【知の庭】諸藩見聞録

第48回諸藩見聞録  福井県/小浜藩[ 後編 ]

大老酒井忠勝が小浜城の天守閣を築く

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雲浜獅子(うんぴんじし)*1

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蘇洞門(そとも)*2

 若狭湾の海辺に築かれた小浜城は、二つの川の河口に挟まれていて、あたかも水に浮かぶ城のように見える。かつては城壁近くまで波が打ち寄せていて、極めて攻めにくい立地であった。

 小浜藩第二代藩主の京極忠高( きょうごく・ただたか )が出雲国松江に転封になった後には、武蔵国川越から酒井忠勝( さかい・ただかつ )が小浜城主として入ることになった。忠勝は、天守閣が未完であったため、まずその造営に着手した。また城下町の整備にも積極的に取り組んだ。

 一方、忠勝は第三代将軍家光の信頼が厚く、寛永15年(1638年)には大老職につき、幕政の中心に入っている。家光は慶安4年に没したが、第四代将軍になった家綱にも仕えた。家綱の時代には、由井正雪( ゆい・しょうせつ )、丸橋忠弥( まるばし・ちゅうや )らが幕府の政治に不満を持ち蜂起を計画したとされる慶安の変が起こっている。忠勝は、生涯のほとんどを江戸・牛込にあった小浜藩の藩邸で過ごし、幕政につくした。そのため、小浜城で直接藩政の指揮を執ったのは1年にも満たなかったといわれる。

 その後、忠存( ただあきら )の代に入って、日光廟( にっこうびょう )の普請などの幕命による出費がかさみ、小浜藩も財政難の時代に入ってゆく。忠貫( ただつら )の時代には、小浜藩内に学問を尊ぶ機運が高まる。忠貫は安永3年(1774年)に藩校の順造館を創設した。さらに文化、文政のころになると寺子屋などの私塾も多くできてくる。この頃、小浜藩から国学者の伴信友( ばん・のぶとも )や梅田雲浜( うめだ・うんぴん )らを、医学では杉田玄白( すぎた・げんぱく )を輩出した。

 玄白は父の後を継いで小浜藩主の侍医となる。そして、刑場で死体の腑分けをするなど、人体を実見して、蘭学による解剖図の正確さを知り、自身の医学の参考にする。玄白は中川淳庵( なかがわ・じゅんあん )らと、ドイツ人クルムスの 「 ターヘル・アナトミア 」 を買い入れ、日本語に訳した 「 解体新書 」 を刊行。晩年には 「 蘭学事始( らんがくことはじめ ) 」 を執筆している。現在、小浜病院( 小浜市 )の正面には杉田玄白の銅像が建てられている。

*1 : 350年の歴史をもつ雲浜獅子( うんぴんじし )は、酒井忠勝が城内の祝事の際に舞わせたのが始まりといわれる。毎年5月2・3日に小浜神社に奉納される県指定無形民俗文化財  *2 : 蘇洞門は若狭湾国定公園を代表する景勝地のひとつ

写真提供:(社)福井県観光連盟

 


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