【知の庭】諸藩見聞録

第59回 諸藩見聞録 富山藩/富山県 【 前編 】

佐々成政が五層の天守閣を持つ城に改築

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富山城 ©社団法人富山県観光連盟

 富山について、まず連想するのは雪である。富山の雪は水気を含み重たい。雪を踏み固めて道を作りながら進む、 「 ラッセル 」 泣かせとも言われる。霊峰、立山から吹き降ろす風にも厳しいものがある。しかしその反面、雪を見たいと言って列車で富山に向かう人もいる。

 富山を征するには、まずその雪と戦う覚悟を持たなければならない。そして、その思いをもって尾張から、織田信長の命で、越中の富山城に向かった武将がいた。信長の北陸方面軍団の中で府中三人衆の一人と呼ばれていた佐々成政 ( さっさ・なりまさ ) である。

 富山は、越中国 ( えっちゅうのくに ) のほぼ中央にあり、飛騨と北陸道を結ぶ要所であることから、越後の上杉氏や、土着の神保 ( じんぼ ) 氏らの争奪戦の的になっていた。一時は上杉氏が富山城を占拠したが、これを一向一揆の勢力が奪い返したりしている。そうした中で、北陸の上杉の勢力と戦っていた織田信長が富山を平定して、手中に収めようとしたわけだ。そのために佐々成政を送り込んだのである。

 富山城は、異説もあるが、神保家の再興に努めていた神保長職 ( じんぼう・ながもと ) が築城したとされる。富山城を落とした佐々成政は、越中の要の城となるように、大規模な改築を行い、五層の天守閣を造った。また、城の近くを流れる神通川 ( じんづうがわ ) を利用して富山城の防衛に使った。このため、富山城は水に浮かぶようにも見え 「 浮城 ( うきしろ ) 」 とも呼ばれた。そしてその姿が美しく、富山城は滝廉太郎の名曲 「 荒城の月 」 の題材になった城と言われている。

 佐々成政は、織田信長によって、天正9年 ( 1581年 ) に、越中の守護を命じられ、越中一国、五十万石の城主となったものの、信長はその翌年の天正10年に、本能寺で家臣の明智光秀に襲われる。そして、その後豊臣秀吉が実権を掌握 ( しょうあく ) する。しかし、佐々成政は秀吉とは対立する。このため、秀吉は十万の大軍を率いて富山城を攻撃した。佐々成政はこの秀吉との戦に敗れ、富山城は前田家に与えられることになる。

 


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