【知の庭】諸藩見聞録

第58回 諸藩見聞録 秋田(久保田)藩/秋田県 【後編】

鉱山を軸とした商品経済が財政の基礎を作る

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天徳寺 ©秋田市役所

 佐竹義宣 ( さたけ・よしのぶ ) は、慶長7年 ( 1602年 ) に久保田( 秋田 ) 城の築城に着手すると同時に、久保田藩の組織的体制作りに入り、藩内での支配を固めていった。譜代 ( ふだい )、外様 ( とざま ) の旧家臣団を再編成するとともに、梅津憲忠 ( うめづ・のりただ ) ら新しい有力家臣を登用するなど、義宣の指揮命令系統の整備を行った。

 久保田藩の経済についても、商品を中心とする独特の財政整備をしていった。その一つは秋田杉を軸とする 「 林業の開発 」 であり、もう一つは院内銀山 ( いんないぎんざん ) 、阿仁金山 ( あにきんざん ) などに代表される 「 鉱山の開発 」 であった。これにより、久保田藩は、年貢米にあまり頼る必要が無い、商品経済に軸足を置く、他藩とは異なった財政基盤を築くこととなった。しかし、そうした経済はそう長く続かなかった。つまり、鉱山については採掘量に限界があり、やがて陰りがでてくることになった。

 そうした問題もあって、第二代の当主である義隆 ( よしたか ) は、新田開発を奨励し、正保3年 ( 1643年 ) から3年をかけて実施した総検地では、新田開発で出来た新しい村を区分して認め、小農に耕作意欲を起こさせるなど、年貢米による藩収入の強化策をとった。しかし、それにもかかわらず三代・義処 ( よしずみ ) の頃から、藩財政は急速に窮乏していく。このため、職制の簡素化など財政改善策を実行した。

 その一方で、義処は文化的事業にも力を入れた。元禄10年 ( 1697年 ) に秋田史館を作り、藩史の編集に着手している。こうした学問を尊ぶ流れが、国学者の平田篤胤 ( ひらた・あつたね ) らを生む土壌を久保田藩につくることにもなったのである。

 


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