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国内旅行
諸藩見聞録
第20回【山形県・米沢藩・後編】
	藩政の大改革を実行した上杉鷹山
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  吾妻連峰の麓に位置する米沢市。吾妻連峰 の主峰・西吾妻山(写真: 2035 メートル)には多くの登山者が訪れる。

【写真提供】(社)山形県観光物産協会
   
 上杉景勝は関が原の戦いで、石田三成に早くから味方していた。そのため三成が敗れて領地召し上げの危機となったが、景勝が家康に謝罪して米沢30万石に減封ということで、上杉家の存続は許された。
 もともと米沢は上杉家の執政として直江兼続に任せられていた土地で、直江が城下の整備や農業振興策などを進めていたが、そのまま景勝が入ることになった。
  しかし、この転封で上杉家は大きな問題を抱えることになった。景勝が会津から米沢に移っても、120万石の時代の家臣を可能な限りそのまま引き継いで抱えるという方針を打ち出し、実行したためである。
  この結果、米沢藩の財政は人件費の圧迫などで、時を経るごとに確実にひっ迫してゆく。農民への課税も次第に重くなっていった。

 そこに輪をかけるように悪いことが起こった。寛文4年(1664年)景勝の孫にあたる三代藩主の綱勝が急死してしまう。

 後継ぎがまだ決まっていなかったため、上杉家は断絶の危機に直面する。徳川家光の弟、保科正之の尽力でこの窮地は逃れたものの、知行は半分に減らされた。しかも、上杉家は会津時代の家臣の6000人規模をほとんど減らさずに維持してきている。
  また、養子に入ってきたのが高家の吉良義央(吉良上野介)の子、綱憲であり、吉良家が外聞を気にして、あれこれ上杉家に口を出し、出費を抑えることは難しかった。このため、米沢藩の財政はさらに窮乏の度を増していった。

 この窮地を救ったのは、第9代の藩主上杉治憲=鷹山(ようざん)である。
 治憲の 「 治 」 は元服後、 10代将軍の家治からもらったもので、鷹山は藩政の大改革を断行した。
 
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  鷹山は、凶作に備える施策として「かてもの」という食の手引書を編纂(へんさん)。内容は主食のかてになる植物82種をあげて、その食べ方を詳しく説明し、また味噌の製造法各種、蒔いておくとよいもの、数年置いても食べられる干物に加えて魚・鳥・獣の肉についても述べられている。
(写真上)切干大根、ヒョウ干し煮、打豆(写真下)からかい、凍みコンニャク、干し椎茸、干し貝柱、ヒョウ干し煮、小野川の豆もやし、雪菜

【写真提供】上杉観光開発株式会社「上杉伯爵邸」
 藩政は 「 厳正 」、「 寛大 」 を基本として、徹底的な倹約を実行した。藩費を半減するために、人員を大幅に削減するなどの思い切った内容だった。藩主自らも、範となるために、食事は1汁1菜を原則として、絹の着用は止めて木綿とし、奥女中も思い切って減らした。
 
 農村の復興、産業の振興にも力を注いだ。また、凶作や災害時に備えるために、籾などの穀物を備蓄する 「 備荒(びこう)」 制度の充実に力を入れた。この制度の整備のために、江戸の商人などから資金を集めて、籾の貯蔵庫を作って毎年蓄えを増やしていった。この備蓄制度の実行で、米沢藩は飢饉の恐怖を回避できるまでになった。

 こうした鷹山の大リストラ策を軸とした改革の実施は家臣らにとってはかなり厳しいものだった。そのため、重臣らによる反対の動きも起こったが、これには厳しく処分を実行した。また、その一方ではバランスを取るためか、改革の不十分を理由に、藩政の改革を中心となり実行してきた、奉行の竹俣当綱に対しても、蟄居(ちっきょ)を申し渡している。

 竹俣の蟄居(ちっきょ)という決断を下した後、家督を治広に譲って鷹山は隠居したが、その後も治広の後見人として、藩政を指導した。
  この隠居の際に、治広に贈った 「伝国之辞」 が 「 国家は先祖より子孫へ伝候国家にして我私すべき物には之なく候 」 からなる君主専制を戒めた鷹山の3か条として世に知られている。
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国の有形文化財として登録されている「上杉伯爵邸」。明治29年元米沢城二の丸跡に上杉家14代茂憲(もちのり)伯爵邸として建てられた、敷地約5,000坪、建坪530坪という壮大な大邸宅だったが、大正8年米沢大火で類焼し焼失。大正14年に、胴板葦き、総ヒノキの入母屋づくりの建物と、東京浜離宮に依って造園された庭園が完成。鶴鳴館(かくめいかん)と称され、皇族の御宿所ともなった。現在は、邸内の見学とともに、鷹山公を偲ぶ郷土料理を楽しむ場所となっている。
     
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米沢の郷土料理は、まさに鷹山公の「かてもの」から受け継がれた知恵と工夫の賜物。冷汁(ひやしる/写真左)は代表的郷土料理のひとつで、ゆでた季節の野菜に、貝柱と干し椎茸でとっただし汁をかけて食す。材料は食用菊・雪菜・豆もやし・ナメコ・凍みコンニャクなどで、季節や各家庭によって異なる。「上杉伯爵邸」では米沢の食材を使った創作郷土料理を、オリジナル懐石箱膳(写真右・一例)でいただくことができる。
【写真提供】上杉観光開発株式会社「上杉伯爵邸」