩主松平定通のいわば改革は少なくない。かれは士農工商におしなべて倹約を奨励し、その生活を規制する法令もひんぱんに発している。
 注目するべきは、貧しい領民には「子育て米」の制度を適用して、堕胎の予防をはかったことだ。今日風にいうと「少子化」対策をほどこしたもので、諸藩いずこも多難の江戸時代後期にあって、これは特筆するに値する施策だったといえるのではないか。
 定通のこのような藩風刷新の政策の効果には、後世の史家によって、毀誉褒貶(きよほうへん)があるが、その治世に「諸士の風俗も大(おおい)に改(あらたま)れり」と、『松山叢談』という書に記されている。
 ――松山藩中興の英主
 と、となえられるゆえんである。

 定通が設けた藩校明教館の遺風は、明治の世になってもこの旧城下町に脈々と伝えられた。
 松山、のみならず愛媛県の青年たちの眼を近代的自由思想に開かせることになる、県立の松山英学所(明治八年の開設)は、そもそも旧明教館が開設した松山英学校(明治五年)を母体とした、県内最初の中学校であった。
 この松山英学所は「変則中学校」となり、さらに明治十一年(一八七八)に「松山中学校」と改称される。

 
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松山中学校

 

 松山が生んだ偉大なる俳人・歌人である正岡子規は開校二年後(明治十三年)にその松山中学校に入学している。歳月をへて明治二十八年(一八九五)、夏目漱石がこの学校に教師として赴任し、英語を一年間教え、これを舞台として『坊ちゃん』を後に世に出したことはよく知られている。
 さらには、秋山好古の弟で、同じく『坂の上の雲』の主要人物である海軍中将、秋山真之(さねゆき)も、同校に中学五年まで学んだ(松山中学が一時「第一中学校」と称していた時に中途退学)。
  秋山真之といえば、日露戦争の海軍作戦参謀(当時は少佐)として「智謀湧くが如し」と連合艦隊司令長官の東郷平八郎に称えられた名参謀だ。有名な「天気晴朗なれども波高し」などの語は彼の作ったものだが、正岡子規とは竹馬の友の間柄の真之は、軍人ながらたぐい稀なる文章家でもあった。その教養の素地は、中学生時代の学び舎で培われたとみてよかろう。

 

 旧制松山中学校は、明教館の跡地(一番町)から持田(もちだ)町に移転し、昭和二十四年に開校した県立松山東高校に、その学灯は受けつがれている。同校の敷地内には、明教館の講堂(県指定文化財)が保存され、史料館も設けられている。
 松山藩中興の祖、名君定通の文教精神は、藩校創設から百八十年の星霜をへた今も息づいているかのようである。

 
【写真協力:(財)松山観光コンベンション協会 】
 
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