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国内旅行
諸藩見聞録
第19回【山形県・米沢藩・前編】戦国武将の雄、上杉謙信が眠る米沢
 
 
  (写真上2点とも)上杉神社/米沢城本丸跡地にあり、上杉謙信を祀る。大正8年米沢大火で焼失、同12年に再建された。境内に上杉氏ゆかりの文化財を多数収蔵する稽照殿がある。例祭4月29日。米沢上杉まつり・上杉雪灯篭まつりの会場。桜の名所。近くには「米沢市上杉博物館」がある。
   
  戦国時代の武将を語るとき必ず登場する一人である上杉謙信が米沢に眠っている。謙信を祀る上杉神社には、謙信のほか上杉鷹山(冶憲)の銅像もある。
   
  また、米沢は東北の雄とも呼ばれた伊達一族のゆかりの地でもあった。米沢城はもともと天文17年(1548年)に、15代伊達晴宗によって築城された。独眼竜政宗は、16代輝宗の子として生まれ、この城で育った。政宗は幼少期をこの城で過したが、伊達家は豊臣秀吉により、陸奥の岩出山城に転封され、米沢城には蒲生郷安が入ることになる。 やがて慶長3年(1598年)に、豊臣秀吉の信を得た上杉景勝が、越後から会津に加増され、移封された。この時、景勝は米沢に執政として直江兼続を置くことになる。以降、米沢城は蒲生氏に代わって上杉家の支配下となる。

  景勝は越後、佐渡の90万石から会津120万石になったわけだが、長年の本拠地だった越後の支配権を奪われた上に、事実上は東北で勢力をもつ伊達家と、当時勢力を強めつつあった徳川家康に対する、牽制の役目を秀吉により負わされたことにもなる。
 
 
  今年4月29日〜5月3日に行われた「米沢上杉祭り」では川中島合戦が再現され、総勢700名の甲冑武者が激突した。
 
  上杉家御廟所/国指定史跡。謙信公以来の上杉家の廟が建ち並んでいる。中央にある謙信公の廟は明治9年に新営したもの。
   
 戦国上杉家の始祖ともいわれる上杉謙信は、越後の守護代を務める長尾家に生まれる。兄の長尾晴景の養子となり、長尾氏の家督を継いだが、その後、上杉姓と関東管領職を上杉憲政に譲られる。

越後で力をつけた謙信は、甲斐の武田信玄と川中島でいくども戦ったが、いずれも決着はついていない。自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたという話も残っている。天正6年(1578年)には、関東に向けて大遠征計画を立てたといわれるが、その決行直前に謙信は死去する。
 
  上杉謙信の遺骸は遠く離れた春日山城から、米沢城内に運ばれ祀られていたが、廃藩置県の際の米沢廃城で、上杉神社におかれ、明治9年に歴代藩主の眠る御廟所に移された。

  この上杉家御廟所を米沢市民は敬意を込めて 「 御霊屋(おたまや) 」 と呼んでいる。

  上杉景勝(幼名は長尾顕景)は、謙信の実姉である仙桃院の子で、謙信の甥にあたる。父の長尾政景が亡くなったため、謙信の養子となって春日山城に入る。

  謙信の死後、北条家から養子に入っていた上杉景虎との間で相続争いが起こるが、景虎は自害、天正8年(1580年)景勝が上杉家の家督を継ぐ。
  しかし、景勝は相続争いで疲弊していたところを、織田信長の越後攻めにあい、窮地に立たされた。だが、織田信長は天正10年(1582年)6月、明智光秀の変で討たれ、景勝は難を逃れる。
  豊臣秀吉がその後の政権を握るが、景勝は秀吉に従うことによって生き延びる道を選ぶ。

 その後に起こった関が原の役では、上杉景勝は徳川家康に敵対する。家康のはからいで、上杉家はかろうじて残されたものの、石高は120万石から30万石に減封され、会津から米沢に移される。上杉家の重臣であった直江兼続は米沢城を上杉景勝に明け渡し、これによって上杉家の米沢藩が誕生することとなった。
 
(写真左)伝国の杜 「上杉博物館」/常設展示室、企画展示室。モールがあり鷹山シアターや洛外図屏風のバーチャルウォークが楽しめる。

(写真右)上杉雪灯篭まつり/毎年2月第2土、日曜日に上杉神社境内・松が岬公園を中心に行われる。今年は30回を迎え、300基の雪灯篭、3,000個の雪ぼんぼりが上杉神社参道に灯り、あたたかい鍋や特産品を集めた「テント村物産市」、巨大な「雪の滑り台」などイベントも多数行われた。また米沢市総世帯数と同じ3万個の手作りろうそくを市内一円に灯すべく「火種30000プロジェクト」を実施された。
【写真提供】(社)山形県観光物産協会